7月は19冊読んだ。
今年もこの季節がやってきた。まずは「新潮文庫の100冊」から9冊。これで計94冊読了、あと16冊。
◆江戸川乱歩名作選 (江戸川乱歩)
乱歩作品の中ではややマイナーな位置づけの作品になるのかな。「石榴」「押絵と旅する男」「人でなしの恋」は既読だった。他に「目羅博士」「白昼夢」「踊る一寸法師」「陰獣」の計7作。
「石榴」「陰獣」の中編2作の出来栄えはさすがという感じだけど、「目羅博士」「踊る一寸法師」の掌編の不気味さにも惹かれる。
◆女子中学生の小さな大発見 (清 邦彦)
自由研究、懐かしいですね。子供には子供なりの疑問がある。
◆あしながおじさん (ウェブスター)
どんなストーリーかは知ってたけど、読んだのは初めて。ヒロインのジュディは孤児なのに自由闊達、育った孤児院や院長先生に対する言いたい放題、同僚のジュリアも最初は悪口を言ってたのがいつの間にか仲良しに。ほぼ全編書簡体の小説だが、その手紙の表現や絵心が全く感じられない挿絵がユニーク。
同時にアメリカという国のすごさ、新しさも感じた。20世紀の初頭に特権階級の男性が孤児と結婚とは、日本や旧大陸の国ではありえなすぎて小説としても成立しなかったのでは。
◆孤独のチカラ (齋藤 孝)
自分も幼少の頃は友達の少ない子供だった。あの経験があったから、他人との距離の取り方とか、目的、目標に対するコミットの仕方とか、生きるために必要なことが学びやすくなったように思う。歳がいくにつれて、昔の友達に会う機会が増えていくが、傷口を嘗めあうような関係ではなく、お互いに何かをやり取りできる関係でありたいと思う。参考になった。
◆幻影の手術室: 天久鷹央の事件カルテ (知念 実希人)
このシリーズは2冊目、今回のは長編、密室殺人モノ。
こういうシリーズものって、ホームズ役とワトソン役を好きになれるか、感情移入できるかなのだけど、昨年読んだ1冊目の印象が薄くて、天久鷹央が女性ということも忘れてた。でも、私も本名に「鷹」の字が入っているので、何となく親しみを感じる。
◆吾輩も猫である (赤川次郎、他)
今年の「新潮文庫の100冊」、いつもの「吾輩は猫である」かと思ったら、これだった。猫目線の短編、夫々の作家さんの個性が出てて面白かった。ちなみに私は犬派だが、あの過剰なまとわりつきに、時々猫もいいかなと思う時がある。
◆ケーキ王子の名推理1、2(七月 隆文)
少女マンガ感覚で読んだ。第二巻でアオヤマさんの修業時代のエピソードが語られるわけだが、まあ、ライトな話に急にシリアスが入ってもねー、突然の暗号もなんか違和感。これがなぜ2冊も「新潮文庫の100冊」に???
