rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

エアコンをつけない幸せ

2019-08-25 22:39:58 | 空・雲・星・太陽たち
今日は、とても過ごしやすい一日だった。
とはいえ、朝の6時ごろは、しっかりとした雨が降っていた。
休みの朝だから、もちろん二度寝をし、8時45分までまどろむ。
目を開けると、部屋の中が明るいのでカーテンをめくる。
なんと、外は眩しいくらいの日差しに溢れているではないか。
廊下に出ると、キッチンのほうの北窓から涼しい風が流れていて、いっきに気分がやる気に満ちた。
いそいそと着替えて、ベランダの掃除を始め、さあ久々の布団干しをしよう。
ベランダは、火曜日の嵐もあったけれど、杉の皮や木の葉などが散乱し、窓は埃と水垢で一面曇り、掃除のし甲斐がある。
丁寧とまではいかないけれど、布団を干しても大丈夫なくらいなまでにする。
布団はしっとりと重く、これも干し甲斐がある。
もちろんカバー類は洗濯だ。
せっせと動くとさすがに暑い。
しかし、時折吹いてくる自然の風が心地よく、窓を締め切ってエアコンをつける気持ちを遠ざけた。
昼を過ぎても、まだまだいける。
ベランダにある室外機の低周波がなく、圧迫感もない、快適だ。
今は、肌寒いくらいの夜風と、コオロギやキリギリス、スズムシの音が、一緒に部屋へ流れ込んでいる。
エアコンをつけない幸せを、しっかりと受け取ろう。
まだ、あの苛烈な暑さと無縁になれないだろうが、この休息がなんともありがたいものであるよ。


「洪水」家人からのメール

2019-08-20 23:51:21 | 空・雲・星・太陽たち
4時あたりから、雲行きがかなり怪しくなっていた。
職場より北のほうは、真っ黒な雲が空を覆い、時期にこのあたりに迫ってきそうだ。
そろそろ退勤時間、帰る私宅をしていると、あっという間に窓の外は暗くなり、風が強く吹いたかと同時に灰色の雨粒の壁が真横に猛スピードで押してきた。
鉄筋の建物内でなければ、とても眺めていられるかんじではないくらい恐怖をもよおすものだ。
小さい人の迎えを少し後へとずらすため、メールを打つ。
気がつけば、小さい人からメールの着信があり、「4時25分、嵐がおきている」とのこと。
お互いに頑丈な建物内にいるので、焦らない。
約30分間、どうにか嵐は過ぎ去ったようだ。
5時に退勤して車を走らせる。
西の空には雲の切れ間から青空が覗いて、嵐も収束が近い。
無事小さい人をピックアップした帰り道、メールの受信があった。
家人からのメールには一言、「洪水」とだけ記されていた。
小さい人と唐突なその文言に、笑ってしまった。
川もなく、高台の我が家でなぜ「洪水」なのか。
いくら家人がメール嫌いと入っても、大げさで謎なワード、ありえないだろう。
帰宅した私たちを家人が出迎える。
「洪水って、どうしちゃったの?」
「うそだと思ってるでしょう?でもほんとなんだから。今その始末をしている最中だよ。」
「えっ?!いったいどういうこと?」
「ともかく家に入ろう」
すると、義母も開口一番、「こんなこと初めて。あまりにも恐ろしくてとても二階の窓を閉めにいけなかったんだよ。」
義母たちの居間、応接間になにやら洗面器が置いてあり、どうやら雨漏り?があったようだ。
しかも、ありえないところで。
家人の説明では、二階の台所と洗面室の北向きの窓から大量の雨が横殴りに入り込み、それが階段を流れ落ち、ところによっては床や壁の隙間を伝い流れて雨漏り状態になったらしい。
実際、二階の台所の食器棚や壁に飾ってある額縁もびしょ濡れになっていた。
信じられない光景だ。
家人は、竜巻でも起こったかのように、雨粒が真横に飛んできて視界が奪われ、家が大きく揺れて、家の中も外もどこもかしこも逃げられる気がしなかったと、その時を表現する。
今まで、災害にはほぼ無縁でいられたのが、どれだけ幸運だったと、再び思い知った嵐だった。

