ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

義経

2005-02-23 00:07:24 | 読書
大河ドラマ、今まではほとんど見てなかったのですが、今回の「義経」は、必ず見ています。上戸彩がカワイイですね。
(「ごくせん」「美しき日々」「天国の階段」も必ず見てますが。)

司馬遼太郎にも「義経」の著作があります。
軍事面で天賦の才能を発揮するも、政治的には全く無知な義経、流人ゆえに政治的秀才となった兄・頼朝、ぬえのような老獪な政治手腕を持つ後白河法皇。
平家を討ち滅ぼすと言う殊勲を挙げながら、後白河法皇に手玉に取られる義経、武士の世を実現するために、義経を討たざるを得なくなる頼朝、司馬遼太郎の人物像は、キャラが立っていて本当に面白い。

日本人が、馬を戦に使うようになったのは、5世紀頃からでしょう。以来明治時代に至るまで、馬を機動力として使ったのは、司馬遼太郎によれば、義経と桶狭間の信長のみだそうです。
当時の日本の軍隊は、大将が馬に乗り、回りを徒士の兵が固めるという編制が常識でした。従い、その機動力は、徒士が基準になります。
一の谷の合戦において、義経は、少数の騎馬隊を編成し、敵の背後に回り、徒歩では下りられない崖を駆け下りて敵を奇襲しました。現れるはずの無い所から現れた敵に混乱した平家の軍隊は、海へと壊走しました。
結局、義経は、普通であれば勝てるはずも無かった宿敵・平家を、ほとんど一人で打ち破ってしまいました。
天才とは、パラダイム・ジャンプ、普通の人が考えもつかないことを、平然と実行する人のことを言うのでしょう。その意味では、義経は、紛れも無く、圧倒的な「軍事の天才」だったと言えます。軍事的天才にして政治的無知、純真で人を疑う事を知らない単純さ、このアンバランスゆえに、義経は、悲劇のヒーローとなり、歴史上の人気者となりえたのだと思います。

もしも奥州藤原氏が徹底的に義経を匿い、彼を総大将にして鎌倉と一戦交えていたら、歴史はどうなっていたのだろうか。ついそんなことを想像してしまいます。
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