3月までの出場レースは決めましたが、4月以降は未定、4月3日は、「鶴沼ウルトラマラソン」にしようか、「行田鉄剣マラソン」にしようか、迷っています。
で、その行田の鉄剣ですが、10年ほど前ですが、歴史ヲタクの私は、どうしても実物を一目見たくて、行田まで行ったことがあります。古代史の本場は、当時の先進地域であった北九州と大和、河内。にもかかわらず、どうして私がこの辺境の地で出土したたった一振りの鉄剣を見たかったかと言うと、この鉄剣が、それだけの歴史的な価値がある発見だったからです。
行田市には、「さきたま古墳群」と呼ばれる古墳群があり、今はその一帯が、「さきたま風土記の丘公園」という公園になっています。例の鉄剣は、その公園の中の資料館に展示されています。
その鉄剣は、古墳群の中の一つである稲荷山古墳から、埋葬者の副葬品として出土しました。出土当初は、何の変哲もない鉄剣と思われていたのですが、X線検査をしたところ、剣に文字が書かれていることが判明、表面をの錆を落としたところ、中から金の文字が浮かびあがってきた、ということです。
なぜこの剣がすごいかというと、まず第一に、作られた年が特定できるということ。「辛亥年七月」に作られた、と書かれています。十干十二支の年号は60年で一巡してしまうので断定は出来ませんが、まず西暦471年でしょう。考古学の出土品で、正確な作成年が分かることは、極めて珍しいことです。
第二に、これが、日本人が書いた、現存する日本最古の文字かもしれないということです。日本最古の書物の「古事記」「日本書紀」「万葉集」が編纂されたのは8世紀です。その約250年前の文字なんです。当時としては辺境の地であった関東の豪族が、ちゃんと文字を使っていたということで、当時の日本人は、既にそこそこの文化レベルにあったという証拠でもあります。
第三に、当時すでに大和朝廷の支配が、この関東の地にまで及んでいたということが分かるからです。銘文によれば、この刀を作らせた人は、ワカタケル大王が天下を治めたのを助けた人である、とあります。「ワカタケル大王」とは、まず雄略天皇のことでしょう。この人物が、雄略天皇に従属した土着の豪族の長か、中央から派遣された官僚かは断定できませんが、とにかく、5世紀の時点で、大和朝廷の権力は、この辺境の地まで及んでいたと言う事です。
この銘文には、その他にも、おおっと思うことが書かれているのですが、細かい事はともかくとして、ボロボロに錆びた刀身に、1500年以上の年月を経てなお金色に浮かび上がる太古の人が書いた文字に、神秘的な美しさを感じずにはいられませんでした。
この鉄剣が埋葬されていた稲荷山古墳の頂にも立ってみました。同時代の河内の仁徳天皇陵などに比べれば、1/3くらいの大きさですが、下から見上げたのでは想像もつかないくらい、かなり遠くまで見通すことができました。
今から1500年以上も昔に、この地に、死してなお、金色に輝く剣を携え、自分の領地を睥睨していた長がいた、と言う事実に、歴史の悠久のロマンを感じ、しばしぼーっとしてしまいました。
で、その行田の鉄剣ですが、10年ほど前ですが、歴史ヲタクの私は、どうしても実物を一目見たくて、行田まで行ったことがあります。古代史の本場は、当時の先進地域であった北九州と大和、河内。にもかかわらず、どうして私がこの辺境の地で出土したたった一振りの鉄剣を見たかったかと言うと、この鉄剣が、それだけの歴史的な価値がある発見だったからです。
行田市には、「さきたま古墳群」と呼ばれる古墳群があり、今はその一帯が、「さきたま風土記の丘公園」という公園になっています。例の鉄剣は、その公園の中の資料館に展示されています。
その鉄剣は、古墳群の中の一つである稲荷山古墳から、埋葬者の副葬品として出土しました。出土当初は、何の変哲もない鉄剣と思われていたのですが、X線検査をしたところ、剣に文字が書かれていることが判明、表面をの錆を落としたところ、中から金の文字が浮かびあがってきた、ということです。
なぜこの剣がすごいかというと、まず第一に、作られた年が特定できるということ。「辛亥年七月」に作られた、と書かれています。十干十二支の年号は60年で一巡してしまうので断定は出来ませんが、まず西暦471年でしょう。考古学の出土品で、正確な作成年が分かることは、極めて珍しいことです。
第二に、これが、日本人が書いた、現存する日本最古の文字かもしれないということです。日本最古の書物の「古事記」「日本書紀」「万葉集」が編纂されたのは8世紀です。その約250年前の文字なんです。当時としては辺境の地であった関東の豪族が、ちゃんと文字を使っていたということで、当時の日本人は、既にそこそこの文化レベルにあったという証拠でもあります。
第三に、当時すでに大和朝廷の支配が、この関東の地にまで及んでいたということが分かるからです。銘文によれば、この刀を作らせた人は、ワカタケル大王が天下を治めたのを助けた人である、とあります。「ワカタケル大王」とは、まず雄略天皇のことでしょう。この人物が、雄略天皇に従属した土着の豪族の長か、中央から派遣された官僚かは断定できませんが、とにかく、5世紀の時点で、大和朝廷の権力は、この辺境の地まで及んでいたと言う事です。
この銘文には、その他にも、おおっと思うことが書かれているのですが、細かい事はともかくとして、ボロボロに錆びた刀身に、1500年以上の年月を経てなお金色に浮かび上がる太古の人が書いた文字に、神秘的な美しさを感じずにはいられませんでした。
この鉄剣が埋葬されていた稲荷山古墳の頂にも立ってみました。同時代の河内の仁徳天皇陵などに比べれば、1/3くらいの大きさですが、下から見上げたのでは想像もつかないくらい、かなり遠くまで見通すことができました。
今から1500年以上も昔に、この地に、死してなお、金色に輝く剣を携え、自分の領地を睥睨していた長がいた、と言う事実に、歴史の悠久のロマンを感じ、しばしぼーっとしてしまいました。
鶴沼は夏にもあるじゃないか??
なんか古代スープもあるらしい・・・
どんな味なんだろうね
我が家家族全員では,毎年鉄剣マラソンにでています。女房が20キロ(今年は10キロかな),上の息子が学年の1.3キロ,下の息子が私とジョギングです。今年は私が5キロか10キロに出ようと思っています。ここから復活です。
RASCALさんは,光が丘で練習しているのですね。私と一緒です。どこかでお会いしているかもしれませんね。私はキロ6分から7分ぐらいで走っているので,うしろから抜かれているかもしれません。
また,ちょくちょくよらせてもらいます。
マダム師匠さんか ウルトラランナーのD君に聞いてみてください
荒川のあとの50Kはきついですよ
足壊したら 大江戸ギャルとの伴走できなくなりますよ
いっそうのこと、仮装してどうですか?(^^)
行田には弟の自宅があり(現在はマニラ在住で、毎朝ベルトの上を走っているようですが)、その関係から、鉄剣の資料館にも行ったことがあります。古墳の頂にも立ちました。ただ、Rascalさんほどの見識がありませんので、今になってその解説を拝読し、改めて感嘆しました。
結局、鉄剣マラソンの10kmの部を申し込みました。
でも、確か、レースは「さきたま風土記の丘公園」は全然通らないんですよね。