シザーズハンズな吟遊詩人 ビリー・アイリッシュ

2019-08-18 17:06:09 | 音楽たちーいろいろ

Billie Eilish - when the party's over

ビリー・アイリッシュは、まだティーンエイジャー、思春期のガラスのハートを歌い紡ぐ。
彼らの指先は、鋭利な刃物、彼のシザーズハンズを想わせる。
孤独に苛まれならが愛を欲しても、その指先は愛を掴むことはかなわない。
自らを抱きしめようとしても、指が自分を傷つける。
青白い顔をして当て所なく彷徨うか、悲しみが怒りにかわって差し伸べられる手をなぎ払ってしまう。
しかし、生れ落ちたときから指が刃物だったわけではない。
ボタンの掛け違いのように、丁度いいタイミングで愛を与えられ受け取れなかった、または、不幸なめぐり合わせが彼らから愛を遠ざけてしまったのか、孤独と絶望が彼らの指を長く鋭く変化させてしまったのだろう。
ただし、彼女のPVは、ある意味クールでスタイリッシュなのだが、どうにも私にはきつすぎる。
だから、音楽だけで満足なのだ。


i don't wanna be you anymore


i love you

2019年8月13日 午前2時 ペルセウス流星群

2019-08-13 11:04:50 | 空・雲・星・太陽たち
青白く冷たい閃光を放ちながら、北向きの高い空を横切り駆け抜ける流れ星を見た。
今年のペルセウス流星群は、また一段と美しい。
12日の22時ごろから空を見上げるが、夏の空はいまひとつクリアさに欠け、うっすらと雲も浮かんでいて、星の瞬きも目を凝らしてどうにか分かる感じだった。
ー夏の流れ星は、やっぱり期待できないか・・・
それでも、せっかくの盆休み、時間を気にしないで星を待てるチャンスだ、1時間おきに空を仰ぎ見る。
23時、24時、どうにも細くたなびく薄雲と水蒸気が邪魔だ。
1時、まだ星はぼやけている。
そろそろ諦めようかと、2時ごろ北の空を見る。
頭の中には、オアシスの”Champagne Supernova”がループする。
ツゥーッ、北の空中ほどを光が走る。
流れ星だ。
待った甲斐があった。
そうなると欲が出るのは当然で、もう一つ見たいと粘る。
一つ目の星の東側に、ややぼけた光がまた一つ。
どうやら空がだんだんと澄んできたようだ。
まだ見たいと待つこと数分、東から西へと真横に長い軌跡を描いて煌きながら星が行く。
心躍るこの一瞬だ。
あと一つ見よう、それで終わろうと心に言い聞かせ、歌を口ずさみながら空を見る至福の時。
視界の端に更なる閃光が入った。
今この時点で存在したものの最後の光を、しっかりと受け取る。
存在の重さと軽さに絶望的な悲しみを感じて、ちょっと感傷的になってしまう。
流れ星は、今と遥か彼方の過去と、不確かな未来に思いをめぐらせる装置なのではないだろうか。



それは太陽のせいだ ヨゼフ・アルバース

2019-08-04 17:03:00 | アート

Study for homage to the square:WAIT 1967

ただ暖色のグラデーションという安直さで、何もアルバースの意図であるはずもない、それはこのぎらつく灼熱の太陽と溜まりきった暑い空気のせいだ。
倦んだ脳みそから湧きあがったイメージが、アルバースを呼び起こした。
けれども、それは一見同系統のものと思われて、実は真逆の効果を持つ、冷静な赤や黄色、オレンジ色なのだ。
ドイツ出身のアルバースは、バウハウスに学び教鞭をとった、バウハウスを体現しているアーティストの一人。
バウハウスは、美術や建築などに合理主義的・機能主義的理念に重きを置く学校でもあり、流れともいえる。
だから、アルバースの芸術からは、あからさまなパッションは感じられない。
時には、そのような芸術もよいものだ。
程よく冷えている心地よさ。
さあ、この灼熱無間地獄へこの絵を対峙させよう。
ブルーよりもいい感じがしないだろうか?


Study for homage to the square:Starting