先日、関西出張した際、天王寺から阪和線に乗った。住宅の向こうに、樹木に覆われた仁徳天皇陵が見えた。
私の中学時代の教科書には、確かに仁徳天皇陵と書かれていた。クフ王のピラミッドよりも大きい、世界最大の墓、と写真入りで説明されていて、世界一のものが日本にあるということで、日本人としてちょっと誇らしい気分になった。
これが、今の教科書には、大仙塚古墳、または伝仁徳天皇陵古墳と記載されている。宮内庁がそれを仁徳天皇陵と比定しているだけで、確実に仁徳天皇陵だという考古学的な確証がないからだ。なぜ確証がないのかといえば、それが宮内庁の管理下にあり、発掘調査が出来ないからである。
発掘調査が出来ないのは、仁徳天皇陵に限ったことではない。日本には、100個以上の天皇陵と約50個の陵墓参考地(天皇または皇族の陵墓と思われるもの)があるが、宮内庁はその全てを立ち入り禁止とし、発掘などの学術調査をさせていない。
本格的な調査をすれば、日本の歴史の常識を覆すような大発見が、次々と出てくるのは確実と思うのだが。
なぜ宮内庁が発掘調査をさせないかといえば、「天皇家の墓であるので、子孫、即ち天皇家の許可なく墓を暴く事は許されない。不敬である。」ということらしい。
本当にそうなのだろうか。
天皇陵の選定は、明治時代に、天皇制の復権と歩調を合わせて、国が、当時の乏しい考古学の知識で行ったもので、明らかに間違いと思われるものが少なくないらしい。ほとんどが間違っている、という学者すらいる。
例えば、継体天皇陵は、現在宮内庁が比定しているものではなく、その近くにある、立ち入り自由で荒れ放題になっている今城塚古墳の方であるとする見解が一般的らしい。宮内庁は、「そう断定するには不十分」として、考古学者たちの声を黙殺しているそうだ。
継体天皇陵を発掘調査して今城塚古墳と比較対照し、その上で今城塚の方が継体天皇陵である可能性が高いということになれば、そちらを継体天皇陵として保守管理するのが、正しい天皇家に対する敬意の表し方ではないだろうか。
立ち入り禁止の本当の理由は、例えば、天皇陵の比定が片っ端から間違っている、とか、天皇家が万世一系でない証拠が出てきてしまった、とか、宮内庁にとって居心地が悪い事実が出てくるのが嫌だからではないだろうか。そうだとすれば、正に真実を見ようとせずに問題を先送りする、前例に倣って改革を拒否する、悪しき官僚主義の典型である。
神武から開化までの9代の天皇については、過半数以上の学者が、架空の人物としている。実在が疑問視されている神話時代の天皇の陵墓である。天皇陛下も、きっと発掘を許してくださると思う。
この天皇陵を発掘調査することにより、おひとりでもその実在が確認できたら、いや、実在が確認できないまでも、2~3世紀の有力者の古墳であると言う事だけでも確認できたら、歴史的大発見である。
一方、もしそれらがどう考えても天皇家の古墳ではありえないなら、もし古墳ですらなく、ただの丘であるなら、税金でこれを管理する事は国民に対する背信行為であり、すぐさま正されなければならない。
それでもまだ不敬だというのであれば、陵墓参考地はどうだろうか。大和に箸墓という陵墓参考地がある。初期の大型前方後円墳であり、埋葬者の比定はされていないが、相当の有力者のものである事は間違い無い。卑弥呼の墓だという説もある。
私は、綿々と続く我が天皇家を日本の誇りと思い、今上天皇を心より敬愛する者である。もし私が陛下とお言葉を交わせるとしたら、ぜひ聞いてみたい。「私は、日本の歴史学の進歩のために、ぜひ箸墓を発掘調査するべきという意見をもっています。こんな私は不敬でしょうか。」と。常日頃から開かれた皇室を標榜されている陛下のことです。決して不敬だとはおっしゃりますまい。
