rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

よりクリアな光を求めて、ジョヴァンニ・セガンティーニ

2011-07-31 23:31:50 | アート

逸楽の罰


悪しき母達

ジュヴァンニ・セガンティーニ、澄んだ光に映し出される純度の高い色彩を求めて、アルプスの梯子を登って天へと近づいた画家。
信仰心厚く、農民の素朴な生活に癒しを見出して、牧歌的絵も多く描いた。
反面、「逸楽の罰」「悪しき母達」のように、宗教的戒めを象徴的に描いた作品もある。

19世紀世紀末の、第一次・第二次産業革命による商業資本主義が西欧文明を急速に変え、人のあり方も価値観も変革を余儀なくされた。
その時代の雰囲気に違和感を覚えたセガンティーニに、牧歌的絵画と象徴的絵画を描かせたのではないか。
色彩の純粋な輝きを求めたのは、おそらく教会のステンドグラスの光を通した色彩のきらめきに、神の国を思わせるものを感じたからだろう。
それで、パレット上の混色を避けたタッチによる色彩分割で、色そのものの力を最大限に引き出そうと試みたのだ。
くしくも、パリではジョルジュ・スーラーが点描によって挑んでいたと同じ時期に。
アルルでは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホも筆触で輝く色彩を手に入れているところだった。
セガンティーニは、絵筆を使って、神に祈りを捧げた。
神の光を受け取ろうと、その人生を捧げた。
必死で、人が失おうとしている大切なものを守ろうと、神にすがり、孤独に戦ったのだ。
感謝し畏怖する心を。
そして、アルプスの山々は、彼に助けの手を差し伸べたのだ。

ドラッグのような歌声、アリス・イン・チェインズ

2011-07-30 23:43:35 | 音楽たちーいろいろ
シアトル系のグランジのロックバンド、アリス・イン・チェインズ。
初代メインボーカルのレイン・ステイリーは、麻薬に囚われて命を削りきってしまった。
彼の歌声は、目の細かい鑢のように目立たないが確実に、聴くものの心に痕跡を残していく。
”麻薬のような歌声”とは、上手く形容したものだ。
一度聴いたらまた聴きたくなり、しばらく離れていても、突如として耳に湧き上がり、猛烈に聴きたくなる。
レインが麻薬なのか、麻薬がレインなのか、不幸な乖離不能の関係が結ばれてしまったのかもしれない。
ミュージシャンとドラッグは、宿命的に関係付けられているのか。
ミュージシャンだけではない、ショービジネスに身を置く者たちは、圧し掛かるプレッシャーに耐え難く、魔の薬に手を伸ばす誘惑に晒されているようだ。
人に何か(夢)を与えるには、自分の持っているものを差し出さなければならない。
無尽蔵に内面の宝があればいいが、それは無理な相談。
どうしたって、差し出せば差し出すほど、サイクルが早ければ回復する暇もなく、自分は空っぽになるだろう。
レインは、人口降雨機のドーピングも空しく、搾り出す一滴の雨粒もなくなり、ついには涸れ果ててしまった。
人口降雨機には、最悪のリスクしかないと知っていただろうに。
自分は、そんな滴る血の雨のレインの歌声を、非常にも繰り返し聴いている。
聴くことが、忘れないことが、レインの弔いであるかのように。

先日急逝した、エイミー・ワインハウスの歌声も、レインに似通うところがる。
命を搾り出すような歌声だった。
歌には、歌い手の命が乗せられている。
命を乗せられる歌い手でなくては、人の心に刻まれることがないかのように。

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Man in the Box (live )

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Love, Hate, Love

湧き水豊かな噴水の街、フランス:エクサン・プロヴァンス

2011-07-30 00:28:41 | 街たち
サント・ヴィクトワール山をひかえ、貫けるような青い空と黄色の石灰岩で造られた街、エクサン・プロヴァンスの「世界ふれあい街歩き」
豊富な湧き水を利用する為に、ローマ人がお得意の土木技術を発揮して、街のいたるところ100箇所以上に噴水を造った。
生活に利用し、湧き水の水量調整を兼ねて。

街は、ヨーロッパのバブルの影響をあまり受けなかったように、25年位前のパリの街の面影を垣間見せてくれる。
道は狭く入り組んで、自動車の肩身が狭そうだ。
石畳も健在に、その不便さがかえって街の意識の高さ豊かさを示している。
近くで切り出されたという黄色の石灰岩を建材とした建物は、統一感をもたらし、この調和を乱そうとするものから街を守っているのかもしれない。

