rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

その名も”助六”

2016-05-04 16:15:59 | ねこ


この猫、寝ているか食べているかのどちらしかしていない怠け者。
唯一動くのは、愛想を振りまき餌をねだる時だけ。
だから名前を付けることにした、その名も”助六”。
「色男、金と力はなかりけり」と、そんなところだ。
助六とは歌舞伎の人気演目の一つで、通しで観て筋書きをきちんと知っているわけではないけれど、着流しの色男が遊郭の遊女に助けられている印象があるせいなのだ。
助六に決まる前は、マスク・オブ・ゾロ(怪傑ゾロ)のゾロにする案もあったけれど、そんなに強くもカッコよくもないからスパッと決まらないでいた。
でも、今日の小さい人のある情報で助六となった。
それは、おじいさんのこの猫を評する言葉、つまり冒頭の「寝ているか食べているしかしない猫」。
餌がほしいときだけ、「ニャーニャー」と優しくかわいらしい声を出しながら、しなを作って人のところへ寄ってくる。
その言ってしまえば、ヒモ猫ということだ。
まあ、猫だから仕方がないのだけれどね。

>

これが猫だ!

2016-04-10 21:43:54 | ねこ



これが、我が家に居ついた猫。
雄猫だけれど、ほとんどこの場所から動かない。
たぶん、ふらりと遠出したときに、喧嘩をして足に怪我を負ったのがトラウマになったのだろう。
この場にいないときは、庭に人がいるか、餌をねだりに玄関先の芝の定位置に香箱座りでいる、または、用を足しに畑方面に行っているくらいのようだ。
狡賢いカラスが、猫の目の前の餌を略奪しに来ても、猫はまったく追い払おうとも逃げようともしないと、小さい人の報告にある。
いつも同じ場所にいて厭きないのだろうかと心配する声もあるけれど、猫だからじっとして居たいからそうしてるのだと思う。
引きこもりの猫だって、猫のうちに入るでしょうしね。


おまけの桃


ああ、猫が足りない・・・

2015-02-07 22:57:00 | ねこ
夢を見た、いつの間にか家の中にたくさんの猫が上がりこんで固まっているところを。
白と黒のぼってりと大きな猫を筆頭に、縞茶の猫、灰色ぶち猫、あとはぬいぐるみのような小さな猫と角ばったロボット猫たちが、二階の窓辺に寄せ集まっている。
いや、その猫たちを発見する前は、家中全ての窓が開け放たれた状態の中の突然の嵐で窓閉めに奔走しているときに、やせっぽちで小さな目をしたキジトラの猫がはためくカーテンの間から家に入り込もうとするのをやさしく外へ追い出すのがはじめだった。
その後二階へ駆け上がり部屋の窓を閉めようと窓に近づいたら、猫軍団を見つけたのだ。
ぬいぐるみ猫とロボット猫を抱えて階下へ戻り、家族にどうしたらよいものか相談するところで目が覚めた。
つまり、猫が足りないのだ。
でも、まだ猫を飼うことへの恐れが、別れることの辛さが怖くて立ち直れていない。
その葛藤が、夢となって表れた。
まだ、自分にとっての喪は明けていない。
どうみても時間はかかりそうだ。


猫の足跡

2015-01-29 22:59:50 | ねこ
洗濯物を干そうと台の上に洗濯籠を置こうとしたなら、猫の足跡がついていた。
たぶんどこかの猫のものだ、昨夜、寒さをしのごうとこの台の上に乗ったときついたのだろう。
それを見て、きゅうっと寂しさがこみ上げてきた。
足元がぬかるむときには、あのねこもよくこの台に上がっていたのを思い出したから。
あとは、陽のあたる古い母屋の縁側に寒い朝などちょこんと座って暖を取る姿が、今なお網膜に焼き付く。
いや、枯れた芝生の上にも、井戸の側にも、そうだ、ねこはいたる所にその足跡を残していった。
まだ寂しさは癒えないが、ねこがいたときの幸福感はあちらこちらに刻み付けられた。
猫の足跡、何か特別な気持ちを与えてくれるものだ。

ねこの埋葬

2014-09-09 22:31:29 | ねこ
明け方の強い雨が収まって後、8時頃から雲が切れて青空が広がりだした。
灰色から白へと雲の色が変わり、もこもこと固まりになっては西のほうへと勢いよいよく流れていく。
ねこが息を引き取っての一晩、大好きだったシーチキンの缶詰を枕元に、そして白いユリが供えられ、ねこの死を悼むお通夜の祭壇が設けられていた。
9時、いよいよねこを埋葬する時がきた。
我が家にいた動物たちを埋葬したツツジの植え込みの所に、ねこも行く。
子供たちは学校だから、残った家族での葬列がひっそりと行く。
和紙で遺体を包み、シーチキンも添えて、穴の中にねこを寝かせる。
土をかぶせていくときの辛さ。
花を添え、線香をあげ、手を合わせる。
東よりのからっとした強い風が吹きつける。
白い雲が青空を流れていく。
猫はツツジの根方に永遠に眠った。
我が家のふかふかとした緑色の芝生は、主を失った。
私たちはねこを失った。
ねこのために、今日もモーツァルトのレクイエムを流し続ける。
音楽を聴いていると、いつの間にか近くに寝そべっていたねこのために、レクイエムをかける。
15年間、ありがとう、どうか安らかに眠っておくれ。