私が最後にレースをリタイアしたのは、2006年11月23日の大田原マラソン。
この時は、直前の練習会の30km走で2時間24分台が出たこともあって、とにかく3時間半を切ることしか考えてなくって、前半から突っ込んであえなく失速。
それでも制限時間の関門は通過できたんだけど、もう自己ベストは出せないと思ったら気持ちが切れて、35km地点の収容バスに自ら乗ってしまった。
バスの中から、ゴールを目指して走るランナーたちを見て、何とも自分が情けなく、「もう、自分は、絶対レースをリタイアしない」と誓ったものでした。
以来足掛け8年、出走した全てのレースに完走しています。
フルマラソン以上の距離のレースに限定しても、フル22回、ウルトラ8回、トレイルが2回、計32レースになります。
何度かピンチはありました。
4時間制限の大田原マラソンで、時間関門を15秒前に通過した事、ハセツネの序盤で転倒、左足首を痛めて20時間以上かかってゴールにたどり着いた事。
「決して最後まで諦めてはいけない。諦めたらそれがゲームセット」とは、私が座右の銘にしている安西監督(スラムダンクです)の言葉ですが、これを頭の中で何回唱えたかわかりません。
でも、さすがに、今回はいよいよダメです。
今はゆっくり20kmを走るのがやっと。
奥武蔵ウルトラマラソンの、真夏の山道78kmは、99.99%無理。
このレース、10年連続で完走中で、もう10年位は完走し続けるつもりだったのですが、、、終わりは突然にやって来るもの。
私は、最後までレースを諦めない人がランナーだと思っています。
レースを走りきれない人、途中でレースを投げ出す人は、なんだろう、ジョガーかな。
このブログの看板も、いよいよかけかえねばなりません。。。
この時は、直前の練習会の30km走で2時間24分台が出たこともあって、とにかく3時間半を切ることしか考えてなくって、前半から突っ込んであえなく失速。
それでも制限時間の関門は通過できたんだけど、もう自己ベストは出せないと思ったら気持ちが切れて、35km地点の収容バスに自ら乗ってしまった。
バスの中から、ゴールを目指して走るランナーたちを見て、何とも自分が情けなく、「もう、自分は、絶対レースをリタイアしない」と誓ったものでした。
以来足掛け8年、出走した全てのレースに完走しています。
フルマラソン以上の距離のレースに限定しても、フル22回、ウルトラ8回、トレイルが2回、計32レースになります。
何度かピンチはありました。
4時間制限の大田原マラソンで、時間関門を15秒前に通過した事、ハセツネの序盤で転倒、左足首を痛めて20時間以上かかってゴールにたどり着いた事。
「決して最後まで諦めてはいけない。諦めたらそれがゲームセット」とは、私が座右の銘にしている安西監督(スラムダンクです)の言葉ですが、これを頭の中で何回唱えたかわかりません。
でも、さすがに、今回はいよいよダメです。
今はゆっくり20kmを走るのがやっと。
奥武蔵ウルトラマラソンの、真夏の山道78kmは、99.99%無理。
このレース、10年連続で完走中で、もう10年位は完走し続けるつもりだったのですが、、、終わりは突然にやって来るもの。
私は、最後までレースを諦めない人がランナーだと思っています。
レースを走りきれない人、途中でレースを投げ出す人は、なんだろう、ジョガーかな。
このブログの看板も、いよいよかけかえねばなりません。。。
一番長丁場なエイドです。
二回会えると、いいな。
早い遅いはそれぞれですが最後はみんな走れなくなります。
その時どうかかわっていくかって事の方が大事だと思いますけどね。
去年のように黒山だったら自信なかったけど、鎌北湖なら大丈夫。行きます。
早々と応援組に合流することになると思います。
ご一緒させてください。