rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

昨日の味方は今日の敵のリアル体験

2024-09-30 23:05:51 | つぶやき&ぼやき
今年は、常時キチョウが庭に舞い飛んでいる。
8種類のミモザの鉢植えが置かれているところに、数匹のチョウが乱舞するのだ。
3月から時期をずらして咲くミモザの黄色の花とキチョウの取り合わせは、穏やかで幸せな光景だった。
だから、ほほえましく見守っていたのだが、酷暑が一息つき、ゆったりとした気持ちでミモザを見ていたら、ミモザの葉が乏しく貧相かつ枝先が棒状になり枯れていることに気がついた。
どうしたものかと注意深く観察すると、枝に添うように青虫の大小が至る所についている。
葉の形状にしては違和感を感じると、それはさなぎで、これも枝にたくさん付いていた。
なんと、ミモザたちはキチョウのコロニーとなっていて、食料と住居を提供させられていたのだ。
このままでは枯れてしまうと察知して、一気にキチョウとその幼虫駆除に舵を切った。
ミモザにはカイガラムシもよく取り付くため、目を皿のようにしてキチョウの幼虫とさなぎにカイガラムシを駆逐する。
捕殺を始めて数日、相当数駆除していても、まだまだ発見できるほど居て、キチョウの産卵といたちごっこをしているようだ。
それにしても、自分にとって不都合だと判断した瞬間に、それまで容認していたものが拒絶対象になってしまうとは、身勝手であり理不尽極まりない。
すべてにおいて公平中立であるということは、起きていることすべてを受け入れるということなのかもしれないと、自分にとって敵認定した虫を駆除しながら、ぼんやりと考えていた。
しかし、そこまでの度量の広さも寛容さも覚悟ももてないちっぽけで不完全な自分は、大方自分にとって損得とか快不快、害のあるなしで判断し、生きていくのだろう。
解脱とは、なんと困難極まりない所業なのかと、眩暈を感じながら。

積読が進行中

2024-09-08 12:06:22 | つぶやき&ぼやき
積読歴は、玄人の域だと自認している。
それでも、文庫、新書、単行本等合わせて、おそらくその高さは1mを超えるのではないかと睨んでいる。
いやいや、ただの収集癖でしょう、本があれば賢い気になっているインテリア感覚と突っ込みたい自分もいたりいなかったり。
知識の薫陶効果で、自分の能力アップを夢見ないと言えないけれど、それでもちょっとは数冊をちょこちょこと齧っては置きまた齧りはしている。
過去の自分にはまだ、一冊を通して読みきる体力気力があったけれど、今は青息吐息で本に向き合うていたらくだ。
言い訳をするならば、少しずつ摂取して、それを反芻し、ゆっくりと自分に落とし込んでいるやり方に変わったと感じている。
自分の人生が何を成せるかなど野望も成果もないけれど、知覚できるすべてのものが美しくかつ醜悪で驚異に満ちていることを味わうことができたらという大望をより多く叶えたい。
積読は、その梯子と見立てている。

2024年のリコリス「夏水仙」とぼやき

2024-08-30 12:21:29 | つぶやき&ぼやき


今年も美しい姿を現してくれました、リコリス「夏水仙」でございます。
暑さで体力気力共に尽き果てた私へ、庭にすっくと立ち咲く薄紅色の花が、優しい息吹を寄せてくれました。
おかげさまで、ここにこうして文字を書き連ねられています。

さて、芸術に興味をお持ちの方々には、衝撃的なニュースが届いたと思います。
千葉県佐倉市にある私設美術館DIC川村記念美術館が、来年の一月に休館するというものです。
美術館を運営している企業の業績が思わしくなく、経営効率化の選択を迫られたのでしょう。
とても惜しいことです。
印刷インクなどを主に扱う企業が美術館を設営し運営するその姿勢に、とてもリスペクトしていました。
芸術は余裕の産物であり、その源泉でもあります。
広大な敷地によく手入れされた庭園、ミニマムによりながらクラシカルな建物にゆったりと展示された古典絵画から現代絵画まであり、とても欲張りで豊かな場所です。
レンブラントの肖像画もありながら、特にロスコ・ルームは、秀逸です。
かつては、長谷川等伯「 烏鷺図屏風」なども所蔵していたが、いまありません。
今ある収蔵作品も、売却されるものも出そうです。
経済が低迷し国力が落ちてくると、真っ先に削られるのは、文化と教育ということは歴史を辿れば見えてきます。
経済も大切なのはわかりますが、それを維持していくには何が必要なのかを思えば、今の流れがそれを阻害するしかないように思えてしまいます。

