rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

突然暑いんですが

2014-02-28 23:08:07 | 空・雲・星・太陽たち
今朝は、真っ白な濃い靄が視界を遮っていた。
9時過ぎてもまだ靄は残っていて、遠くの山は片鱗さえ窺えず、ただ頭上には太陽を頂いた青い空がひろがり、そう経たないうちに視界が開けることを予告する。
強く照りつける太陽は、気温をぐんぐん上昇させて、身体に日が当たるとジリジリ焼けるようだ。
締め切った部屋の温度は20度を越して、4月下旬を思わせる。
しかしこれは移動性高気圧の気まぐれだ。
一転して夕方あたりには冷たい空気が入り込み、明日にはまた10度以下のもとの寒い日に戻る準備に取り掛かる。
この乱高下は体に堪えるけれどしかたがない。
むくむくと地中から頭をもたげてきた水仙の蕾や、可愛く白い梅の花のほのかに甘い香りを楽しんでやり過ごそう。
そういえば、突然の暑さに驚いたオスのキジが、ツツツツと自動車の走る道路を横切ったけれど、恋のお相手を探すにはフライング気味だったようだ。
人も動物もいささか調子を乱された日である。


どんより曇りの日には手作りおやつ

2014-02-27 14:52:17 | 食べ物たち

2014年のスウィートポテト 27/2/2014

朝から白く霞んで曇っている。
昨夜は星がきれいに輝いていたけれど、もしかするとPM2.5がやってきたのかもしれない。
大事を取って洗濯物は部屋干し。
昨日いただいたサツマイモがたくさんあるから、何か作ろう。
下ごしらえが同じなサツマイモとレーズンのサラダにスウィートポテト。
子供たちが帰ってきたら、台所のテーブルにのっているこのスウィートポテトを見て歓喜の声を上げるはずだ。
ときどき味わう素朴な手作りおやつは、気持ちが和ませる力があるとおもっている。
何事も当たり前となってしまうと、そのありがたさを見失ってしまう人の性質があるから、「ときどき」がいいのだ。



ミレイ、ロセッティ、シャヴァンヌに会いに

2014-02-26 15:50:49 | アート


ベアタ・ベアトリクス   ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ

「ラファエロ前派展」と「シャヴァンヌ展」を観て来た。
よく晴れて穏やかな外出日和、空気はまだ冷たさを宿していて、先々週降った雪がまだ道路わきには灰色がかった塊となって居座っている。

「ラファエロ前派展」
アーサー・ヒューズの「4月の愛」ので迎えによって始まる展覧会。
まだ、開場して間もなくということで、ひどい混雑ではなかった。
やはりなんといってもミレイの「オフィーリア」の精緻で細密な描写は、ひときわ目を引く。
どこまでも入念に描きこまれたミクロコスモス的細部がモザイクのように合わさって作り上げられた絵に、自然界の命の成り立ちを見て軽い眩暈を覚える思いがした。
オフィーリアは、ここでは悲劇のヒロインではなく、たゆたう命、生々流転の象徴のようだ。
ほかに、ウィリアム・ハントやバーン・ジョーンズなどの作品がつらつら続き、濃厚なロセッティの部屋でぐっと締める。
「ベアタ・ベアトリクス」は、彼の作品でも異質ではないか。
画面処理だけでなく、構成の仕方も表面的な美への賛歌といったものではない。
個人的内面が吐露された、美への鎮魂ともいえるべきかと。
ラファエロ前派の作風は、美しいものをさらに美しく描き、直接的に意図は示さず象徴などを使って仄めかすものが多い。
ともすれば物語の挿絵に陥る危険なぎりぎりの線をいっているのだ。
しかし、「ベアタ・ベアトリクス」については、単なる美しさを超えた域に達していると思うのだ。
突き抜けた美への探求が、どれほど困難かを描いたのは、最後の部屋にあるバーン・ジョーンズの絵《「愛」に導かれる巡礼》のアレゴリー。

「シャヴァンヌ展」
シャヴァンヌは、壁画画家。
壁画という特性上、日本において現物を拝むことはできない。
その片鱗を垣間見せるべく催された展覧会は、壁画の縮小画で雰囲気を伝える。
ハーフトーンでまとめられた理想郷はどこまでも美しく非現実感を十分に湛え、「芸術家の使命は美を創造すること」のシャヴァンヌの絵画理念を見事に表す。
デッサン、習作など展示されている中にあった、「眠り」という黄昏時の情景を描いた絵があった。
描きすぎていないところが、絵の中に緩急の流れを醸し出し、見るものが安らげるものとなっていて、自分がこの展覧会での一番の収穫作品だ。
淡い色調のシャヴァンヌの作品中目を引いたのは、擬人化されたパリの姿を描いた「鳩」「気球」の2点。
モノトーンで図案化されたこの絵は、石版画で5万部刷られたらしく、ちょっと所有してみたくなった。

ラファエロ前派の諸氏、シャヴァンヌ、ひたすら美しいものを描き続けた画家。
実際に行き着くことがないアルカディア。
我々は、芸術に触れて心だけでもアルカディアに分け入れるならば、どうしてその美を甘受しないでいようか。
ならば、この美しき絵画が導く優しく甘い夢に浸り、精神に春の風を呼び込もう。

