近いのに、なかなか行くことのできなかった息栖神社に参拝した。
これで東国三社は、すべて参拝したことになる。
日もだいぶ傾きかけたころなのに、いろいろな所のナンバーをつけた車の参拝者がいる。
彼らも、東国三社巡りをしているのだろうか。
さすがに境内には、その歴史を感じさせる古木があり、自分にとって馴染み深い鹿島神宮の縁社とうなずけた。
利根川に面した鳥居は、忍潮井という日本三霊泉の湧き水があり、その湧き出るところを見られなかった。
けれども、夕日に照らされるそのあたりの景色は、広々とした空を戴いて、心が晴れる素晴らしいものだ。
家人と二人の気ままなドライブは、最近の楽しい習慣になっている。
主に神社仏閣巡りとなっているのは、年相応の行動パターンになっているのだろうと、加齢に伴う一抹の寂しさを分かち合える幸せをありがたく受け取っている。
そして、年明けに購入した生酒を、今になってやっと開封した。
どうにもこうにも心身ともに不調で、丹精こめて作られたお酒を戴く気にはなれなかったのだ。
三社巡りが叶い、その後利益かもしれない気分の軽さで、家人と元中くらいの人の三人でそのお酒を賞味する。
ほのかに漂うふくよかな香り、その割には飲み口がきりりと辛口で、よく知っている麹の華やかな香りの大吟醸と、一線を画している。
日本最古の造り酒屋で、生酒もここからだそうだ。
それはともかく、地元地域のものをいただかなくては、大事な足元を見落としているだろう。
まずは自分の身近なところを大切にすることが、確かな感覚を養うのではないだろうか。
このような考えに及ぶようになったのは、当たり前のようにある環境を離れたことがきっかけだったことはなんとも皮肉。
人の認知の狭さと、それに伴う愚かさの現われと、自戒をもってこれからを歩んでいきたい。