◆斜陽 (太宰 治)
4回目くらいの再読だが、読む都度新しい発見がある。大東亜戦争の敗戦という日本の歴史の大転換期、それまでの歴史がリセットされ、特権階級は没落を余儀なくされ、新しい歴史の主役が登場する。没落する側は、凛として古い価値観に殉じる者、新しい価値観に迎合しようとするもプライドが邪魔してできない者、斜に構えて自ら破滅に向かう者、一矢報いようと無謀な戦いを挑む者、人生いろいろだ。この作品は、悲劇と喜劇が交差する、光と影のレクイエム。
カドフェスから2冊。
◆ぼぎわんが、来る (澤村伊智)
澤村さんのホラーは「ずうのめ人形」と続いて2冊目だが、こっちがデビュー作、シリーズ1作目。なるほど、怖い。ぼぎわんなんて変な名前の怪異、初めて聞いた。それに強い。岡田准一さんで映画化されるだが、どんな映画になるか楽しみ。
◆火の鳥1 黎明編 (手塚 治虫)
ナギ少年の住むクマソは卑弥呼の邪馬台国に攻め滅ぼされ、邪馬台国は馬に乗った天孫属ニニギノミコト(=神武天皇)に攻め滅ぼされる。不死を求め火の鳥を探し求め、結局死んでしまう卑弥呼と、不死などということに見向きもしない勝者ニニギノミコトが対照的。
一方で人知れずたくましく成長するクマソの生き残りの子孫。そんな歴史の流れを見守る火の鳥。いきなり話のスケールがでかい。
◆おらおらでひとりいぐも(若竹千佐子)
ほぼ全編が74歳の老女の内面を映し出すモノローグ、人生を積み重ねた末の孤独が、悲しかったり、ユーモラスだったり、少しだけ明るかったり。ふるさとの山が出てきたり、人類の歴史の話になったり、よく全編これで押し通したものだ。ネイティブな東北弁と相まって、なにか不思議な小説だった。
◆凶犬の眼(柚月裕子)
前作「孤狼の血」の続編、日岡巡査は一時は左遷されるも復活して、亡き大上刑事の跡を継いで大活躍みたいな記述があったが、これはその左遷時代のエピソード。広島ヤクザ抗争の内幕、極道の真実、今回の主役は警官の日岡というよりもヤクザの国光。理屈抜きにシビれる、熱くて面白いエンターテインメント。
◆青空と逃げる (辻村深月)
交通事故で発覚した父と女優の不倫疑惑、押し寄せる世間の悪意、そして早苗と小5の力の母子の逃避行。四万十、家島、そして別府温泉、地元の人たちとのふれあいに、母子はたくましく成長していく。息子の部屋にあった血糊のついた包丁の真実は?心温まるサスペンスミステリー。
◆ふたご(藤崎 彩織)
SEKAI NO OWARIを全く知らない人が読むと(実は私もあまりよく知らない)、前半と後半が違う話になっているような、何となくおさまりの悪い小説を読んだという印象を受けるのではないだろうか。なぜこれが直木賞候補に?
でも、これは「SEKAI NO OWARI 」結成までの体験談を小説にまとめたもの、そういう風に読んだ方が直に心に落ちてくる。
◆ヘイ・ジュード 東京バンドワゴン(小路 幸也)
もう13作目か、、、偉大なるマンネリに乾杯って感じ。
規模も、そして人間的にも、少しずつ成長していく堀田ファミリーとそれを取り巻く人たち。今回は何と言っても花陽の医大合格。と思ったら、花陽も、研人も、早くもちゃっかり一生を共にしそうなお相手が出来ていて、大人になっちゃったんだな、と。さて、来年はいよいよかんなちゃん、鈴花ちゃんが小学生!
◆幼女戦記 6 Nil admirari(カルロ・ゼン)
今回はターニャの華々しい戦場での活躍は無し。東部戦線は膠着状態。春を迎え南方で同盟国イルドアが不穏な動きをすると首都近郊に再配備、北部で多国籍軍が陽動を開始すると北方に転進。四面楚歌の状況にターニャは非公式に講和を進言するが、戦闘では勝利をしている帝国で受け入れられるはずもない。