せっかくリコリスが渡してくれた元気も、もう底がついてきたようですね。
今日は、体と心に滋養を付けてくれる食事を取ろうと思います。

老いと読書 「物語」の豊かさ

2024-04-09 15:44:53 | つぶやき&ぼやき
先週、中学時代よりの長年の友人とおしゃべりをしてきた。
ランチを兼ねながら、行ったことのないカフェを探し、非日常を愉しんで、リフレッシュとリラックスをしようという、女子ならではの欲張り放題だ。
レトロなアメリカンタイプなカフェの雰囲気の中で、パスタランチに舌鼓を打ちながらの近況報告はいつもの流れ。
家族のこと、仕事のこと、自身の体調のことを伝え合うと、3時間近く経過した。
他の客もみんな店を後にするころだったから、自分たちも気分を変えようと、他のカフェへ移動する。
数年前から気になっていた、コーヒー専門店へ車を走らせる。
あまり運転を好まなく、はっきり言って苦手な私としては、初めて走る道ばかりを行くので、「もうこれっきりの道かもしれない。本当に今日は探検の日だ。」と、同じく免許は持っていても運転をしない友人と笑いあった。
コーヒー専門店は、とても落ち着いたモダンな雰囲気で、静かにジャズが流れている。
大きなガラスの窓があってもあいにくの雨様なため、より店内はほの暗く、ゆっくり語り合うにふさわしい環境だ。
そうして、注文したストレートコーヒーの芳しい香りに促されるように、読書の話をする。
共に老眼鏡を手放せない年齢あるあるで、あれほど重度の活字中毒であったのにもかかわらず、隙間時間に本を手に取ることが無くなったこと。
かつて寝食を忘れるほど夢中で読み漁った本たちは、書棚に閉じ込められてしまい、たまに思い出して取り出しても、昔の文庫本の活字は小さく、かつ書体も判読しにくいから、書棚の後列に埋葬してあること。
年齢と共に受け取り方が変化して、2~30代に心酔していた作家の文体がすっと入ってこなくなり、しばらくぶりに出版された本を読みさしのままにしてあること。
それらの話しながら、年齢によって、同じ作品でも受け取る深度が変わると実感しあう。
また、自分たちに「物語」の潤いが足りていないことも思い当たった。
なんでも簡単に情報を手に入れられてしまう、しかも検索エンジンで上位50くらいのもので満足してしまう味気なさを憂いた。
あとは、本のカバーデザインがお節介すぎて、イメージの固定化を仕掛けてくることへの不満も出てきた。
もっともこれは、活字離れを何とかしようと四苦八苦工夫している出版社の意図も判らぬではないが、やはりそれには承服しかねる。
活字で構成される文学の、読者のイメージ力を侵害すると思うのだ。
だからなおのこと、純粋な言葉からのイメージの豊かさが必要なのだ、つまり「物語」が。
かつての文学少女?たちが、意気投合し、「本を読もう」「物語を摂取しよう」と申し合わせて、非日常を愉しむ会を閉じる。
外は、どんよりと水を多く蓄えた鉛色の雲が雨を落とし、白色や黄色のヘッドライトを滲ませていた。
友人を家の近くまで送りながら、次は新たなカフェに行こうと約束を交わし、未来に目星をつけたのだった。



激しくてかなわない天気に困惑

2023-05-07 23:19:57 | つぶやき&ぼやき

ハルジオン


都忘れ

ここ二日間、強風が吹き荒れ続けた。
昨日は、乾燥して暖かい西南の風と照りつける陽射しで気温は夏日となり、まだ作付けをしていない畑の表土を猛烈に巻き上げて、夕方まで吹いていた。
特に風の通り道で、しかもなんの遮るものもないところに植えつけた洋ナシやブルーベリーの木が、哀れなほど風に押されていた。
日が暮れてようやく気温が下がってきても、風が収まる気配はない。
朝になり、北東からの冷たい風は雨を伴い、北側の窓に叩きつけていた。
気温はぐんぐんと下がり、前の日の夏から一気に10度以上寒くなり、ぐずぐずと仕舞い遅れていたコタツが復権した。
どうにもこの天気は激しすぎる。
ここに載せた写真は、嵐の前の5月5日に撮ったもの。
人が勝手に雑草とラベリングしたハルジオンは、薄ピンクの可憐な花をたくましく咲かせている。
都忘れは、年々その勢力を拡大して、存在感をアピールする。
家人が木の自然な曲がりや枝の分岐をうまく利用して作ったブラックベリー用の添え木の活躍が、大いに期待される。
ジャーマンアイリスもゴージャスな姿とその芳香で、今年も我が家を愉しませてくれようとしている。
しかし、その後の嵐で、それらはすっかり変わり果てた姿になっているかもしれない。
どうやら予報では、明日も天気は落ち着かないようだ。
石川県では大きな地震に見舞われて、そのあとの荒天がさらに人々の困難を増している。
自然の猛威の前では、人はなんと無力で儚いものか。
だからこそ助け合い、あれこれと困難に備えるのだ。
そのためには、利己的功利的な考えから離れて、公共性公益性を優先させて社会を運営してもらいたい。
昨今を見るに、市民<国という流れで利己的功利的な思惑が強く働いているように感じられる。
いったいどこへ向かっているのだろう。
人として命を授かって生きているけれど、生まれてよかったと、生きていて幸せだと思える人の世界を、地球という生命連合のなかで慎ましやかに築いていく努力を怠っているように思えるのである。


ブラックベリーとナチュラル志向の添え木


ジャーマンアイリス