追記
一緒に展覧会をめぐった友人との話。
「ラファエロ前派展に、ウォーターハウスの絵が展示されていなくて残念。」
「『オフィーリア』という主題で、年代画風を問わずに企画した展覧会がないものか」
「アルマ=タデマなども特集して欲しい」
たぶん究極の美しいものが渇望している世相を代弁していると自負する変わり者二人の会話。


オフィーリア ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス


オフィーリア ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス


余韻が醸成する幸福な絶望、タブッキ「島とクジラと女をめぐる断片」

2014-02-23 23:31:31 | 本たち
アントニオ・タブッキの小品集。
舞台は、ポルトガルから遥か1000キロメートル東の大西洋に浮かぶポルトガル領アソーレス諸島。
かつては遠洋漁業や捕鯨の基地として使われていた。
今は美しい海と温暖な気候で保養地として人気があるという。
この島々と海とそれらに流れてきた時間を、クジラが繫ぐ。
クジラは、人と時間を合体させた象徴でもある。
深い愛と悲しみに満ちた海を彷徨うクジラ。
この本は、じっくりと時間をかけ、噛み締めるように味わい読むべきもの。
少し読んでは本を閉じ、目を閉じて心にしみ込ませる。
すると次第に透明で深い青が、私を包む。
一人大海原を行く私は、長く長く咆哮する。
当て所ない旅のもたらす孤独の声。
受け取る者のないメッセージ。
私の海は、まだ広がり続け深くなっていく。
絶海の孤島とも思えるアソーレス諸島そのものが、彷徨うクジラ、人生をあらわしているような気がしてならない。
そして読み終えたとき、言いようのない幸福が、絶望となるのだ。
結局のところ、刹那しか人は捉えて生きられないのだろうか。
まるで、愛の交歓が、生と死を併せ持つのに似ているように。
だがまだ、この本の余韻は私の中で醸成され続けている。






インド洋の美しい青き貴婦人、モーリシャス共和国

2014-02-22 22:53:16 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」アフリカ大陸の東、マダガスカル島よりまた東のインド洋に浮かぶ島々の国モーリシャス共和国。
インド商人の貿易中継地点になり、その後フランス統治時代などを経て様々な文化の混在する地となる。
世界屈指の海の青さと透明度は、モーリシャス・ブルーといわれ、世界的マリン・リゾートだ。
その美しい海は、イルカとの出会いをもたらす。
くるくると回転しながらジャンプする種類のイルカ、スピナー・ドルフィンとの交流を楽しめる「スイムwithドルフィンツアー」は、体験の価値ありだろう。

首都ポートルイスの中央市場は、新鮮な食材の宝庫だけではなく、美味しい屋台がたくさんある。
”ダルプリ”は、柔らかくもちもちと塩分多めの小麦粉で作るクレープのような生地でトマトソースやチリソースをくるんで食べる。
”アルーダ”は、寒天とタピオカを薄めの練乳に入れアイスクリームを混ぜて飲む、ぎゅっと甘い飲み物。
暑いモーリシャスでは、塩分も甘みも濃いのが好まれるようだ。
「ル・ペスカトール」というレストランでは、モーリシャスの料理が味わえる。
パンに青唐辛子のペーストをつけて食べるのもモーリシャス風。
”タコのヴァンダイユ”は、タコを使った伝統料理で、一見カレーのようだが、使っているスパイスの種類が違う。
たっぷりの油でタコなどの具材を炒め、マスタードの辛さをしっかりしみ込ませた保存食。

モーリシャス島は火山島で、火山活動が生み出す「七色の大地」は、様々な鉱物の色が織り成している。
落差100メートル以上もあるシャマレルの滝の勇壮な姿も見事。

エイグレット島は、手付かずの自然が残り、固有種の動物が生息する。
100キログラム以上のアルダウラゾウガメに、1990年にはたったの9羽しかいなかったピンク・ピジョンなどがいる。
人間の手によって絶滅した飛べない鳥のドードーの教訓により、それら固有種の動物の自然保護区がこの島に設けられた。
カセラ・ネイチャー・レジャー&パークでは、セグウェイ・サファリで、10種類以上の動物達を間近に感じられる。

モーリシャスの工芸品に、ラフィアというヤシの仲間の繊維を編んで作るバッグは、お土産に人気がある。
ダイヤモンドなどを産するアフリカに近く交易の中継点でもあったために、宝石の加工技術がある。
「ラヴィオール」は宝石の有名店で、その優れた技術が生み出すジュエリーは世界でも評価が高い。
「ルガール」は、40年以上モーリシャスに合うリゾートファッションを追求している。
最近注目されているのは、竹の繊維で作るバンブー・コットンで、肌触りがよく型崩れしないシルクのような繊維の服。

モーリシャスは、フランスに統治された名残りが今も残っている。
それは、主食であるパンがフランスパンであることと、その価格が政府によって低価格に統一されていることだ。
人は生きるために食べなくてはならない。
最低限度の保障かもしれないが、それも人権の生存権の保障ともいえるだろう。
時代の列強国に支配権が移ろうことも、悪いことばかりではないようだ。
良いところを吸収して強かに生き抜く力を、人は持っている。
それというのも全て、ここの恵まれた美しい自然が人の心を洗い流し、生きる希望を与えたおかげかもしれない。
モーリシャスブルー、私も包まれてみたい。