rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

アンビエントな絵画、アルベルト・マニェッリ

2017-05-25 22:27:46 | アート

The Cafe

アルベルト・マニェッリ(Alberto Magnelli)は、イタリア20世紀の現代画家。
その色合いは、やはりほかの国の画家とは違う。
十分にこなれた色使い、ともするともう少しで凡庸になるぎりぎりの線で遊んでいる。
私は、”Ordered Tempest ”のような、彼の中晩年の作風が好みだ。
それは、地味かもしれないが、見るものの心を落ち着かせる、つまり邪魔にならない類のアンビエントな絵画といえるものなのだと思う。
ほかには、私の敬愛するマーク・ロスコとセルジュ・ポリアコフや、アルバース、ルーチョ・フォンタナなど多くの画家もいる。


Incantation


Lyrical Explosion No. 12


Ordered Tempest




薔薇の季節

2017-05-21 14:16:53 | 植物たち


お待ちかねの薔薇の季節がやってまいりました。
種類は相変わらずですが、薔薇たちの美しさは、見飽きることがありません。



薔薇の美しさに引き寄せられたのでしょうか、小さなバッタやナナフシ、トカゲまでもがこうして花に取り付いています。
私も毎日、矯めつ眇めつ薔薇たちを眺めては、その芳しい美しさにうっとりとしているところです。












名前を言いたくないあモノがやってきた

2017-05-21 00:01:52 | 生き物たち
晴れて気温がぐんぐんと上がる初夏の今日、久しぶりに布団を干そうと思った。
でも、慎重な私は、名前を言いたくないあのモノがもしかすると遊びに来ているかもしれないと、スズメの巣がある屋根の角に目をやった。
ん?ン!んん!!
真っ黒くて艶やかなまん丸お目目のあのモノと目が合ってしまった。
ヤバイ、ヤバイ、いるじゃないかと激しく動揺し、気持ちを落ち着かせるためにお風呂の掃除に向かうことにした。
それから、あのモノの動向を探るためにもう一度ベランダに行ったなら、なにやら一仕事を終えたのだろうベランダにかかる屋根の鴨居伝いに移動をしている。
これは家人に報告をし、かつ助っ人を頼もうとホビールームへ足を運ぶ。
慌てふためく私を気の毒に思い、家人は力になってくれるといってくれた。
家人が来るのを待ちわびながら、外からベランダのあのモノの動向を見守る。
ゆっくりと西側へ移動するのがわかるけれど、体を支える鴨居3本分は優に超えているのが見て取れて、どうやら体長1.5mはあろうかという大物だ。
ベランダに到着した家人は、あのモノに向かって主張を始めた。
「ここは俺の家だ、早く立ち去りなさい。うわっ、ここでウンコなんかするんじゃない!早く行ってくれ。」
それでもゆっくりとくつろぐあのモノ、なおかつもう一箇所でも大量の排泄物を生み出す始末。
仕方が無いから、もう少し待ってみることに。
そのうちになんとあのモノは、また引き返してコンパクトに佇まいを直し、スズメの親が戻ってくるのを待つようだ。
なんとも人を見て逃げないとは、相当な度胸の持ち主。
やはり、10年前に名前をつけたチロか、それともその子孫だろうか。
家人は、あのモノがいれば火事にはならない家の守り主だと、かまわずに布団を干したけれど、私はいまひとつ割り切れなかった。
黒くてつぶらな瞳のチロ何号、できればお会いしたくない隣人なのである。



とにかく雑食、黒い毛虫

2017-05-18 22:37:35 | 生き物たち
その年によって虫の発生する割合は変わるけれど、今年は黒い毛虫が大発生して、植物ならば何でもござれと食べ漁っていた。
職場で栽培していた小松菜、ほうれん草、ノースポール、ビオラ、ナス、イチゴ、ヒマワリの双葉も、我が家で育てているバラやラズベリーたちも、この毛虫に蹂躙されて満身創痍に陥ったものも多い。
見つけたならすぐに捕殺、足でぐりぐりと磨り潰したり、時には土の中に埋めることもある。
しかし、軟らかな土に埋めたとき、なんと土を掘り起こして這い出でてきたのには驚き呆れ、やはり磨り潰すのが一番確実だと悟った。
もうそろそろ毛虫も収束だろうと気を緩めたなら、やはりどこからか遅れたのがやってきて、ヒマワリの双葉を2本分食べられてしまった。
本当にいい加減いなくなってほしい、子供が大切に蒔いた種なのに、せっせと水遣りをして世話をしている野菜たちなのに。
それもひっくるめて全てが自然だから、それを解るためにも毛虫の存在は必要なのだといえばごもっとも、けれど、やはり許せないのは人情というものだ。
植物でも動物でも、何かを育て世話をすることは、人の心にとって大切な体験となる。
命の儚さや尊さを知るには、実際に深くかかわる中でしか知りえないのだと、いま、私自身が追体験しているところである。

久々のサバラン、「美味礼賛」

2017-05-13 23:03:27 | 食べ物たち
私の好きなケーキのひとつに”サバラン”がある。
初めて食べたのは、今から30年位前か、母と散策に出かけたとある町の駅前の店のものだった。
おそらく店ができて間もないころだった、真っ白な外観で小ぢんまりとした店内のショーケースに、サバランは並んでいた。
ほかのケーキよりはかなり地味な見た目ながら、それだけに完成された美味しさを感じさせるそのケーキは、18世紀の法律家かつ美食家として「美味礼賛」を著述したブリア・サヴァランの名を冠するものである。
ざっくりとした生地に洋酒の効いた甘いシロップがたくさんしみ込ませてあって、カスタードクリームとホイップクリームが生地の中に挿んであった。
ブルーベリーかシロップ付けのブラックチェリーのどちらかをトッピングしてあったような気もするけれど、ともかく味のバランスが絶妙で、一口にしてそのケーキの虜となったのは言うまでもない。
ほかにそれと肩を並べていたのは、レアチーズケーキで、甘すぎず軽い酸味はたぶんレモンがすばらしいアクセントとなっていて、それらを食べに何度となく通ったものだった。
その後、その店は近い場所に大きな店舗を構えるほど盛況となったけれど、ショーケースに並ぶケーキは派手さを増して、私の好むところには無いものとなってしまい、サバランとも縁遠くなったのである。
けれども、今日期せずして、そこのサバランを食べることができた。
どうやら、一日20個限定の開店時に陳列して終わりということになっているらしく、たぶん10年ぶりくらいにサバランを食べられた。
最初のサバランとは違い、数種類のフルーツでデコレーションされていたけれど、85%くらいの感動が得られた。
他の店でもほぼ出会えないサバランだけに、大満足といったところ。
確かに売る側としては、見栄えよく豪華で付加価値を多くしたいところだろうけれど、プロだからこその絶妙な味のバランスで勝負してほしいものもあるというのは、勝手な客のしかも少数派の要望なのだろうか。
いとしのサバランよ、その名の由来通りのシンプルな姿で、完璧なハーモニーを持ち、私の舌を楽しませておくれ!