2.富士急行の旅-モ1号と吉田うどんの河口湖
ツーデーパスの旅、一日目の2月20日土曜日は、
06:00の千葉行きに乗って千葉に行き、ここで快速に乗り換えて東京まで行く。
何時もなら千葉の「万葉軒」でカレーうどんを喰うところだが、
千葉駅が改装工事のため構内の店のほとんどが閉店しているので、
快速で東京まで行き、「大江戸そば」でかき揚げうどん360円を喰う。
予定通り、07:20東京発の中央特快で高尾まで行き、
ここで予定より早い08:20甲府行きに乗り換え、大月まで行く。
甲府行きはしなの色の115系だった。
大月で直ぐに富士急行の09:02発の1000系に乗り込む。
高尾も大月も直ぐの乗り換えのため、トイレに行く暇がなかった。
富士急行は富士登山の拠点である吉田と中央本線とを結ぶ鉄道で、
1926年9月に設立され現在の河口湖線を施設した富士山麓電気鉄道が始めである。
1900年9月に開業した都留馬車鉄道、
1903年1月に開業した富士馬車鉄道が大月と吉田間を馬車鉄道で結んでいたが、
途中乗り換えが不便で時間がかかることから1921年に合併して電化開業した。
合併して富士電気軌道を富士山麓電気鉄道が1928年にその路線を譲渡されて現在の形となり、
1960年5月に富士急行に社名を変更した。
大月から富士吉田は23.6kmで、ここでスイッチバックして3.0kmの河口湖線になる。
富士急行はリニア試乗会のために禾生まで乗ったことがあるが、
その先は初めての体験となる。
途中、元パノラマエクスプレスアルプスの165系をJR東日本から譲り受け、
フジサンのイラストを施した「フジサン特急」などともすれ違う。
09:55に富士吉田に到着してここで駅取材、
10:15のホリデー快速河口湖1号で隣の富士急ハイランドまで行く。
ホリデー快速河口湖1号にはしなの色の189系が充当されていた。
ここでは列車の都合でいったん富士吉田まで戻る。
それまでの間、外から富士急ハイランドの“ええじゃないか”などを取材する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/07/6fc0221cbff2cb3ce73f62e87e64cccd.jpg)
115系横須賀色で富士吉田まで戻り、直ぐにリバイバル塗色の1000系で河口湖まで行く。
この駅は以前から一度来たいと思っていたのだ。
ここの駅前には富士登山鉄道時代の電車「モ1号」が静態保存されている。
今回の訪問の一つの目的はこの車輌を取材することだったのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/0a/8f3595fded97c1a2a47e384eaf336e2f.jpg)
また、車輌の解説版には以下のように書かれ、また諸元や豆知識なども書かれている。
富士急行の前身である、「富士山麓鉄道」が1929年(昭和4年)の開業に際して新造した車両。
モ1号からモ5号まで5両が製作され、富士山に向かって走る日本有数の急勾配路線用として、
電気ブレーキや砂まき装置を装備するなど、急勾配対策を万全に施した、当時の最先端車両であった。
本展示車両は、富士急行創立60周年記念事業にて、
上田丸子電鉄(現・上田電鉄)に譲渡されていた車体を引き取り、整備、復元したものである。
車輌諸元
形式:モ1
製造年:昭和4年(1929年)
種別:半鋼製2軸ボギー制御電動客車(両運転台式)
最大寸法(長×幅×高):15,240mm×2,725mm×4,092mm
車体寸法(長×幅):14,426mm×2,600mm
自重:34t
定員:102人(座席50人)
制御装置:電気電磁弁式直列総括制御(LH)
制動装置:空気ブレーキ・電気ブレーキ・手ブレーキ
電動機:93.25kw×4個
歯車比:3.88
モ1君の豆知識!
僕が乗っているレールを見て。
CARNEGIE 1897って書いてあるでしょ?
