rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

一年ぶりの東京小旅行、そして神楽坂

2012-01-31 23:38:34 | 旅先から
先週、両親とともに東京小旅行をしてきた。
目的は、絵画の展覧会めぐりなのだが、田舎では味わえない込み入った街を歩けるのも密かな楽しみ。
自称鉄子としては、電車に乗れる機会を得たことも嬉しい。
JR在来線、地下鉄日比谷線に銀座線、半蔵門線、東西線、心躍る。
知人の個展が、神楽坂で開かれていた。
初めて訪れた神楽坂、大きすぎるビルがなく、庶民的な生活感が漂う街並み。
途切れることのない商店の連なりは、昔からの履物屋に小間物屋が、おしゃれな飲食店やブティックの間のところどころに今なお営業している新旧混然としている。
時折、細い路地が横に伸びて、神楽坂に奥行きと深みを持たせる。
覗くと、古めかしく江戸の気配をいまだ留めているみたいだ。
その路地に、気持ちがずいっと引き込まれてしまう。
時間が許すならば、何本かの路地に入って神楽坂の深部を訪ねてみたかった。
神楽坂、早稲田通りの連なる起伏を下り、飯田橋にたどり着く。
ここで神楽坂の旅は終わり、気持ちだけは神楽坂の路地を彷徨いつつ、次の場所へと向かったのであった。


早朝のお客様

2012-01-30 23:55:20 | 生き物たち


今朝、小さい人を学校へ送り届けようと庭に出たとき、旧母屋の縁側前のコンクリートのたたきに珍客があった。
植木鉢の並ぶそこに、ぽつねんといたものは、かわいい目をした鳥だった。
ねこのいるところへ無防備に、どこからやってきたのだろう。
家人と二人、驚きながらも写真に収めようと、それぞれカメラを取りに走る。
急いで戻ってみると、まだ同じところに不動の姿勢でいるではないか。
それで、鳥をなるべく刺激しないように、そおっとカメラを向けてシャッターを切る。
逃げる様子はない。
少しずつにじり寄っては、写真を撮る。
気が済むまで撮らせてもらった。
小さい人は、なかなか来ない親を探しにやってきた。
小さい人も、じっくり鳥を見る。
さすがに遅れてしまうので、家人と出発。
さて、鳥は。
なんとなく、こちらの満足した様子が伝わったのか、つつつつと歩き出した。
何度か止まっては辺りを窺い、庭木の固まる小さな森へと姿を消した。
ところで、この鳥の名は、図鑑が行方不明なために分からないでいる。
以前、同じ鳥が庭先で死んでいることがあった。
キジバトかコジュケイかと思っていたが、どうも違う気がする。
図鑑を探し出して、調べなくてはなるまい。

ホタテと七輪

2012-01-29 23:17:09 | 旅先から
北の親戚から、たくさんの活ホタテが届いた。
今が、ホタテの旬とのこと。
発泡スチロールの箱の中に、きれいに並べられたホタテは、あんぐりと口を開けているものや、固く閉ざしているもの様々。
刺身にしても食べられる、大ぶりの身と鮮度。
フライでも、バター焼でも美味しいのだが、やっぱり焼きホタテが一番でしょう。
家族でホタテにときめいていた。
すると、義父が七輪を買ってきた。
ガステーブルで焼くのもいいけれど、七輪で焼いたほうが絵になると思ったのだろうか。
我が家は、田舎住まい。
七輪で焼き物をしても、何の気兼ねもない。
ただ、寒さがかなり厳しいことを除けば、家族で七輪を囲み、焼きながら熱々を頬張ることもできる。
しかし、風邪をひくのも厄介なので、ホタテ焼き隊が、風除けの倉庫内で七輪に炭を起こし、網をのせ、ホタテを焼くことに。
はじめ、貝の平たいほうを下にして焼き、口が開いたならひっくり返す。
そのとき、平らな側に身がついていたときは、付属のヘラではがし、膨らんだ貝殻にのせて平らな貝殻を蓋代わりに蒸し焼きとする。
我が家では、酒を使わず、数滴の醤油を香り付けに垂らすのみ。
7割がた火が通ったら、蓋をはずし、染み出た水分がほぼなくなるまで焼くと出来上がり。
さて、そのお味は。
ほんのりと醤油の香ばしさがアクセントに、ホタテの凝縮されたうまみが口の中一杯に広がる。
豊かな海の恵み。
ホタテそのものが纏っている海水の塩加減が丁度よく、言うこと無しの美味さ。
風流人ならば、ホタテを七輪であぶりつつ杯を傾けるのであろうと、家人と話した。
なんにしても、いささか寒すぎて、その余裕は持てなかった。
こうしたホタテと七輪の夕べは、2夜で終わり、今その名残は庭の片隅に白い残骸をとどめている。
家族皆、大変満足できた。
ところで、七輪の魅力に魅入られた家人は、つぎは何を焼こうかとあれこれ想像しているようだ。
手近なところで、ししゃもあたりになりそうな、そんな予感がするのであった。