状況が実にリアル。戦争は政治の延長、その政治やマスコミが現状を直視できなければ、正論は抹殺される。一人メタ視点を持つターニャも、なすすべもなく破滅に向かっていくのか。
◆他人をバカにしたがる男たち (日経プレミアシリーズ)(河合薫)
「ああ、いるよね、こういう人」という以前に、「自分がこうなってはいけない」と強く思う。次の世代に任せることは任すとともに、自分は彼らに何をしてあげられるかを強く意識して、今の環境で出来ることをしっかりやっていこう。「ん?」と思う部分もありましたが、面白くも胸に刺さる1冊、一気読みでした。
◆ブラタモリ 12 別府 神戸 奄美
TVのおさらいに。別府の鉄輪温泉、砂浜の砂湯、ちょうどこの本の前に読んだ辻村深月さんの「青空と逃げる」にでてきた。
新入社員時代、兵庫県の某所にあった会社の独身寮に住んでいたので、神戸には良く行った。
奄美大島、薩摩藩は随分と苛烈なことをしていたのだな。その金が維新の回天に使われたのかな。
今年もこの季節がやってきた。まずは「新潮文庫の100冊」から9冊。これで計94冊読了、あと16冊。
◆江戸川乱歩名作選 (江戸川乱歩)
乱歩作品の中ではややマイナーな位置づけの作品になるのかな。「石榴」「押絵と旅する男」「人でなしの恋」は既読だった。他に「目羅博士」「白昼夢」「踊る一寸法師」「陰獣」の計7作。
「石榴」「陰獣」の中編2作の出来栄えはさすがという感じだけど、「目羅博士」「踊る一寸法師」の掌編の不気味さにも惹かれる。
◆女子中学生の小さな大発見 (清 邦彦)
自由研究、懐かしいですね。子供には子供なりの疑問がある。
◆あしながおじさん (ウェブスター)
どんなストーリーかは知ってたけど、読んだのは初めて。ヒロインのジュディは孤児なのに自由闊達、育った孤児院や院長先生に対する言いたい放題、同僚のジュリアも最初は悪口を言ってたのがいつの間にか仲良しに。ほぼ全編書簡体の小説だが、その手紙の表現や絵心が全く感じられない挿絵がユニーク。
同時にアメリカという国のすごさ、新しさも感じた。20世紀の初頭に特権階級の男性が孤児と結婚とは、日本や旧大陸の国ではありえなすぎて小説としても成立しなかったのでは。
◆孤独のチカラ (齋藤 孝)
自分も幼少の頃は友達の少ない子供だった。あの経験があったから、他人との距離の取り方とか、目的、目標に対するコミットの仕方とか、生きるために必要なことが学びやすくなったように思う。歳がいくにつれて、昔の友達に会う機会が増えていくが、傷口を嘗めあうような関係ではなく、お互いに何かをやり取りできる関係でありたいと思う。参考になった。
◆幻影の手術室: 天久鷹央の事件カルテ (知念 実希人)
このシリーズは2冊目、今回のは長編、密室殺人モノ。
こういうシリーズものって、ホームズ役とワトソン役を好きになれるか、感情移入できるかなのだけど、昨年読んだ1冊目の印象が薄くて、天久鷹央が女性ということも忘れてた。でも、私も本名に「鷹」の字が入っているので、何となく親しみを感じる。
◆吾輩も猫である (赤川次郎、他)
今年の「新潮文庫の100冊」、いつもの「吾輩は猫である」かと思ったら、これだった。猫目線の短編、夫々の作家さんの個性が出てて面白かった。ちなみに私は犬派だが、あの過剰なまとわりつきに、時々猫もいいかなと思う時がある。
◆ケーキ王子の名推理1、2(七月 隆文)
少女マンガ感覚で読んだ。第二巻でアオヤマさんの修業時代のエピソードが語られるわけだが、まあ、ライトな話に急にシリアスが入ってもねー、突然の暗号もなんか違和感。これがなぜ2冊も「新潮文庫の100冊」に???
