2.播但線と加古川線と姫新線
播但線は山陽本線姫路から山陰本線和田山を結ぶ陰陽連絡線の一つである。
路線距離は65.7km、全区間が単線で、姫路から寺前までが直流電化されている。
播但線は播但鉄道により1894年7月26日に姫路から寺前までの区間が敷設された。
1895年1月15日には隣の長谷まで延伸、
同年4月17日には姫路から飾磨までと長谷から生野までが延伸、
1901年8月29日には生野から新井までが延伸された。
播但鉄道は1903年6月1日に全路線を山陽鉄道に譲渡、
山陽鉄道により1906年4月1日に新井から和田山まで延伸、全通した。
1906年12月1日に山陽鉄道は国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定により、
姫路から飾磨港、姫路から和田山、
そして山陰東線として既設された城崎(現・城崎温泉)までが播但線に制定された。
播但線としてその後福知山まで延伸されるが、
1912年3月1日に和田山から福知山までの区間が山陰本線に編入された。
初代の飾磨は1915年9月21日に飾磨港に改称されたが、
戦後の1986年11月1日に姫路から飾磨港までの区間は廃止された。
路線距離は65.7km、全区間が単線で、姫路から寺前までが直流電化されている。
播但線は播但鉄道により1894年7月26日に姫路から寺前までの区間が敷設された。
1895年1月15日には隣の長谷まで延伸、
同年4月17日には姫路から飾磨までと長谷から生野までが延伸、
1901年8月29日には生野から新井までが延伸された。
播但鉄道は1903年6月1日に全路線を山陽鉄道に譲渡、
山陽鉄道により1906年4月1日に新井から和田山まで延伸、全通した。
1906年12月1日に山陽鉄道は国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定により、
姫路から飾磨港、姫路から和田山、
そして山陰東線として既設された城崎(現・城崎温泉)までが播但線に制定された。
播但線としてその後福知山まで延伸されるが、
1912年3月1日に和田山から福知山までの区間が山陰本線に編入された。
初代の飾磨は1915年9月21日に飾磨港に改称されたが、
戦後の1986年11月1日に姫路から飾磨港までの区間は廃止された。
加古川線は山陽本線加古川駅から福知山線谷川をまでの、
路線距離487.5kmの全線単線の直流電化路線である。
加古川線は加古川水系の河川舟運を代替する目的で設立された播州鉄道が、
加古川町から国包(現・厄神)までの区間を1913年4月1日に敷設したのに始まる。
同年8月10日には西脇(西脇市とは別駅)まで延伸、
同年10月22日に途中駅として野村(現・西脇市)が開業した。
1915年5月14日に起点の加古川町を国鉄加古川に統合、
播州鉄道は1923年12月21日に播丹鉄道に路線を譲渡、
播丹鉄道によって1924年12月27日に野村から谷川まで延伸、全通した。
戦時中の1943年6月1日に播丹鉄道が国有化され、
加古川から野村を経由して谷川までの区間を加古川線、
野村から分岐して西脇の区間はその後鍛冶屋まで延伸した区間を含めて鍛冶屋線となる。
鍛冶屋線は第3次特定地方交通線として廃止が承認され、
分割民営化後にJR西日本に継承後の1990年4月1日に全線が廃止された。
この時に野村は駅名を西脇市に改称した。
路線距離487.5kmの全線単線の直流電化路線である。
加古川線は加古川水系の河川舟運を代替する目的で設立された播州鉄道が、
加古川町から国包(現・厄神)までの区間を1913年4月1日に敷設したのに始まる。
同年8月10日には西脇(西脇市とは別駅)まで延伸、
同年10月22日に途中駅として野村(現・西脇市)が開業した。
1915年5月14日に起点の加古川町を国鉄加古川に統合、
播州鉄道は1923年12月21日に播丹鉄道に路線を譲渡、
播丹鉄道によって1924年12月27日に野村から谷川まで延伸、全通した。
戦時中の1943年6月1日に播丹鉄道が国有化され、
加古川から野村を経由して谷川までの区間を加古川線、
野村から分岐して西脇の区間はその後鍛冶屋まで延伸した区間を含めて鍛冶屋線となる。
鍛冶屋線は第3次特定地方交通線として廃止が承認され、
分割民営化後にJR西日本に継承後の1990年4月1日に全線が廃止された。
この時に野村は駅名を西脇市に改称した。
姫新線は山陽本線姫路から伯備線新見までを結ぶ、
158.1kmの全線単線非電化路線である。
新見から伯備線に接続して山陰本線に接続しているため、
陰陽連絡線としても機能しているが、
路線距離が長いことなどから地域輸送が中心となっている。
姫新線は作備東線の名称で1923年8月21日に、
津山口から美作追分までが敷設されたのに始まる。
津山口から津山までは現在津山線に編入されている。
1924年5月1日に久世まで延伸、1925年3月15日に中国勝山まで延伸、
一方、作備西線として1929年4月14日に新見から岩山間の区間が部分開業、
1930年4月1日に中国勝山から岩山までの区間が開業し、
作備西線と新規開業区間を編入して作備線に改称された。
津山から東津山までの区間は因美南線として1928年3月15日に開業、
1932年7月1日に因美線全通とともに因美線に改称され、
1936年10月10日に津山から東津山までの区間が因美線から姫新線に編入された。
姫路方面からは姫津線として1930年9月1日に姫路から余部のでが部分開業、
1931年12月23日には東觜崎まで延伸、1932年7月11日に播磨新宮まで延伸、
1934年3月24日には三日月まで延伸した。
同年11月28日には東津山から美作江見までが開業して姫津西線が開業、
姫津線として開業していた姫路から三日月までが姫津東線に改称された。
1935年7月30に日には佐用まで延伸され、この時終着駅として開業した。、
1936年4月8日に美作江見まで延伸され、
姫津西線を姫津東線に編入して姫津線に改称された。
同年10月10日に作備線、因美線東津山から津山までを姫津線に編入の上、姫新線に改称した。
158.1kmの全線単線非電化路線である。
新見から伯備線に接続して山陰本線に接続しているため、
陰陽連絡線としても機能しているが、
路線距離が長いことなどから地域輸送が中心となっている。
姫新線は作備東線の名称で1923年8月21日に、
津山口から美作追分までが敷設されたのに始まる。
津山口から津山までは現在津山線に編入されている。
1924年5月1日に久世まで延伸、1925年3月15日に中国勝山まで延伸、
一方、作備西線として1929年4月14日に新見から岩山間の区間が部分開業、
1930年4月1日に中国勝山から岩山までの区間が開業し、
作備西線と新規開業区間を編入して作備線に改称された。
津山から東津山までの区間は因美南線として1928年3月15日に開業、
1932年7月1日に因美線全通とともに因美線に改称され、
1936年10月10日に津山から東津山までの区間が因美線から姫新線に編入された。
姫路方面からは姫津線として1930年9月1日に姫路から余部のでが部分開業、
1931年12月23日には東觜崎まで延伸、1932年7月11日に播磨新宮まで延伸、
1934年3月24日には三日月まで延伸した。
同年11月28日には東津山から美作江見までが開業して姫津西線が開業、
姫津線として開業していた姫路から三日月までが姫津東線に改称された。
1935年7月30に日には佐用まで延伸され、この時終着駅として開業した。、
1936年4月8日に美作江見まで延伸され、
姫津西線を姫津東線に編入して姫津線に改称された。
同年10月10日に作備線、因美線東津山から津山までを姫津線に編入の上、姫新線に改称した。