美を抽出する絵師、円山応挙:保津川図屏風

2012-01-29 14:43:37 | アート

保津川図屏風

「美の巨人たち」、円山応挙の保津川図屏風。
応挙、最晩年の作で絶筆。
うねるように豊かな量の水が、勢いよく岩の間を流れている。
水に濡れ色濃くなった岩は、ごつごつと硬く、その存在感は不動のものだ。
実際の保津川の景観ではなくとも、水と岩の動と静の織り成す空間は、川を知るものならば誰しも思い当たるものだ。
人は、その渓流の爽やかさと美しさを身近に愛でたくなり、庭に水の流れを模したりする。


藤花図屏風

うねる藤の古木が画面を勢いよく這い、可憐な藤の花は花びら一つ疎かにしないよう丁寧に描かれている。
藤の幹は、一本の筆に墨の濃淡を併せ持たせた付立てという技法で、一気呵成に描き上げる。
その幹と花の描き分けが、画面に緊張感を与え、旺盛な藤の命の躍動感を画面に定着させたのだ。
そうすることで、他の説明などなくても、この広い画面が無限の広がりを獲得して、生き生きとした”藤”を永遠のものにした。

応挙は、写生を重視する。
物をありのまま捉えることにより、そのものが持つ本質に迫ろうとした。
そして、物にもとより備わっている美を抽出し、普遍的なものとして描き出す。
過剰に飾り立てなくても、美はしっかりと存在するのだ。
厳しい目、美を愛しむ眼差し。
応挙は、素晴しい目を持っている絵師。
日本人にとって、人類にとって、応挙の描いた作品は、誇れる宝といえるだろう。


次々と移民者を受け入れてきた土地、オーストラリア:アデレード

2012-01-27 23:52:18 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」オーストラリア大陸の南端に位置する、アデレード。
長い砂浜の海岸線に、長い桟橋が突き出しているところが、1836年イギリスの探検隊が上陸し、移民者を続々と受け入れた、アデレード発祥の場所。
すぐ近くには、当時の市役所が、今もその姿を残している。
オーストラリアは、イギリスの流刑者によって開拓された街が多い。
しかし、アデレードは、自由移民によって開拓された街で、イギリスを始めヨーロッパ諸国、アフリカ、アラブ、アジアと、多国籍移民が混在している。
夢と希望を胸に、新天地を求めてやってきた、前向きな街。
開拓当初から、移民による人口増加を考慮した都市計画で、街を形作っていった。
そのことからも、海岸から少し内陸に位置する中心地には、ランドルモールという、オーストラリアで初の歩行者天国の通りがある。

アデレードは、文化と芸術の街。
そして、フェスティバルの街。
一年中晴天の多い土地柄のあってか、いつもなにやらの祭りが開かれているという。
特に”フリンジフェスティバル”アートのフェスティバルで、毎年の夏の終わりに、3週間かけて700以上もの催し物が開かれている。
演劇、音楽、アート、なんでもござれ。
もう、50年以上も続いているそうだ。

街には、フィッシュ&チップスの店が、美味しい匂いを漂わせている。
イギリス移民の食文化の名残。
赤レンガの中央市場には、パン屋、八百屋、コーヒー屋、コーヒースタンド、肉屋、魚屋など、たくさんひしめき合っている。
オーストラリアならではの食材もあり、ワニにカンガルーの肉も、ショーケースに並んでいた。
ワニはともかく、カンガルーには驚きを隠せないが、その土地の一般的なものなのだ。
かわいそうなどと思うのは、一方的に価値観を押し付けているだけ。

”ザ・ガーン”という列車は、オーストラリア北端にあるダーウィンから南北縦断2976㎞を、54時間かけて走る、高級寝台列車。
名の由来は、19世紀中頃に、オーストラリア中央を探検する探検隊によって、アフガニスタンからつれてこられた砂漠地帯探検ラクダからきているのだと。
最長1.2kmの車両が、かつてのキャラバンとはちがう、労せずに赤銅色の砂漠を快適に堪能できるらしい。

そういえば、街のオフィス街にビーチバレーのコートがあった。
近隣のビジネスマン達は、昼休みともなればそこへ繰り出し、練習に余念がない。
なんともおおらかで、生き生きとしているのだろうか。
夕方の海岸では、ボートレースの練習に励む仕事上がりの人たちもいた。
彼らは、ボランティアでライフセーバーもしているとか。
生活を、仕事に翻弄されている我々とは、かなり違っている。

何をどういう風に、どこまで望むかによって、重きをどこに置くかで、人生は変わってくる。
アデレードの人たちは、あくせくせずに人生を楽しむことを選んだのだろう。
自由移民の気質が、主体的に幸せを追求させる。
その気構えを、少し倣ってみてもいいかもしれない。
主体的とはいっても、望みすぎず、肯定的に人生と折り合いをつけていく姿勢として。