Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

最後のキャンプ旅行ーミロゴユ墓地 (

2016-06-17 21:34:24 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

ザグレブ初日にシャトルバスで知り合ったオランダ人夫妻が、ぜひおすすめとバスのチケットもくれて、2日目の朝9時のバスと電車でザグレブへ行き市バスに乗ってザグレブ郊外へ行った。

 

 バス停が墓地の正面門の前で止まり、門の両側のタワーの数の多いこと。ここはヨーロッパで最も美しい墓地の1つと言われているとの案内書。

 

 

 

 

門を入ると壁に沿って回廊になっていてすべての壁になくなった人々の名前やキリスト像、天使などが飾られている。この回廊の長いこと奥が見えない。

 

 

 墓地もいろいろな形の墓石で整然とならんでいる。

 

通路は背の高い木々が遠くまで並木になっていて、遠くが見えない。

 

 

 壁と回廊が途切れたところから壁の外へ出てみてまた驚いた。見渡す限りの墓石で背の高い十字架の周りもびっしり墓石が並んでいる。

 

 スタンダードな墓石は左の写真にあるような長い石の蓋が上を覆うようになっている。クロアチアはカソリックがほとんどでカソリックは死体を焼却せず、埋葬にするため遺体を長い墓石の穴へ入れて上から石の蓋をするだけらしい。右のウルトラモダンな墓石は17歳で亡くなったエドワード君のもの、ご両親の悲しみが心に沁みる。

 

 行けども行けども墓石の行列、それなりに家族が墓地を大切にしているらしく墓石を洗っている人たちや枯れたお花を取り換えている家族連れを何度も見かけた。丘の上の墓地の終わりかと崖下を見るとこれまたお墓がいっぱい。

 墓地の見取り図でこの墓地の大きさが少しはわかるかもしれない。左側の小さな図の黄色の部分が右側の図面全部に相当する。

 

珍しいお墓といえばこのプロペラがついている古いお墓で死者は元パイロットだと一目でわかる。ツタが這って文字を覆い隠しているが1896年生まれ1931年に亡くなっている人で37歳では事故死に違いない。それにしても家族がもういないのか墓守が来ていないようだ。右の立派なお墓はイスラエルのヒーブル語で書かれてある。ドクターホセア・ジェコブはユダヤ人だ。

 

 

 墓石に等身大のきれいな天使が寄り添って、遺族の心が和むであろう。右の像は第一次世界大戦で亡くなった人たちのメモリアル像で心打たれる。

 

 お金持ちの家族の墓石と言おうかお墓の家というのか、家族の名前が中の壁に彫り込まれている。右の小さな墓石は戦死者のお墓で遺体は埋まっていない。

 

 面白い字体の墓石でここだけでしか見られなかった。巨大な石のモニュメントは第2次大戦時の戦死者のモニュメントで永遠の火が燃えていた。壁にはアルファベット順に戦死者の名前が彫ってあった。

 

 クロアチアの初代プレジデント ドクター・フラニョ・トッドマン(Dr Franjo Tudman)1922-1999 のお墓が一番立派でここでも永遠の火が燃えていた。

 

 

墓地の向かい側の道路沿いに墓石を作る石屋が並んでいて、死はお金がかかるものだと判らせてくれる。墓地の木々や墓石の手入れをする人々などここでは多くの人たちが働いていた。これも残された人たちの出費になるに違いない。

正面玄関の反対の大きな教会でちょうどお葬式を行っていた。私たちが帰りのバスを待つ間に霊柩車を先頭に喪服の人々100名ほどがゆっくり墓地に向かっていった。交通整理に警察官が出てきたほど交通が止まってしまっていた。

墓地は観光ではないにしろこんなに巨大で手入れの行き届いた、そしてこれほど芸術的な墓地を見たことがない。3時間歩きまわって墓地の大きさを知った。美術館へは入りたくない亭主はこの墓地がすごい、面白いと興奮して歩き回っていた。

 

 

 

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