林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

ツーデーパスの旅 3.

2010-03-17 | 鉄道・旅行
3.「富士登山電車」と勝沼ぶどう郷のEF64

富士急行の「富士登山電車」は2両編成の1205編成が使用される。
1205は「青富士」と呼ばれ、自由席車両であり、
1305は「赤富士」と呼ばれ、着席券が必要となる指定席車両である。
デザインはJR九州や和歌山電鐵のいちご電車、おもちゃ電車などで有名な水戸岡鋭治氏で、
外観は河口湖駅前に静態保存されている「モ1号」を意識した塗色を採用、
車内のレイアウトやデザインも水戸岡さんらしい、
木の温もりを大切にした曲線を多用したデザインとなっている。



いちご電車やおもちゃ電車を連想する人も多いだろう。
12:08に河口湖を出発した「富士登山電車4号」は60分で大月に到着する。
「赤富士」ではアテンダントが同乗し、コーヒーのサービスや車窓の案内などをしている。
大月に到着してここで中央本線下り列車を待つ。
大月駅は岩見城跡の最寄り駅であり、ホームにはその案内板が書かれている。

  岩殿城跡(武田24将岩殿城主 小山田左兵衛尉信茂の里)

  名城岩殿本城跡は戦国時代の幕あけのころ、
 大永七年(一五二七)郡内領守護小山田越中守信有により築城され標高六三七m。
 宝珠形にそそり立つ岩城の山頂部に戦国期の遺構が集中している。
 最高部の展望台には、「本丸」、「のろし台」、「二の丸」、「三の丸」、
 その下に「蔵屋敷」や一,〇〇〇m2mもある「馬場」
 更に炊事に用いた「亀が池」又人馬の水浴用とした「馬冷やし池」などがある。
 この本城の守りとして西方城門には自然の巨岩を切り開いて造った堅固な「揚城戸」や
 東方には七〇mに及ぶ「から堀」大岩窟をそのまま城塞とした「七社洞窟」「新宮出丸」などがある。
 そのほか隣国領を遠望できる「物見台」や「帯くるわ」「たて堀」「土塁」「脱出路」など
 関東一を誇るこの名城の史跡は、訪れる人々に遠き戦国の時代をしのばしてくれる。
 岩肌に茂る老松に渡る風の音も武将の哀史を伝えている。
 明治十二年の晩秋、乃木大将もこの古城に登り、英雄の歴史に思いをはせ、
 剣に仗り帳然として夕日を見ると万感せまる哀詩を残している。
 現在大月市街地を一望できる岩殿山にその詩碑が立てられている。

13:26に到着し、10分大月に停車する中央本線下りで勝沼ぶどう郷駅まで行く。
この駅は既に取材済みであるが、
EF64型18号機が静態保存されていることを知り、改めて取材することにした。
駅前には旧勝沼駅についての案内が書かれている。

  旧勝沼駅

 明治三十五年(一九〇二)七月六日笹子隧道が貫通し、
 翌明治三十六年六月十一日東京~甲府間の中央線が開通したが、
 最寄りの初鹿野駅までは急坂がつづくことから新駅の開設が切望され、
 明治四十年に勝沼町、菱山村が中心となり近隣の村にも呼びかけ寄付を募り、
 設置の請願が出され、明治四十四年七月より工事が始まり、
 大正二年(一九一三)四月八日に新駅の開業となった。
 新設された駅は、スイッチバック方式で、
 九二〇メートルに及ぶ引き込み線を備えた。
 現在でも一体は明治、大正時代に建設された施設の面影が随所に残されている。

  昭和六年四月-甲府駅以東電化される
  同年十月-直通線路開設される
  昭和三十五年-貨物停車がなくなる
  昭和四十五年-甲府以東複線化される
  昭和五十五年-現駅舎完成
  平成五年四月-勝沼ぶどう郷駅となる

                     勝沼駅 教育委員会

EF64型18号機は駅前甚六公園に静態保存されている。



保存機には甲州市によってと以下のような解説が書かれている。

 EF64形式の電気機関車は、昭和39年(1964)に
 旧日本国有鉄道が勾配線区用に開発した直流電気機関車です。
 昭和51年(1976)までに基本形(0番台)79両が製造されたのち、
 昭和55年(1980)~57年(1982)に大幅な設計変更を行った
 改良形(1000番台)が53両つくられました。
 後続機関車のEH200形の登場に伴い、
 平成15年(2003)年から順次廃車されています。
 18号機は昭和41年(1966)5月に製作され、
 主に貨物車を牽引して中央本線などを走りました。
 単線当時の中央本線を知る貴重な機関車です。
 その後、南武線、青梅線、篠ノ井線などで活躍した後、
 平成17年(2005)3月に現役を引退しました。
 甲州市では,大日影トンネルや深沢トンネルなどの鉄道遺産、
 駅前公園の整備にあわせてモニュメントとして平成18年(2006)11月に設置しました。
 鉄道がぶどうやワイン産業など地域の発展に果たした役割は計りしれないものがあります。
 勝沼駅を駆け抜けた往年の名機関車はそんな歴史を私たちに語りかけてくれます。

