風力発電の風車が立つ丘
アカシア
早朝の雨の礼文島を後にして、フェリーで稚内へ戻る。
辛うじて見えた利尻島も遠くになるころ、船体が起こす白波を見ていると、時折波しぶきとは違う飛沫が起こるのが見えた。
その飛沫が起こるのを注意してみていると、飛沫が上がってまもなく黒っぽい何かか海面を下からなぞる様子があった。
一回だけでは眼の錯覚もあるだろうと、しばらく海面を注視する。
それは、その後も幾度となく起こり、同時に何箇所で起こることもあった。
おそらく、イルカが船に併走していたのだろう。
曇天の船旅が、ちょっと楽しくなった時間だった。
到着した稚内も、やはり重く暗い雲が垂れ込めていて肌寒い。
これから札幌へ向かって、また道路をひた走っていく。
稚内市街地を抜けると、丘陵地帯の尾根沿いに、大きな風力発電の風車が連なり立つ風景が続く。
風が強く雪が降る地域では、太陽光パネルでの発電は不向きなためだろう。
白くて大きなプロペラがゆっくり回る姿は、私の性癖に刺さる。
水が流れて時々渦を作る渓流や、はたまた二層式洗濯機の回っているところ、独楽は当たり前だが、排水溝に流れ込む水をうっかりうっとり見とれてしまう癖があるから。
また、なんとなくエヴァンゲリオンに登場しそうな使徒たちの雰囲気もあって、不気味で素敵だ。
しかし、風力発電の巨大プロペラは、その姿の優美さとは相反するデメリットもある。
風という自然の現象を利用することで、風力が安定しなく、無風では稼動せず、弱ければ発電量がおぼつかず、強すぎれば破壊されかねないので稼動を中止する必要がある。
自然界への影響として、風車の騒音、鳥がぶつかってしまうこと、あとは超低周波がある。
この中で、超低周波は、個体差はあるものの悪影響が報告されている。
人で言えば、頭痛、心拍の向上、血圧上昇、場合によっては「幻覚」を見ることがあるようだ。
主に、人が聴覚で感知できない周波数を浴び続けることで、無自覚に肉体的にストレスを受けるためなのではないか。
そういえば、一昨日に宿泊したホテルから程遠くないところに、熊が出没したとニュースで見た。
人よりより地面に近く生きる動物は、よりこの超低周波の影響を強く受けていると想像できる。
再生可能エネルギー、聞こえはいいが、メリットばかりでもないのはこれからもわかる。
エネルギー利用の効率化を開発しながら、リスク分散と、使用できなくなった発電機材の安全な処分方法(特に太陽光パネル)を早急に整備しなくてはならない。
人が便利で快適な生活を営む上での、一番の基盤である地球を汚染してしまっては、取り返しのつかない愚行となる。
それとも、人は破滅に自ら進みたいマゾならば如何ともできないけれど。
さて、話題がいささか深刻になってしまった。
旅に戻ろう。
稚内より内陸の道国道40号を南に下り、幌延町を過ぎたあたりで国道232号に入り天塩町へ向かって、留萌市まで海岸沿いの道(日本海オロロンライン)を行く。
時折右手に日本海が見え、途中の初山別村に入ると街灯に星の形があしらわれ、岬のところに初山別天文台あるのが見えた。
晴れた日の夜は、星が手に届くように見えるのだろうか。
北海道には、温泉と天文台が多い印象を受けた。
留萌から内陸に進んでいくと、アカシアの木が多く見られるようになって来た。
白い花をたくさん咲かせ、風に揺れる姿は、清楚で美しい。
休憩したパーキングエリアで、アカシアを間近で見ることができた。
花の形は、まるで藤の花のようだ。
歩道の脇には、雑草のようにフキが生え、見慣れないオレンジ色の花が咲いていた。
コウリンタンポポという外来種で、黄色のキバナコウリンタンポポも名寄で見た。
自分が子供のころにはなかったものだ。
ちかごろ、綺麗で駆除しにくいような外来種の花が、至る所で勢力を強めていると思われる。
人の心の弱いところをつく、狡猾な生存戦略だ。
実際私も、道路わきに生い茂っているハルザキヤマガラシを、ヨーロッパ的と受け入れてしまいそうだから。
そうすると、物資や人、文化の交流が進むのは、一見よいようだけれど、もちろんマイナスな要素もちゃんとあるわけで、そこを考え合わせてやっていかないといけないらしい。
旅は、非日常。
いつもとは違う環境、時間の流れ、刺激に触れることで、心の中に変化が起こる。
どこに居ても考え方次第なのはわかっていても、物理的なスイッチで強制的に思考の視点を変えるのも必要だろう。
言い訳がましいけれど、旅は、人生を豊かにしてくれる装置なのだと思う。
アカシアの花
フキとコウリンタンポポ