これはCARNEGIEカーネギーっていう人が
1897年(100年以上昔!!)に作ったレールだということをあらわしているんだ。
カーネギーはアメリカの鉄鋼王だった人だよ。
鉄鋼王が作ったレールに乗れるなんて最高さ。
実は駅のホームの柱にも大昔のレールが使われているんだよ。
このあと河口湖を駅取材し、駅に併設されている「Gateway Fujiyama」で、
吉田うどん600円、ふじやまビール500円などを喰う。
基本的には鉄道取材で写真を撮りに来た時にはアルコールは厳禁としているのだが、
“ふじやまビール”という魅惑的なネーミングに、ついついオーダーしてしまった。
吉田うどんで腹を満たして、2000系「フジサン特急」や1000系「富士登山電車」の取材をして、
12:08河口湖発の富士登山電車4号で大月に向かう。
ツーデーパスの旅、一日目の2月20日土曜日は、
06:00の千葉行きに乗って千葉に行き、ここで快速に乗り換えて東京まで行く。
何時もなら千葉の「万葉軒」でカレーうどんを喰うところだが、
千葉駅が改装工事のため構内の店のほとんどが閉店しているので、
快速で東京まで行き、「大江戸そば」でかき揚げうどん360円を喰う。
予定通り、07:20東京発の中央特快で高尾まで行き、
ここで予定より早い08:20甲府行きに乗り換え、大月まで行く。
甲府行きはしなの色の115系だった。
大月で直ぐに富士急行の09:02発の1000系に乗り込む。
高尾も大月も直ぐの乗り換えのため、トイレに行く暇がなかった。
富士急行は富士登山の拠点である吉田と中央本線とを結ぶ鉄道で、
1926年9月に設立され現在の河口湖線を施設した富士山麓電気鉄道が始めである。
1900年9月に開業した都留馬車鉄道、
1903年1月に開業した富士馬車鉄道が大月と吉田間を馬車鉄道で結んでいたが、
途中乗り換えが不便で時間がかかることから1921年に合併して電化開業した。
合併して富士電気軌道を富士山麓電気鉄道が1928年にその路線を譲渡されて現在の形となり、
1960年5月に富士急行に社名を変更した。
大月から富士吉田は23.6kmで、ここでスイッチバックして3.0kmの河口湖線になる。
富士急行はリニア試乗会のために禾生まで乗ったことがあるが、
その先は初めての体験となる。
途中、元パノラマエクスプレスアルプスの165系をJR東日本から譲り受け、
フジサンのイラストを施した「フジサン特急」などともすれ違う。
09:55に富士吉田に到着してここで駅取材、
10:15のホリデー快速河口湖1号で隣の富士急ハイランドまで行く。
ホリデー快速河口湖1号にはしなの色の189系が充当されていた。
ここでは列車の都合でいったん富士吉田まで戻る。
それまでの間、外から富士急ハイランドの“ええじゃないか”などを取材する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/07/6fc0221cbff2cb3ce73f62e87e64cccd.jpg)
115系横須賀色で富士吉田まで戻り、直ぐにリバイバル塗色の1000系で河口湖まで行く。
この駅は以前から一度来たいと思っていたのだ。
ここの駅前には富士登山鉄道時代の電車「モ1号」が静態保存されている。
今回の訪問の一つの目的はこの車輌を取材することだったのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/0a/8f3595fded97c1a2a47e384eaf336e2f.jpg)
また、車輌の解説版には以下のように書かれ、また諸元や豆知識なども書かれている。
富士急行の前身である、「富士山麓鉄道」が1929年(昭和4年)の開業に際して新造した車両。
モ1号からモ5号まで5両が製作され、富士山に向かって走る日本有数の急勾配路線用として、
電気ブレーキや砂まき装置を装備するなど、急勾配対策を万全に施した、当時の最先端車両であった。
本展示車両は、富士急行創立60周年記念事業にて、
上田丸子電鉄(現・上田電鉄)に譲渡されていた車体を引き取り、整備、復元したものである。
車輌諸元
形式:モ1
製造年:昭和4年(1929年)
種別:半鋼製2軸ボギー制御電動客車(両運転台式)
最大寸法(長×幅×高):15,240mm×2,725mm×4,092mm
車体寸法(長×幅):14,426mm×2,600mm
自重:34t
定員:102人(座席50人)
制御装置:電気電磁弁式直列総括制御(LH)
制動装置:空気ブレーキ・電気ブレーキ・手ブレーキ
電動機:93.25kw×4個
歯車比:3.88
モ1君の豆知識!
僕が乗っているレールを見て。
CARNEGIE 1897って書いてあるでしょ?
これはCARNEGIEカーネギーっていう人が
1897年(100年以上昔!!)に作ったレールだということをあらわしているんだ。
カーネギーはアメリカの鉄鋼王だった人だよ。
鉄鋼王が作ったレールに乗れるなんて最高さ。
実は駅のホームの柱にも大昔のレールが使われているんだよ。
このあと河口湖を駅取材し、駅に併設されている「Gateway Fujiyama」で、
吉田うどん600円、ふじやまビール500円などを喰う。
基本的には鉄道取材で写真を撮りに来た時にはアルコールは厳禁としているのだが、
“ふじやまビール”という魅惑的なネーミングに、ついついオーダーしてしまった。
吉田うどんで腹を満たして、2000系「フジサン特急」や1000系「富士登山電車」の取材をして、
12:08河口湖発の富士登山電車4号で大月に向かう。