Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2015年ヨーロッパ旅行ージュードの洗礼(クリズニング)

2016-02-13 20:43:13 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

1月1日に英国に帰った娘夫婦から、1月23日に北アイルランドでジュードの洗礼を受けるという連絡が入り、こんな寒さにどうしてと思ったものの、可愛い孫のためならと北アイルランドへ行くことに決めた。

娘婿が北アイルランドのベルファーストの出身で、ロンドンデリーの教会の神父さんが彼の叔父さんにあたる。あまりに急な話で娘の友達は誰も出席できないという。ポルトガルのファーロ空港から直接ベルファーストへ行く飛行機もあるが、出席するのにジーンズにTシャツではまずいだろうと、いったんロンドンの我が家へ帰ることにした。

1月20日早朝電車とバスを乗り継いでファーロ空港へ行き9時50分発のロンドンガトウィック空港へ飛んだ。3時間近くでガトウィックに着き、晴天であまり寒くないのに驚いた。何しろもう6年以上も英国の冬を経験していない。電車を乗り継いで娘の家へ行き夕方娘が我が家へ送ってくれた。長い間空き家にしていた家は冷蔵庫の中にいるように完全に冷え切ってセントラルヒーティングにガスストーヴもつけているが温まらない。結局寝るまで着ていったオーバーコートが離せなかった。

帰宅して良かったことは前庭の花壇いっぱいにからし菜がすくすく伸びてちょうど食べごろ、4月に帰国していれば花が咲いて種になっているであろう。全部引き抜いて,湯どうしをして蓋つきの容器に入れて塩を振り素晴らしいからし菜の漬物ができた。3等分し娘と彼女の家に来る掃除婦に上げ、3分の1はポルトガルへ持って帰った。

 

裏庭の畑のポルトガルキャベツは暖冬のせいで花が咲きだし、つぼみのを全部取って、ブロコリーの代わりにゆでて食べた。これも4月までには種になっているはず。前庭の小さな柿の木にまだなっている柿の実が熟柿になり、ブラックバードが1日中つついていた。

翌日は私はベビーシッターに使われ亭主はショッピングで夕方二人で早い夕食、私は久しぶりのバービカンへロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏を聴きに行ってきた。

 

金曜日朝からまたガトウィック空港へ行き、12時過ぎの飛行機でベルファーストへ飛び立った。1時間5分でベルファースト空港へ着いて、娘婿パトリックのご両親が車で迎えに来てくれた。彼らはベルファーストの郊外のカリックファーガス(Carrickfergus )に住んでいる。娘がホテルを予約してくれていたのがカリックファーガス城のすぐ近くの港のあたり。

  

土曜日の朝ホテルへ迎えに来てくれたパトリックが遠回りをして彼の家の向かいの高台の慰霊塔へ連れて行ってくれた。いかにもアイルランドの冬にふさわしい天気で今にも雨が降りそう。でも雪にもならずやっぱり地球温暖化を感じる。

ベルファーストからロンドンデリーまで約100kmの道のりをパトリックのお父さんジュードが運転して連れて行ってくれた。

パトリックは彼の息子に父親と同じ名前を付け、私たちの孫は両方のおじいさんからもらった名前でジュード・ポールという。

ロンドンデリーのレストランで昼食を食べている時に、我が孫ジュードのゴッドファーザーになるトムさんがたどり着いた。彼はパトリックの学級親友で旧ユーゴスラヴィアのモンテネグロで働いている。金曜日に飛行機でイスタンブールまで飛んで1泊し土曜日早朝南アイルランドのダブリンに着き、レンタカーを駈ってやっとロンドンデリーにたどり着き間に合ったと大喜びだった。

 

 

午後3時過ぎ雨の中を教会に向かう。灰色の小さな教会の印象で中に入ってびっくり、きれいで立派な教会だった。

 

 

洗礼用の白い服を装ったジュードは長い退屈なお祈りの間も泣きもせず、頭に聖水をかけられたときに一声上げただけで行儀のよい子だった。

ジュードにとっては初めての4人の祖父母に囲まれた記念写真。

 

日曜日のお昼娘夫婦はもう空港へ出発し、私たちはパトリックが昔通った中学・高校の前にある高級レストランで、パトリックのご両親と一緒に昼食を食べ空港へ送ってもらった。写真の後ろがパトリックの通った学校。

月曜日1日また子守に使われて火曜日の早朝6時半の飛行機でポルトガルへ帰ってきた。なんと忙しいしかし実りのある1週間だったことか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする