オダマキ、忘れな草、空の色 2017-04-29 23:38:25 | 植物たち 今の時期、なぜだか空色の花が多いように思う。 オダマキ、忘れな草、ネモフィラ、オオイヌノフグリ、ムスカリ、タチツボスミレなど、我が家にもいろいろと咲いている。 まるで足元にも小さな空がちりばめられているか、あたかも鏡のように空を写し取っているかみたいに。 それを見ていると、まさに自分が空中飛行をして空に浮かんでいるのではないかと思い楽しくなる。 そうだ、優しい空色のパステルで絵を描こう。 新緑のころの淡いトーンで、心が和む絵を描こう。 こんなに美しくすばらしい地球に生まれた幸運を印すのだ。
花とダミー その1 2017-04-23 16:50:38 | 猫 素晴らしく晴れ気持ちの良い日は、外がいい。 花たちに水をかけ、雑草を抜き、庭を歩く。 もちろん、気持ちが良いのは人間だけではない、猫も気持ちよさげに日向でくつろぐ。 ふと目をやれば、ダミーは写真映えのするところにいるではないか。 そそくさとニコワンを持ち出して、急遽撮影会となる。 空を映すオダマキと共に崩れた香箱座りのダミー。 まだある写真は、次のお楽しみに。
新緑が教えてくれる、世界は美しいと 2017-04-22 22:55:18 | 随想たち 今、外は美で満ち溢れている。 柔らかな若芽の緑、畑や道端を彩る菜の花の輝く黄色、僅かに残る山桜の優しい白、たわわにぶら下がる八重桜の桃色、すべては萌えあがる命の色。 こんなに美しくも、世界は私たちを取り巻きそっと私たちに寄り添って、癒そうとしてくれている。 それなのに、私たちは、この美しさを大切にして感謝し、真の豊かさを知ろうとはしない。 世界は私たちを損なうことは無い、私たち同士が互いに搾取し傷つけあい損なっていくのだ。 そのあまりの質の違いに、私は言いようの無い失望を感じてしまう。 私たちも世界の一部であるはずなのに。 確かに、時に世界は無慈悲な事象を起こす。 破壊と創造は、表裏一体、紛れも無い真理だから。 つまりは世界の一部である私たちも、それから外れることは無できないけれど、知性と理性が特別な贈り物であるならば、せめて善であろうと意識することは大切なのではないだろうか。 最近特に、世界の一部であるはずの人間から美しさがかけてきているように思われて、寂しくてならない。
静止する空間 無音の世界 ヴィルヘルム・ハンマースホイ 2017-04-16 15:47:02 | アート 背を向けた若い女性のいる室内 クレスチャンボー宮殿、晩秋 デンマークの19世紀から20世紀にかけて活躍した画家ヴィルヘルム・ハンマースホイ。 9年前、初めて彼の絵を観た。 フェルメールの「青いターバンの少女」の展覧会があった同じころ、彼の絵も近くの美術館で展示されていた。 「背を向けた若い女性のいる室内」が、ポスターで巷に張られているのを見て、気持ちがひかれたのがきっかけだ。 展示されている絵は、灰色を基調とした、いかにも北欧の雰囲気を伝えている。 描かれるものも、人気のない建物、人のいない室内あるいは一人だけまるで室内の一部のように置かれている、時が止まり音の消えうせたそのような世界だけ。 でも、それは死んだ世界ではない。 深く深く心の中に吸い込まれていくような、甘美な追憶のほのかな優しさがある。 私は、彼の絵を追いながら、コペンハーゲンの路地を歩いては心の糸を辿っている気持になった。 絵にはいろいろな作用があるけれど、内省を促すような絵を描いてみたいという願いも起きるような体験だった。 /font>