ランナーとしての峠を越え、故障もあって、自己ベストは望むべくもない私ですが、連続完走記録にはこだわっています。
06年11月の大田原マラソンでリタイアしたのを最後に、フルマラソン及びフルマラソン以上の距離のレースは、今回の奥武蔵で、連続31回、完走したことになります。
リタイアした大田原マラソン当時は、まだ自己ベストの更新ができていた頃で、このレースでも、3時間半を切っての自己ベスト以外のことは考えていませんでした。
結果、最初の10kmが完全なオーバーペースになり、30km手前で失速、35kmの関門は通過できたのですが、既に気持ちはすっかり折れていました。
4時間と制限時間が厳しい大田原マラソンですので、リタイアのバスはもうそこにスタンバイしており、誘惑に負け、自らバスに乗ってしまいました。
でも、バスの中から、必死にゴールを目指すランナーたちを見て、本当に自分が情けなくなり、もう二度とこんなバスには乗らない」と誓ったのでした。
以来、大田原マラソンで関門を15秒前に通過したり、日本山岳耐久レースの前半で転倒、足を痛めたりと完走のピンチはありましたが、その度に、「決して最後まで諦めてはいけない。諦めたらそれがゲームセットだよ。」という湘北高校の安西監督のことばを頭の中で繰り返し、乗り越えて来ました。
今回の奥武蔵ウルトラ、客観的に見ればかなりのピンチだったのでしょうが、不思議と、自分が完走できないというイメージは、一度も頭に浮かびませんでした。
全く走れなかった3月、4月も、2週間に左足を痛めた時も、3日前に皇居で転倒した時も、やばっ!とは思いましたが、奥武蔵の完走については、全く自分を疑っていませんでした。
これが、今回完走出来た最大の理由でしょう。
思い込み、自己暗示、そういうのって、大切だなと思う次第です。
次は、目指せ、連続完走50回、かな。
06年11月の大田原マラソンでリタイアしたのを最後に、フルマラソン及びフルマラソン以上の距離のレースは、今回の奥武蔵で、連続31回、完走したことになります。
リタイアした大田原マラソン当時は、まだ自己ベストの更新ができていた頃で、このレースでも、3時間半を切っての自己ベスト以外のことは考えていませんでした。
結果、最初の10kmが完全なオーバーペースになり、30km手前で失速、35kmの関門は通過できたのですが、既に気持ちはすっかり折れていました。
4時間と制限時間が厳しい大田原マラソンですので、リタイアのバスはもうそこにスタンバイしており、誘惑に負け、自らバスに乗ってしまいました。
でも、バスの中から、必死にゴールを目指すランナーたちを見て、本当に自分が情けなくなり、もう二度とこんなバスには乗らない」と誓ったのでした。
以来、大田原マラソンで関門を15秒前に通過したり、日本山岳耐久レースの前半で転倒、足を痛めたりと完走のピンチはありましたが、その度に、「決して最後まで諦めてはいけない。諦めたらそれがゲームセットだよ。」という湘北高校の安西監督のことばを頭の中で繰り返し、乗り越えて来ました。
今回の奥武蔵ウルトラ、客観的に見ればかなりのピンチだったのでしょうが、不思議と、自分が完走できないというイメージは、一度も頭に浮かびませんでした。
全く走れなかった3月、4月も、2週間に左足を痛めた時も、3日前に皇居で転倒した時も、やばっ!とは思いましたが、奥武蔵の完走については、全く自分を疑っていませんでした。
これが、今回完走出来た最大の理由でしょう。
思い込み、自己暗示、そういうのって、大切だなと思う次第です。
次は、目指せ、連続完走50回、かな。
会社の休み時間にブログは拝読していたのですが、会社からだと書き込み不可なので。
と、前置きはさておき
完走おめでとうございます!!
直前のブログで反対の足も痛めた、なんていうのも読んでいましたが、ラスカルさんの完走を微塵も疑ってませんでしたから心配してませんでしたヨ。
そしてみごとに完走。
うれしいです。
しっかりケアして50回めざしてくださいねー。
ばにぃさんをはじめ、いろんな人に力をもらっての完走と思っています。
今後は12月の那覇マラソンを復帰レースに定め、それまでは地道にやるつもりです。
那覇はお祭り気分で参加して、その調子を見ながら、1月の館山でもう一度サブ4ランナーに、なんて計画しています。
ばにぃさんも、速く故障から復活されますように。