ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

「永遠のゼロ」

2010-08-25 00:21:31 | 読書
600ページくらいある長編小説なのですが、読み始めたら止められず、2日で読んでしまいました。
私にしては非常に珍しいことに、ドラマもアニメも見ずにこれを読んでいました。
途中、何度か涙をこらえることが出来ませんでした。

特攻隊員として26歳で死んだ母方の祖父・宮部久蔵を、その孫である姉弟が調べる話。
祖父のことも、先の戦争のこともほとんど知らない彼らは、最初は祖父を「臆病者」呼ばわりされ落ち込むこともあったが、調べが進むにしたがって、祖父は天才的な操縦技術を持っていたこと、そして当時の「死ぬのが当たり前」という雰囲気の中で、冷静に信念をつらぬき、生きることをあきらめない人であったことが分かる。
その彼がなぜ終戦間際に特攻隊として散ったのか。。。

祖父が信念の人であったのと対比するように、当時の日本の軍隊がいかにひどい組織であったかということが強調されているのですが、書評は別にして、なぜ日本は負けたのか、強い組織とはどのような組織か、ということについても考えさせられました。
客観的に見て、日露戦争も、大東亜戦争も勝つのは難しかった戦争と言いえるでしょう。むしろ状況は日露のほうがより厳しかったと思います。
にもかかわらず、日露戦争は勝ち、大東亜では負けた。

明治維新後、政府は軍の近代化を急ぎ、軍備はもちろん、組織や戦法についても欧州から教師を招き、また留学生を派遣して、最新の軍隊を導入しました。
当時の世界最新最強の軍事理論を、明治維新で職を失った下級武士やその息子達が忠実に導入、実践したということでしょう。
一方、本家の欧州では伝統、しきたりといった制限があって、理想の軍隊を作れていなかった。
ロシアの仕官は全員貴族出身者で、その中には実戦に向かない人もかなりいたと想像します。

その日露戦争から30年以上が経過して、日本の軍隊の上層部は実戦を知らない兵学校出のエリートで占められました。
ここで日本はロシアと同じ失敗をしてしまう。実戦から遠ざかり、軍部は国を守るという本来の使命よりも、自らの出世と組織の拡大を第一に考えるようになっていました。
有事の際の人事は、信賞必罰、実戦向き人間の抜擢人事が必要不可欠ですが、エリート達は責任を回避し、相互にかばい合ってそれを行いませんでした。

だから、机上では積極的な無謀とも思える作戦が立てられる反面、実際の前線の指揮官は消去的な、弱気な判断に終始する。
真珠湾攻撃は、それ自体が、航空母艦から発進させた航空機のみによる爆撃という、当時としては空前の作戦であったわけですが、このときも、そこそこの戦果で満足して、徹底的に勝つということをしなかった。
海軍は、これ以降、ミッドウェーから徐々に負け始めます。
戦力の小口分散投入、兵站や情報戦の軽視、戦艦大和・武蔵は温存され、戦局がどうしようもなくなってから投入され、大した戦果を挙げることなく沈められました。

終戦のタイミングも、責任を取りたくないあまり結論を先送りにして、原爆投下やソ連の参戦によるシベリア抑留というやらずもがなの被害の拡大を招きました。
戦犯は連合国によって裁かれましたが、日本はどうしてあれほど負けたのか、日本人として考えなければならないと思いました。

普段は妻とは読書の趣味が全く合わないのですが、この本は珍しくかぶりました。我が家に2冊あります。


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