◆斜陽 (太宰 治)
4回目くらいの再読だが、読む都度新しい発見がある。大東亜戦争の敗戦という日本の歴史の大転換期、それまでの歴史がリセットされ、特権階級は没落を余儀なくされ、新しい歴史の主役が登場する。没落する側は、凛として古い価値観に殉じる者、新しい価値観に迎合しようとするもプライドが邪魔してできない者、斜に構えて自ら破滅に向かう者、一矢報いようと無謀な戦いを挑む者、人生いろいろだ。この作品は、悲劇と喜劇が交差する、光と影のレクイエム。
カドフェスから2冊。
◆ぼぎわんが、来る (澤村伊智)
澤村さんのホラーは「ずうのめ人形」と続いて2冊目だが、こっちがデビュー作、シリーズ1作目。なるほど、怖い。ぼぎわんなんて変な名前の怪異、初めて聞いた。それに強い。岡田准一さんで映画化されるだが、どんな映画になるか楽しみ。
◆火の鳥1 黎明編 (手塚 治虫)
ナギ少年の住むクマソは卑弥呼の邪馬台国に攻め滅ぼされ、邪馬台国は馬に乗った天孫属ニニギノミコト(=神武天皇)に攻め滅ぼされる。不死を求め火の鳥を探し求め、結局死んでしまう卑弥呼と、不死などということに見向きもしない勝者ニニギノミコトが対照的。
一方で人知れずたくましく成長するクマソの生き残りの子孫。そんな歴史の流れを見守る火の鳥。いきなり話のスケールがでかい。
◆おらおらでひとりいぐも(若竹千佐子)
ほぼ全編が74歳の老女の内面を映し出すモノローグ、人生を積み重ねた末の孤独が、悲しかったり、ユーモラスだったり、少しだけ明るかったり。ふるさとの山が出てきたり、人類の歴史の話になったり、よく全編これで押し通したものだ。ネイティブな東北弁と相まって、なにか不思議な小説だった。
◆凶犬の眼(柚月裕子)
前作「孤狼の血」の続編、日岡巡査は一時は左遷されるも復活して、亡き大上刑事の跡を継いで大活躍みたいな記述があったが、これはその左遷時代のエピソード。広島ヤクザ抗争の内幕、極道の真実、今回の主役は警官の日岡というよりもヤクザの国光。理屈抜きにシビれる、熱くて面白いエンターテインメント。
◆青空と逃げる (辻村深月)
交通事故で発覚した父と女優の不倫疑惑、押し寄せる世間の悪意、そして早苗と小5の力の母子の逃避行。四万十、家島、そして別府温泉、地元の人たちとのふれあいに、母子はたくましく成長していく。息子の部屋にあった血糊のついた包丁の真実は?心温まるサスペンスミステリー。
◆ふたご(藤崎 彩織)
SEKAI NO OWARIを全く知らない人が読むと(実は私もあまりよく知らない)、前半と後半が違う話になっているような、何となくおさまりの悪い小説を読んだという印象を受けるのではないだろうか。なぜこれが直木賞候補に?
でも、これは「SEKAI NO OWARI 」結成までの体験談を小説にまとめたもの、そういう風に読んだ方が直に心に落ちてくる。
◆ヘイ・ジュード 東京バンドワゴン(小路 幸也)
もう13作目か、、、偉大なるマンネリに乾杯って感じ。
規模も、そして人間的にも、少しずつ成長していく堀田ファミリーとそれを取り巻く人たち。今回は何と言っても花陽の医大合格。と思ったら、花陽も、研人も、早くもちゃっかり一生を共にしそうなお相手が出来ていて、大人になっちゃったんだな、と。さて、来年はいよいよかんなちゃん、鈴花ちゃんが小学生!
◆幼女戦記 6 Nil admirari(カルロ・ゼン)
今回はターニャの華々しい戦場での活躍は無し。東部戦線は膠着状態。春を迎え南方で同盟国イルドアが不穏な動きをすると首都近郊に再配備、北部で多国籍軍が陽動を開始すると北方に転進。四面楚歌の状況にターニャは非公式に講和を進言するが、戦闘では勝利をしている帝国で受け入れられるはずもない。
状況が実にリアル。戦争は政治の延長、その政治やマスコミが現状を直視できなければ、正論は抹殺される。一人メタ視点を持つターニャも、なすすべもなく破滅に向かっていくのか。
◆他人をバカにしたがる男たち (日経プレミアシリーズ)(河合薫)
「ああ、いるよね、こういう人」という以前に、「自分がこうなってはいけない」と強く思う。次の世代に任せることは任すとともに、自分は彼らに何をしてあげられるかを強く意識して、今の環境で出来ることをしっかりやっていこう。「ん?」と思う部分もありましたが、面白くも胸に刺さる1冊、一気読みでした。
◆ブラタモリ 12 別府 神戸 奄美
TVのおさらいに。別府の鉄輪温泉、砂浜の砂湯、ちょうどこの本の前に読んだ辻村深月さんの「青空と逃げる」にでてきた。
新入社員時代、兵庫県の某所にあった会社の独身寮に住んでいたので、神戸には良く行った。
奄美大島、薩摩藩は随分と苛烈なことをしていたのだな。その金が維新の回天に使われたのかな。
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