rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

穏やかな天候を希望 そして感謝

2019-12-31 23:23:02 | 随想たち

La venue de laube à fosset - Fernand khnopff

今日の日中は、大晦日と思えないくらいの穏やかで暖かな陽気だった。
おかげさまで、水を使う大掃除がとてもスムーズにできた。
そろそろ掃除に切をつけるころあいかと思う午後3時ごろ、北西の風が強く吹き出し、大きな雲の塊が押し寄せてくるではないか。
また雨が降るのかと身構えたが、2時間ばかり風は勢い強く吹き付けて、いつの間にか何事もなかったかのように姿を消した。
今年は、とにかく激しい天候に見舞われた。
日本各地で、世界中いたるところで、頻発する自然災害によって人も動物も命を脅かされる。
それが、二酸化炭素だけのせいばかりではなく、時代によってはフロンガスによって破壊されるオゾンホール、森林伐採で保水力のなくなった大地の砂漠化、一つだけを元凶とすることはできないだろう。
地球自体の活動サイクルに基づいた気候の変動も、もちろん加味されてしかるべきだ。
もっとも、人間の経済活動が、地球にとって迷惑なものであることには間違いがないのは、いうまでもないけれど。
そう思いながらも、この文明の甘い汁を享受している私であるが、どうか来年は穏やかな気候になってほしいと願う。

さて、今年もあと1時間をきってしまった。
何年経っても一向にぶっきらぼうでそっけないこのブログを訪問してくださっているあなたに、感謝の気持ちをお届けいたしたい。
どうか、すぐそこに控えている新たな年が、あなたにとって幸多き日々となりますように、心より願っております。
また、お気が向きましたなら、こちらをのぞいてみてくださいませ。



A fosset


The garden

餅つき 2019年師走の晦日

2019-12-30 22:44:22 | 食べ物たち
あいにくの雨模様、餅つきをした。
白餅6升分、たがね6升分だ。
「たがね」は、もち米6:うるち米4の割合で、今回我が家ではシソの実を塩漬けしたものや白ゴマなどを混ぜて作った。
田舎であっても、自宅で正月用の餅をつく家は、今ではかなり減ってきている。
いまだに餅をつく家というのは、80代が現役であったり、都市部に住む親戚に送るためなど、自家用以外の動機が強い場合だ。
自分が主になったなら、果たして餅をついてお供えを作ったりするのだろうか、なんとも心もとない。
かつて、餅つきは大事な行事、餅は特別な食べ物として、人の生活や心の中にしっかりとその位置を占めていた。
誰でも簡単に餅をつける餅つき機があっても、核家族化と少人数化、単身者の増加、日持ちのする市販の餅の登場、ライフスタイルが大きく様変わりして、餅の求心力は激減だ。
このようなことを書いている私自身、実は餅が苦手だ。
ちょっと食べただけでも、胸焼けてしまう。
ちなみに我が家での餅信者率は、5割。
そう考えてみると、餅への信仰心は薄らいで、価値の多様化が進んでいっているのか。
けれども、時は流れ人の好みも移ろい、しかたがないこと。
一ついいことがあった。
それは、遅まきながら成長した子供たちが、この餅つきの手伝いをわりとすすんでしてくれたこと。
親や祖母たちの老いを思いやってか、それとも割りきりができるようになったためか、半日作業に付き合ってくれた。
まだ、どうにか動くこの体があるうちは、家族そろって餅つきの年末イベントを楽しんでいこう。


マジ降りの雨 冬至の夜

2019-12-22 23:54:59 | つぶやき&ぼやき
なんですかね~、ものすごく、本気な雨が降ってますよ。
今日、冬至とは思えないような、マジ降りの雨ですよ。
とにかく、9月あたりから雨の日が多くて、晴天が続くような冬になっても、まだ降りたいんですかね。
おかげで、静電気率は低いような気がしますが、洗濯物は乾かないし、掃除もままならないのには、困ったもんです。
そう、今日が冬至と意識したのは、ついさっき、ネットを見てです。
だから、うっかりかぼちゃも、柚子湯も、すべてすっ飛ばしてしまったのです。
ぽんこつだから、もともと季節の趣を大事にできているわけではないけれど、冬至らしい天気じゃなくて体感からの気づきを奪われてしまった気がしています。
考えようによっては、四季のある国にいる日本人的感覚が私にあるってことですかね。
それにしても、こんな天気が続いていたのでは、日照不足でいろいろと不都合が出ていますか、たとえば、野菜が高くなったり、太陽光発電が振るわなかったりなど・・・
あのスカーンと晴れ渡った冬の空に、キリリとしたつめたい空気、大歓迎とはいきませんが、ちょっと恋しいですね。
いかにも関東の冬というものが来ていないのは、安心感が持てませんから。


小さい人のリクエスト 我が家のグラタン

2019-12-17 22:13:33 | 食べ物たち

寒くなると、グラタンが食卓にのぼる。
今日は、小さい人のリクエスト、我が家のさっぱりグラタンだ。
前日に作った野菜たっぷりミートソースを加えた、ポテトとマカロニ入りのグラタンは、飽きのこない美味しさがある。
もちろん、小さい人は大喜びでぺろりと一人前を平らげた。
しかし、なんと家人が二人前をいつの間にか完食していた。
加齢とともに、焼いたチーズが重くなっていたのに、どうしたことだろう。
どうやら、家人の味覚に完璧に合っていたようで、ついそれを忘れて食べたらしい。
何はともあれ、美味しく食べられて、幸せでよかった。
また、このくらいの完成度のものが作れるように、頑張る気になったのは、現金なものである。

月明かりの中を歩く

2019-12-15 15:20:54 | 随想たち

The Spiritual Form of Pitt Guiding Behemoth

昨夜、ふたご座流星群の極大期で、いつものごとく深夜の外へと繰り出した。
月明かりがあり、流れ星を見るには好条件ではなかったけれど、雲ひとつなく、冷え込みもゆるく、総合すると良だったのではないだろうか。
途中家人も加わって、一緒に空を眺めている中で、私は月明かりの中を歩くのが好きだと話をした。
すると、家人はまったくその良さを感じたことがないと言い、驚いた声を上げた。
それが私には意外だった。
だから、私は「ブレイクの絵が好きだから、月明かりのシチュエーションに萌えるのだ」と返した。
先日、月に照らされた逆光の雲がかかる空を見て、「ブレイクのような光景だね」とうれしい言葉をかけてくれた家人なのに、人の感覚は、それぞれ大きく異なって、リンクするところはけっこう少ないのだと再認識する。
それを残念と思うか、あったときを特別に喜ぶかは、その時々だったりするけれども、得がたい瞬間をもてたと喜んだほうが、人生は色彩豊かになるのは間違いなさそうだ。
最近、ことにブレイクの絵に強く惹かれるのは、心の問題に多く携わっているからなのかもしれない。


ちなみに、そのとき脳内でなっている音楽は、ポリスの”Walking on the moon"だったり、ショパンのノクターン、ドビュッシーの”月の光”だったりと、ひねりのまったくないベタな音楽だ。