  電気機関車 EF6418

 ■EF6418の履歴
  形式8EF64
   ※EはELECTRIC(電気)の略、Fは動輪数6、64は形式を表します。
  番号/18
   ※同形式で18番目につくられた18号機を表します。
  製作所/東京芝浦電気株式会社
  新製年月/昭和41年(1966)5月18日
  移動歴/
   S41(1966)5.19 甲府機関区    東京鉄道管理局       新製到着
   S58(1983)3.17 立川機関区    東京西鉄道管理局      配置替
   S59(1984)2.1  八王子機関区   東京西鉄道管理局      配置替
   S61(1986)11.2 篠ノ井機関区   長野鉄道管理局       配置替
   S62(1987)4.1  篠ノ井機関区   日本貨物鉄道(株)関東支社 社名変更
   H7 (1995)4.1  篠ノ井鉄道総合部 日本貨物鉄道(株)関東支社 区名変更
   H16(2004)4.1  塩尻機関区    日本貨物鉄道(株)関東支社 区名変更
  用途廃止/平成17年(2005)3月30日
  走行距離/2,813,892.8km
   ※地球約70週分に相当
                     協力/日本貨物鉄道株式会社 関東支社

この静態保存機を取材し、更に奥まで行き、大日影トンネルまで行く。
ここは中央本線でかつて使われていたトンネル跡で、現在では遊歩道として整備されている。
全長は1367.80mあり、標準歩行時間は30分と書かれている。
行ってみたいが、往復60分はさすがに辛いし、予定も狂ってしまう。
入口から少し入っただけで撤収した。
ここにも案内板が設置され、以下のように書かれている。

 中央本線大日影トンネルは、
 明治36年(1903)から94年にわたって旅客や貨物の輸送を支えた。
 地域の近代化に貢献した貴重な鉄道遺産を後世に伝えていくため、
 遊歩道として再生されたトンネル内には、
 レンガ壁やレール、鉄道標識などが、使われた当時のまま保存されている。
 36か所ある待避所のうち16か所に
 大日影トンネルの歴史や見どころなどの説明プレートが付けられている。
 流通革命をもたらした鉄道の歴史とともに、
 レンガ造りの構造など明治の鉄道土木技術について理解を深めることができる。
 大日影トンネルは百年の歴史を越えて、多くのことを私たちに語りかけてくれる。

 【中央本線大日影トンネル】

 ○全長  1367.80m
 ○幅   3.57m~3.74m
 ○高さ  4.90m
 ○起工  明治30年(1897)
 ○貫通  明治35年(1902)
 ○開通  明治36年(1903)
 ○電化  昭和6年(1931)
 ○複線化 昭和43年(1968)下り線専用となる
 ○廃線  平成9年(1997)時間短縮等のため新トンネル建設に伴い閉鎖
 ○平成17年(2005)東日本旅客鉄道(株)の厚意により旧勝沼町に無償譲渡
 ○遊歩道化 平成19年(2007)国土交通省まちづくり交付金事業により整備

勝沼ぶどう郷駅まで戻り、予定通り14:37の下り電車で竜王まで行く。
ここは以前取材したが、新駅舎になったために再訪問した。
しかし新駅舎は完成したものの、駅前の整備が追いついておらず、
そのため駅舎をちゃんと取材できなかった。
予定ではここで40分の取材時間を取っていたが、
やってきた15:17の上り電車に飛び乗り帰ることにした。
高尾まで戻り、ここで接続した201系に飛び乗る。
正面には「201系、愛されて30年」というステッカーが貼られている。



本当はこれで中野まで出るつもりだったが、
八王子でEH200型17号機を見かけ、急遽下車してこれを取材する。
中央快速線で中野まで行き、「ハンバーグハウス」で夕食を喰ってから、各駅停車で帰る。
ツーデーパス1日目の旅はこれで終了した。
コメント
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