rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

イビサ島へ行きたい 古代フェニキア人を尋ねて

2017-03-27 23:03:14 | 街たち
テレビで見た世界遺産は、古代フェニキア商人がその足跡を深く刻んだ地中海に浮かぶ島、イビサ島だった。
近年イビサの代名詞になっているのは、ハウスやテクノなどのダンスミュージックと巨大なクラブハウス。
音楽の広いジャンルにわたり大方聴くけれども、どうもダンステクノ系のダンスミュージックはなじみが浅い。
だから、イビサ島に求めるのは、美しい海と古代の遺跡だ。
レバノンあたりからレバノン杉を元にして地中海を交易で渡り歩き、アルファベットの基礎を作りながらも自分たちの記述はほぼなされなかった不思議なフェニキア人。
しかも、かなりな技術集団で、貝から貴重な紫の染料を抽出して布を染めたり、塩田を造り塩を生成したり、岩盤を穿って造った天然のプランターでぶどうを栽培してワインを醸造したりなど、物を右から左へと運んで利益を上げる商人とは違う。
ちょっとミステリアスなフェニキア人、国家を持たず、神話を作らず、風のように地中海と時代を駆け抜けた彼らは、とても魅力的だ。
また、透明度の高い海、石灰質の白い岩盤、青い空、豊かな自然も心躍る。
ここも、私の行って見たい憧れの場所になったようだ。


ひじきの五目煮ー本当の「食育」とは

2017-03-22 23:20:43 | 食べ物たち
久しぶりにひじきの五目煮を作った。
今夜はカレーライスなのに。
夕食のメニューとしてならば妙な組み合わせなのだけれど、疲れていなくて時間に余裕があったのと、何より健康のための理想的な常備菜があるとよかったから。
ここしばらく、じっくりと料理をすることが無かった。
バランスの取れた食事は、なにより健康のためでもあるし、親の作る食事は、子の安定した心も育む大切なものだ。
多少の無理な努力は、親の務め。
疲れたからといって、レトルト食品や冷凍食品、店の惣菜ばかりにたよってはならないと自戒する。
ひじき、鶏肉、ごぼう、にんじん、こんにゃく、大豆、油揚げ、これを炒めて、砂糖、みりん、しょうゆで炊けば、ひじきの五目煮の出来上がり。
しみじみとした味わいで、家人も小さい人も出来立てを小皿いっぱい食べていた。
親が心をこめて作った料理を食べて育った子供は、食事の大切さ楽しさを学び、やがてその子が親になったときにも、自らの子供に料理を作り食べさせるようになるだろう。
大方の人は、自分がしてもらったことをそのまま次に伝えていく。
ここ数年前から叫ばれるようになった「食育」とは、食べ物の大切さや重要性だけではなく、生き物の基本、食が結ぶ命の絆、心の拠り所を育むのではないかと思うのだ。


助六、最後の仕事

2017-03-20 00:03:12 | 
3月13日、助六が死んだ。
あっけない最後だった。
隣のおばあさんが飼っていた猫だった助六は、おばあさんが亡くなって間もなくにうちへやってきた。
だから、はっきりとした歳はわからなかったけれど、毛並みの具合から見てそんなに歳をとっていないと思っていた。
ダミと一緒になって朝ごはんをねだるとき、目の前をお尻ぷりぷりさせながら小走りに行く姿は、なんとも微笑ましいものだ。
それが突然食欲をなくし、2日間姿をくらましてから家へ戻ってすぐの助六を義母が病院へ連れて行っての診察中に、助六は息を引き取った。
医者の話によると、そこそこに助六は歳をとっていたのと、何かしら脳に障害があったのではないかということだった。
でも、そうとは思えない気もする。
なぜならば、今年になってから我が家に大きな悩み事が2つできて、特に今月になってから大人どもは皆気持ちも体も蝕まれ、家の中はどんよりと沈んで負の空気が漂っていた。
その毒気に当てられて、助六は、その負荷に耐えられなくなって死んだのだと思えてならない。
それをはっきりと意識したのは、助六が死んだことを職場の同僚に話したときのこと、彼女はこう言ったのだ「猫はその家の災難をもって死ぬことがある。」と。
このことを家人に話すと、彼も何か思うところがあったらしく、助六の最後に立ち会って一番気を落としている義母に伝えた。
「助六は、家の苦難を救うために死んだのだろうから、助六に感謝してあげようよ。」
そして、助六が死んでから、我が家の大きな悩み事は、どうにか収束に向かい始めた。
思えば助六は、変な猫だった。
瀕死の捨て猫ダミを連れてきたり、これまたどこからか白い猫を連れてきては餌を分け与えたり。
猫に仏性が宿っているかは知らないが、そうだとするならば、助六にはそれがあったのかもしれないと思えるような最後であった。