rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

駆け抜ける秋

2012-10-31 15:46:56 | 随想たち
こうしてキーボードを打つ指先が、冷たくかじかんでいる。
今日の天気予報では、晴れであった。
しかし、昼前あたりには鈍い灰色の雲が空を覆い、昼過ぎて雨だ降り出した。
一雨ごとに寒くなる季節、今月の初めに半袖を着ていたのに、月の半ばを過ぎたあたりにはコタツを出すくらいまで、朝夕の冷え込みがきつくなった。
秋は、駆け抜けようとしている。

スギ花粉に煩わされる者としては、秋は特別な季節。
秋雨の後の土の香りを嗅ぎ、木々の葉の色の移り変わりを楽しむ。
早朝の、スモーキートーンな朝靄のたなびく畑、朝焼けに染まる雲、窓から入るひんやりとした空気。
秋晴れの、スカッと高く青い空、温かみのある緑に変わった芝の色、乾いた北よりの風。
早く訪れるようになった夜が、月と星をつれてくる。
着る物が一枚一枚増えていくごとに、冬に身構える準備が整えられる。

この楽しみが、この秋は落ち着いて味わえなかった。
損をした気分。
でも、いつの日にか、こんな駆け足の秋もあったのだと、話に上ることもあろう。
季節の思い出を語り合えるような幸せな日が続くことを、密かに願わずにはいられない。
ははははは、おかしいではないか、駆け抜ける秋でも、きちんと人を感傷的にする役目を果たしているよ。



クリムトの風景画

2012-10-30 15:22:02 | アート

りんごの木

クリムトといったなら、まずは黄金に輝く「接吻」が有名。
ほかには、エロティックで蠱惑的なまなざしを送る女たちの装飾的な肖像画群だろう。
クリムトの人体表現は卓抜している。
白い皮膚の下に流れる静脈の青さ、高揚して注すほのかな赤み、肌の滑らかさと艶をこうもさりげなく表現する。
もちろん、絵の全てにわたっての細やかな神経の使い方も憎いほどだ。
しかし、クリムトの風景画は、それに劣らない力の入れようだ。

個人的な楽しみのために製作したといわれる風景画。
そのほとんどは、正方形に近い形に描かれている。
クリムトの風景画を知ったとき、絢爛豪華な人物がたちの影が薄くなるのを感じた。
一タッチごとに、クリムトの楽しく高揚した息遣いが感じ取れる。
純粋な野心こそあれ、功名心など微塵も入り込まない、無垢な絵を描く喜びに満ち溢れている。
ボナールも色が響きあう美しい風景画をたくさん描いているが、どこかに必ず生き物が描き込まれている。
構成上だけでなくても、考えれば、ごく自然なこと。
だが、クリムトの風景画に生き物や点景人物が描き込まれているのを、私は知らない。
首都ウイーンで人にまみれて過ごしているだけで、もううんざりと思っているのか。
植物と水、空、山、ときどき建物があれば、それだけで十分なのだという。
クリムトの風景画は、動きを感じさせない、ただ在るということだけが画面を支配している。
クリムトの中で、風景画と人物画は対をなし、バランスを保っているのだ。

私は、クリムトの風景画の中に入り込んでしまいたくなることがある。
誰もいない、動く生き物がいないその中に、溶け込むのだ。
孤独・・・?ではない、植物的な穏やかな生命のサイクルが、そこにはある。
永遠に続く命のサイクルに、加わる。

もしかすると、クリムトは深い絶望の中にいたのではないだろうか。
19世紀末、世界がダイナミックに動き出したのとは裏腹に、癒されることのない孤独の足音を聞いたのかもしれない。

美しいだけではない、深い悲しみと幽かな希望にすがる混在した意識が、クリムトの風景画を浸しているのだ。


アッター湖の島


ぶなの林

食べるー鯨と豚ー

2012-10-29 11:56:05 | 随想たち
鯨肉を食べた。
義父が、旅行のお土産に鯨肉を買ってきたのだ。
義母が、生姜と長ネギで、鯨肉を醤油で甘辛く調理したもので、子供たちも美味しく頂いた。
子供たちは、鯨肉を食べたのはこれが初めてではない。
給食で、鯨の串揚げが出たことがあるから。

私の小学生のとき、しばしばこの鯨の串揚げが、給食に登場していた。
低学年の頃は、鯨のベーコンを使った野菜炒めのようなものもあった。
スーパーの肉売り場のショーケースに、豚肉や鶏肉などと並んで、鮮やかな赤い色に着色された鯨のベーコンがでんと場所を占めていた。
しかし、中学生のときには、鯨は給食に登場しなくなった。