私の中学時代の教科書には、確かに仁徳天皇陵と書かれていた。クフ王のピラミッドよりも大きい、世界最大の墓、と写真入りで説明されていて、世界一のものが日本にあるということで、日本人としてちょっと誇らしい気分になった。
これが、今の教科書には、大仙塚古墳、または伝仁徳天皇陵古墳と記載されている。宮内庁がそれを仁徳天皇陵と比定しているだけで、確実に仁徳天皇陵だという考古学的な確証がないからだ。なぜ確証がないのかといえば、それが宮内庁の管理下にあり、発掘調査が出来ないからである。
発掘調査が出来ないのは、仁徳天皇陵に限ったことではない。日本には、100個以上の天皇陵と約50個の陵墓参考地(天皇または皇族の陵墓と思われるもの)があるが、宮内庁はその全てを立ち入り禁止とし、発掘などの学術調査をさせていない。
本格的な調査をすれば、日本の歴史の常識を覆すような大発見が、次々と出てくるのは確実と思うのだが。
なぜ宮内庁が発掘調査をさせないかといえば、「天皇家の墓であるので、子孫、即ち天皇家の許可なく墓を暴く事は許されない。不敬である。」ということらしい。
本当にそうなのだろうか。
天皇陵の選定は、明治時代に、天皇制の復権と歩調を合わせて、国が、当時の乏しい考古学の知識で行ったもので、明らかに間違いと思われるものが少なくないらしい。ほとんどが間違っている、という学者すらいる。
例えば、継体天皇陵は、現在宮内庁が比定しているものではなく、その近くにある、立ち入り自由で荒れ放題になっている今城塚古墳の方であるとする見解が一般的らしい。宮内庁は、「そう断定するには不十分」として、考古学者たちの声を黙殺しているそうだ。
継体天皇陵を発掘調査して今城塚古墳と比較対照し、その上で今城塚の方が継体天皇陵である可能性が高いということになれば、そちらを継体天皇陵として保守管理するのが、正しい天皇家に対する敬意の表し方ではないだろうか。
立ち入り禁止の本当の理由は、例えば、天皇陵の比定が片っ端から間違っている、とか、天皇家が万世一系でない証拠が出てきてしまった、とか、宮内庁にとって居心地が悪い事実が出てくるのが嫌だからではないだろうか。そうだとすれば、正に真実を見ようとせずに問題を先送りする、前例に倣って改革を拒否する、悪しき官僚主義の典型である。
神武から開化までの9代の天皇については、過半数以上の学者が、架空の人物としている。実在が疑問視されている神話時代の天皇の陵墓である。天皇陛下も、きっと発掘を許してくださると思う。
この天皇陵を発掘調査することにより、おひとりでもその実在が確認できたら、いや、実在が確認できないまでも、2~3世紀の有力者の古墳であると言う事だけでも確認できたら、歴史的大発見である。
一方、もしそれらがどう考えても天皇家の古墳ではありえないなら、もし古墳ですらなく、ただの丘であるなら、税金でこれを管理する事は国民に対する背信行為であり、すぐさま正されなければならない。
それでもまだ不敬だというのであれば、陵墓参考地はどうだろうか。大和に箸墓という陵墓参考地がある。初期の大型前方後円墳であり、埋葬者の比定はされていないが、相当の有力者のものである事は間違い無い。卑弥呼の墓だという説もある。
私は、綿々と続く我が天皇家を日本の誇りと思い、今上天皇を心より敬愛する者である。もし私が陛下とお言葉を交わせるとしたら、ぜひ聞いてみたい。「私は、日本の歴史学の進歩のために、ぜひ箸墓を発掘調査するべきという意見をもっています。こんな私は不敬でしょうか。」と。常日頃から開かれた皇室を標榜されている陛下のことです。決して不敬だとはおっしゃりますまい。
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