ある広場に、その場所をアトリエとして34年間も絵を描いている年配の男性がいた。
エクサン・プロヴァンスのこよなく愛し、描き続けているという。
「今では自分が風景の一部となっている。」と、語っていた。
ようやく暮らしているのかもしれないが、絵を描いて生きてこれたなどは、幸運なのか、それとも文化芸術に寛容な土地柄なのか。
きっと、どちらも兼ねているから、34年もこうして生きてこられたのだろう。
いくら、セザンヌを輩出した土地とはいってもだ。
その疑問は、”アリババの洞窟”の81歳の元気なおじいさんと、演劇同好会のキャラの濃いおばさんたちで、いくらか解消された。
”アリババ”の主は、趣味と実益を兼ねて中古の自転車を修理販売するために、倉庫に山と自転車を保管していた。
サント・ヴィクトワール山にまで、自転車で遠出もする猛者だ。
演劇同好会の熟女は、生きることを謳歌してお互いに喜びを分かち合っている。
真正面から、人生に向き合っている姿は、たくましく胸のすくものがあった。
そう、ギター職人の存在を忘れていた。
彼は、子育てのために、大きすぎて人との関係が希薄なパリから15年前に移り住んできた。
自由で明るく、人の関係が築けるこの街は、人間らしくいられるところ。
一つとして同じではないギターを作りながら、一つとして同じではない人生を歩んでいるのだった。

この街で、生きている人たちは、人生を、自分を、他人を肯定しているのだ。
なにか得体の知れないものに小突き回されて、訳も分からずにあくせく生きてはいない。
自分の歩調を持っている。
そしてそれを大切にしている。
サント・ヴィクトワール山をテラスから望むアパートに住んでいる女性は、ネコのようにテラコッタの瓦屋根の上を散歩するという。
驚いてしまう行動だが、この街の雰囲気は、それをすんなり受け入れてしまえる鷹揚さがあろう。
かたくななほど生真面目なセザンヌが、生まれて生きた街。
偏屈ともいえるセザンヌが、絵を描いて生きていけたのも、この街の懐の深さゆえなのかもしれない。


セザンヌ:サント=ヴィクトワール山

気持ちのこもったプレゼント

2011-07-28 23:19:55 | 随想たち
中くらいの人が、昨日忘れたからといって”マッサージ”プレゼントをしてくれた。
最近、部活で鍛えられているおかげで、マッサージの持久力が格段にアップした。
15分の約束が、話をしながらなんと30分にもわたっての、丁寧なマッサージだった。
肩の凝り、足のだるさが、うそのようにすっきりと解消されたではないか。
随分とたくましくなったし、人のために手指のきつさに耐えてマッサージを続けられる思いやりを持てるようになったのかと、子の成長を感じた。
何か物で贈られるのもいいけれど、無形だが心のこもったマッサージの贈り物も、親にとってはありがたい。
毎年贈られるマッサージに、子の成長をみられるから。
ただ無邪気なときのマッサージ、チョット面倒だと辛いと気持ちをあらわにしてするマッサージ、力の入れ具合と持久力に工夫が見られるマッサージ、子の成長過程でいろいろに変わってきたのだ。
来年は、数年後は、どんなマッサージが贈られるのか、今から楽しみなのであった。

  祝福する天使

きらめく色彩、その青。ギュスターブ・モロー

2011-07-27 23:47:09 | アート
 岩の上の女神

 エウロペ

 一角獣と貴婦人

モローの絵画は、秘密の宝石箱。
内から輝くその光は、純粋にして高貴。

パリのラ・ロシュフコー通りにある、モロー美術館。
生前のモローの住居を、本人の意思により国に寄贈し、モローの美術館となった。
初代の館長に、モローの教え子でもあったジョルジュ・ルオーが就任していた。
当時の面影そのままに、モローの絵が展示されている。

神話を主題に絵を描き続けたモローは、とりわけ水彩にその瑞々しい感性がほとばしっている。
対光性の弱い水彩の作品は、特別に誂えた棚に収納展示されている。
その扉を一枚開くたびに、親密な人に逢うかのような面映いときめきを覚える。
幸運にも、来場者のほとんどいないときにここを訪れたとき、恋人と二人きりで逢い引きをしているような気分になる。
管理人が、気を利かせて、水彩の棚の鍵を開けてくれたときには、もう天にも昇る夢心地になったものだ。

彼の油彩は、あまりにも緻密に描ききっているので、少し居心地がよくない。
そのエマイユのような光沢のある画面には、合わせ鏡のラビリンスに迷い込んだみたいに、硬さと冷たさがある。
”サロメ”も”一角獣と貴婦人””ユピテル”・・・でも、あえてこのラビリンスに迷い込んでみたと、しなやかに強く魅惑的な白い手が、私の心を掴んで引き寄せていく。
もはや、抗うことなどできはしない。
モローの虜になってしまった身としては。

自分にとっての特別な日は、やはりモローの絵で祝福したいと考えた。
モローの絵は、自分にとって特別だから。