今朝、小さい人を学校の近くまで送り届けたとき、大きな豚を満載したトラックとすれ違った。
食肉工場に輸送するのだろうか。

日本は、国土を海に囲まれた海洋国。
古来、鯨は日本の大切な食糧であり、資源であった。
鯨は、捨てるところがないくらいに完璧に使い果たし、鯨を供養するための寺なども建立したほどだ。
今では、その文化があったことを知る世代は、いなくなりつつある。

その昔、鯨漁は、人と鯨の真剣勝負。
大きな鯨を獲るのに危険はつき物、銛や矛などでの突き取りから、船で追い込み挟んで網で獲る網取りなどで、命を落とした漁師もいた。
鯨を獲るときの暗黙の決まりに、小鯨は獲らない、親子の鯨も獲らないとあったそうだ。
資源保護の観点ばかりではなく、心情的なものもあったのではないだろうか。
近代、大型船による捕鯨銃での漁が行われ、安全に漁を行うことが出来るようになって、鯨への畏敬の念は薄れたのは、鯨の命の対価が人の命で払われなくなったことによる皮肉であるが。

近年、欧米の知的海洋生物保護運動により、鯨を食する文化圏は攻撃の対象となった。
それより以前、鯨の乱獲により個体数が激減し、保護が叫ばれていた。
だが、食肉としての鯨では、そんなに獲る必要はない。
鯨油としての利用目的での、乱獲が祟ったのだ。
これには、西欧各国とアメリカが多いに係わっている。
油をとるためだけに殺され打ち捨てられた鯨が、捕鯨基地にごろごろと横たわっていたという。

どうなのだろう、食べるために飼育された豚と、油をとるためだけに殺された鯨、どちらの命が軽いのか。
豚に知能や感情はないのか、誰がそう決めたのだ。
たしかに、その生き物の種類によって、脳の大きさは違い、同種間のコミュニケーション力に差はある。
鯨は歌を歌い、長生きをし、深い海に棲む神秘的な生き物というイメージが定着しているが、それは勝手にロマンを増幅して人が思っていること。
食べるということは、他の命を奪って己が命の存続に使うことなのだ。
食べるという行為で、鯨も豚も同列、召し上げた命を使い切ることが礼儀といえよう。
ならば、きちんと食べきれば、人間同士が食い合っても問題ないという意見もあろう。
ある地域によっては、食人文化は存在した。
それは、食資源に乏しいか宗教的意味合いによってが、その主な理由。
どの生物でも、共食いは避けられている事なので、しないにこしたことはないだろう。

昨日、明石の紅葉鯛の番組を見た。
獲ってすぐの鯛は、興奮し身が硬くなっているので、一晩薄暗い生簀に寝かせ置くと、身が柔らかく甘みを増すといっていた。
鯛は、一晩で諦めを知るのだと思わずにいられなかった。
トラックに載せられ運ばれる豚は、どこか不安げに身を寄せ合っていた。

食べるということは、残酷でもある。
奪った命が無駄にならないように、すべて頂き尽くすことが大切だと、肝に銘じよう。
鯨も豚も浮かばれる様に。

麗しの都、中国の麗江

2012-10-27 16:25:30 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」中国雲南省の麗江。
標高2000メートルにある、暗灰色の瓦屋根がとても美しい街。
太古より人が住み着き、首都にはならなかったが、大きな街に発展した。
ここには、ナシ族を筆頭に少数民族が暮らしている。
街には、中国語の漢字の表記のほかに、ナシ族の象形文字であるトンパ文字も併記されている。
麗江一番の市場、忠義市場には、背負いカゴを背負った人が多い。
ナシ族がよく使うもので、買い物カゴとしてはもちろんのこと、子供を背負うときにも使われる。

さて、麗江のグルメ。
雲南省の名物に、雲南ハムがある。
この雲南ハムを使った”サーコーファン(砂紅粉?)”は、角切りのジャガイモと米を炒め、雲南ハムを乗せて炊く。
ハムの塩気と香ばしい香りが米にしみ込み、深い味わいのあるもの。
”チートウリャンファン(○豆涼粉)”は、ケイトウ豆のでんぷんで作るこんにゃくのような、上野駅で売っている灰緑色になった葛餅のようなもの。
冷たくして唐辛子など調味料をまぶして食べるもよし、油で揚げて暖かいものに味付けして食べるもありだという。
”グォチャオミーシェン(過○米線)”は、鶏肉をまるごと煮込んで作った熱々のスープに、鶉の卵・米麺・野菜などを入れ、唐辛子を好みでたっぷりとふり、よく混ぜて食べるもの。
その昔、科挙という難関の官僚の試験を受けるために猛勉強に励んでいた夫に、体を温め滋養の豊かな食事を摂らせたいと心を砕いた妻の手作り弁当が由来だとか。
スープを覆う油の膜で、熱を逃がさない工夫がしてある。
その甲斐あってか、夫は見事科挙に合格したそうな。
このように、料理の出来た経緯があると、中国の文化と歴史を感じさせてくれる。
しかも、その様子などを想像しながら食べると、話は弾み、いっそう記憶に残るではないか。

