Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

最後のキャンプ旅行ードブロヴニック2日目

2016-06-22 17:53:31 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 翌日水曜日、天気予報では大雨というのに素晴らしい晴天になった。昨日歴史博物館へ入ったときに入場料100クーナを払い写真撮影不可と言われて膨れて帰ってきたのに、チケットをよく見るとこの博物館だけでなくほかに8か所の博物館や美術館がみられるという。二人でバスで出かけたが、私は壁の内部のあらゆる館なるものを見ようとし、亭主はフェリーのチケットとキャンパーの停車地を調べに港へ行った。2時間の自由時間をフルに使おうと大急ぎで民族博物館へ。右上の像は聖ヴラホでこの町の守護神としてうやまれている。左手に持つのはこの町のモデル。

 

 この民族博物館は階段をたくさん上った高台にあり、内部の写真はやっぱり撮影不可だったが、博物館の2-3階の窓からドブロヴニックの町が眼下に見える。堅固な壁の上を歩いているたくさんの観光客やテラコッタ色の屋根が整然と並んでいる下町、

 

大聖堂のドームなどこのほうが博物館内よりも格段に素晴らしかった。

 

 

 港に突き出ている巨大な建物は海洋博物館で、船に積んでいたであろう大砲や

 

 16-17世紀の港の絵など面白い。右上はこの港や街を描いた油絵で、お土産屋さんで売っていた。

 

 歴史博物館の玄関口、過去には宮殿だったらしいが2階建てのきれいな建築物。民族衣装を着て土産物の刺繍をしている女性。

 

 このドブロヴニックの要塞は城塞でなく(王は存在しなかったしお城もなかった。)ここは7世紀に町の基本が築かれ、中世を経て12世紀には自由都市として内政、外交,海運交易、建築などの法規が制定され、市民は自由と独立を謳歌していたという。

現在では世界中から押し寄せる観光客がこの小さな都市を豊かにしている。クロアチアで一番観光客の訪れる町として知られる。

  

 夕方5時までキャンパーをキャンプサイトに預けていたが、夜10時出航前には港へ行かねばならぬ。港を見下ろす対岸の駐車場で時間待ち、夕食も終えて、夜8時には港の前の大きなスーパーで食料を買い込み持っていた現金を全部使い終えた。足りない分はカードで支払った。これが外貨を無駄にしない最良の手段。

 

 

9時にはフェリーに積み込まれたが、この2週間の間にフェリーの客席は満杯で、カフェーの椅子で一夜を明かすことになった。オフィスではリクライニングの椅子があるということだったが、そこは鍵がかかって入れず、カフェーのソファーは2席ごとに木の板で仕切りがされて横になれないようになっている。いかにも寝るなと言わんばかり、こんなに不親切な不愉快な目にあったことはない。ちなみにベットのある客席は全部中国人団体に予約されていた。

コメント (2)
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