中国といえば、お茶。
数々のお茶の種類がある中で、ここ雲南省にもすばらしいお茶が存在する。
プーアール茶は、茶葉を完全発酵させたもの。
カフェインが少なくまろやかで、古いものほど味があるという。
その茶葉の保存方法は、平たい丸に固めるというもの。
使うときは、必要な分だけむしりとるのだ。
雪茶は、ハーブティーの一種。
ある高山植物を使い、一年間に500キログラムしか流通しない稀少品。
ビタミン・ミネラルが豊富で、脂肪を分解する効能があるのだそうだ

標高3600メートル高地でにあるところを、シャングリラという。
深い谷に荒々しい激流が流れる虎跳峡、穏やかな高原の湖の瀘沽湖(ロココ)、険しい岩山の玉龍雪山など、魅力的な自然がある。
チベット自治区に入るシャングリラでは、チベット仏教を表すものが、街のいたるところにある。
マニ車は、回すと一回分のお経を唱えたことになり、大きなモニュメントのようなマニ車、おみやげ物屋にある小さなマニ車など。
また、タルチョは、家の間に張り巡られた色とりどりの旗のようなもの。
この旗がたなびくと、お経一回分と、変わり種のマニ車か。
シャングリラの特産物に、松茸がある。
松茸市場なるものがあり、周辺の住民がこぞって自分だけの松茸ポイントから松茸を持ち寄り、売っているのだ。
新鮮な松茸は、醤油とわさびで生で味わえる松茸のお刺身が、ここでは食べられている。
日本に多く輸出しているらしいので、シャングリラ産松茸を食べたことがある人もいるだろう。

麗江は、世界遺産に登録されている街。
同じような建物の高さ、波のように広がっている暗灰色の屋根瓦、白い壁、軒下に吊るされた赤い提灯、巡る水路、統一美がここにはある。
夜に街並みを照らし出すライトアップは、ご多分に漏れずここでも行われているが、この景観を壊さないように上手くライトの設置がしてある。
鳥の巣に見立てたカバーで、無粋なライトを隠しているのだ。
こんなに洒落た気の使いよう、なかなか出来るものではない。
街を管理する人の中に、美意識のしっかりした人がいたのだろう。
偏見かもしれないが、これにはとても驚いたのだ。
遠くなってしまった中国の麗江に行ける機会は訪れないと思うが、この街を歩いてみたいと強く思った。
風雪に、破壊と開発に耐え抜いてきた、この奇跡的な街をこの目でしっかと見てみたい。



布団干しマニア

2012-10-26 15:32:57 | 趣味たち
今日は、すばらしい秋晴れ。
太陽が燦燦と降り注ぎ、北よりの乾いた風がそよそよとふ吹き、穏やかな美しい日だ。
体調は万全といえなくて、やる気も今ひとつの冴えない感じだったが、暖かなお日さまがにっこり輝いていては、布団を干さないではいられない。
ベランダの掃除をぱぱっと終わりにして、丁寧に布団を並べて干した。
布団を干しながら、なぜだか自分に言い訳をする。
ー明日の天気は曇りがちだというし、日曜日は雨なんだから、干して正解なのよ。
ー干してさっぱりとした布団に寝れば、家族の安眠と健康は確保したようなもの。
ー布団を干せるなんて、幸せなことなんだわ。
・・・などなど。
方や、ちらりとこんな考えも頭をかすめる。
ー晴れたら布団を干さないと気がすまないなんて、神経質だし変な強迫観念にとりつかれているよ。
ー布団干しにこれだけ気合を入れて取り組むなら、もっとほかのところに力を注げ。
ー干した布団のぬくぬくさに溺れるなんて、低次元の快楽主義者だ。
たかだか布団干しひとつをしながら、心の葛藤は尽きない。

しかし、これを趣味としてしまうならば、嗜好の問題だもの、気持ちが楽になる。
妙にこだわるものがいくつかあるのは、誰しも同じ。
玄関の靴をきちっと揃えないではいられないとか、曇った鏡はもってのほかだとか、星占いを見てからでないと出かけられないとか・・・
自分の場合は、布団干し!と、天気予報を見ないと気がすまない・・・か。

とにかく、今日の布団干しは完璧だった。
これで、寝る時間がさらに楽しみになった。