rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

かわいくてツボる、マグリットの絵

2023-05-01 23:07:07 | アート

Raminagrobis 1946

毎年、アートカレンダーをキッチンに飾っている。
今年は、マグリット。
今月の絵は、猫が線路の上にどっしりとのっている図柄だ。
いつものマグリットらしからぬ画面処理で、ちょっと点描、ナイーフっぽい感じに描いている。
これがね、和むんだわ~、ほのぼのとしていい。
マグリットの作品の中でも異質だろうけれど、平和を感じさせているのは、世界的な戦争がひとまず終結した時代性なのだろうか。

北大路魯山人のテイスト、春風萬里荘

2022-08-23 23:35:29 | アート

茶室「夢境庵」へ続く門構え

茨城県陶芸美術館のあと、久しぶりに春風萬里荘を訪れた。
北大路魯山人が、鎌倉に江戸時代中期以降の豪農の古民家を改築して住居としていたものだ。
厩だった場所を洋風にアレンジした応接室の床は、年輪の面を上向きにして、まるで石畳のように隙間なく敷き詰めてあり、しっかりとした中にもどことなく温もりがあって、私が凄く気に入っているところ。
茶室は、魯山人自ら設計したとかで、簡素な心地よい空間だ。
特にこの二つが、初めてここを訪れた十代後半の時に、自分の家を作るならぜひともこの要素を取り入れたいと憧れとなった。
そして、どこかで見たことのある浴室風景だが、この浴槽と壁と床のタイルは、北大路魯山人が作った陶板なのだという。
壁の二面は擦りガラスの窓となっていて、日中にお風呂に入ると気持ちがよさそうだ。
また、土間の廊下から脱衣所に入ったドアのすぐ横には、もう一つのドアが付いていて、その向こう側には急な階段があり、養蚕をする二階へと続いていた。
となると、もう真っ黒くろすけがいるしかないだろう。
こんなふうに、ゆっくりと想像をめぐらしながらいられる、趣味に生きた北大路魯山人らしいいい場所だと思う。


木の切り口を利用した床材を、石畳風に


「となりのトトロ」に出てくるサツキたちの家の五右衛門風呂によく似ている


茨城県陶芸美術館「井上雅之 描くように造る」

2022-08-22 22:50:46 | アート




秋めく空を感じる昨日、茨城県陶芸美術館で開催されている展覧会「井上雅之 描くように造る」に足を運んだ。
緑豊かな広い敷地にある美術館は高台にあり、なかなか気持ちの良いロケーションだ。
芸術に向き合うための心のウォーミングアップに、最適な環境と思えた。
この展覧会は、井上雅之氏の40年に及ぶ芸術活動を振り返えられるもので、作家の変遷がわかりやすく展示され、どのようにイメージを精錬していったのか、興味深く見ることができた。
初期の作品は、陶芸、つまり器やろくろという伝統と固定概念の世界で模索している、まだ捕らわれた狭い世界の印象が否めない。
しかし、あるときから、その呪縛をとこうという兆しが見える。
そこからは、ただひたすらに己の根源にあるこだわりに忠実に、粘土という細胞壁を積み重ねていくようになる。
まるで、白蝋化した生き物の形骸、腑分けされ解体されたあとの脊髄や肋骨のようなそれらは、死を超越した存在のようにある。
きっと、粘土のセルを積み重ね増殖する行為に、えもいわれぬ喜びを見出しているのだろう。
私は、その繰り返す行為の陶酔感を支持したい。
倦むことを知らぬかのような子供が繰り返す遊びは、それによって満足と共に自分の中に経験を落とし込む機能がある。
大人になった日常の中にも、その快感を伴った行為はしばしば顔を出すけれど、どうしてそうなのか気にとめる人は少ない。
彼の作品を見ると、人のプリミティブな感覚が昇華されていて、芸術の大切な一面を再認させてくれた。
そして、概ね実用に用いられる陶芸を、こうしてここまで非実用な素材としてふんだんに使ったパワーが痛快、いやむしろ呪術の領域に入り込んでいるように感じられた。
たとえるならば、縄文スピリットとでもいえようか。

追:ほとんどの展覧会は、撮影禁止。
  そのなかで、撮影許可とは、たいへんうれしかった。
  作者と、美術館に感謝いたしたい。








おすすめの展覧会 カラーフィールド色の海を泳ぐ

2022-08-10 23:06:29 | アート






私の好きな美術館で年に数回訪れている、千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館では、9月4日まで「カラーフィールド 色の海を泳ぐ」を企画展示している。
それに伴い、常設展の展示の仕方も変えてあり、企画展から観ても、常設展から観ても、自然な流れのままに、まさに「色の海を泳ぐ」そのものだった。
そして、絵画のジャンルも抽象から具象、またはその逆と、そこでも流れを意識してある。
だから、ゆったりとその流れに感覚を委ねていられた。
私としては、常設展から観るのをおすすめする。
手がかりのある、いわば波が打ち寄せる海岸の小石や波の滴を頼りに、次第に沖へと進み、果ては無意識の大海原にたゆたうというのは、いかがだろうか?
色の海の深いところへゆっくりと降りていくものいい。
どうか、時間の制約を取り払って、この色の空間に浸って欲しい。
きっと自分の心と添うものに、出合えると思うから。





フランソワ・ポンポン展

2022-03-10 22:51:10 | アート


19世紀から20世紀のフランスで活動した彫刻家フランソワ・ポンポンの展覧会へ行ってきた。
彼は、ロダンのアトリエで下彫り職人として研鑽して後、動物を主なモチーフとした彫刻に取り組んだ。
もってりとしたシンプルなフォルムの彫刻は、和みの効果を持っている。
オルセー美術館にいる白熊は、一度見たなら記憶に残る柔らかなインパクトを放つ。
展示してある作品どれも、家に一つは置いてみたいものばかり。
その中でも、モグラとポンポンが大切に飼っていたハトのニコルをモチーフにした作品は、ちょっと異彩を放っている。
もっともモグラをモチーフに選ぶだけでも驚きだというのに、土の中から突然現れたかのようなポーズのモグラ。
どうしてそうなった?と思わず声を出してしまいそうなほど、だらけてつぶれたような形のハト。
ハトならこうあるべきという形の概念を真っ向から打ち砕く、ポンポンの着眼点に新鮮味と、そこまでリラックスしてしまうハトとの絆に和んでしまった。
ポンポンの作り出す形には、やさしさとぬくもりがあり、芸術を身近に置きたくさせる親近感があふれていた。

展覧会を見たあとに、佐倉城址公園を散策した。
たくさんの桜の古木があり、花の時期には見事であろうと思われる。
下草も綺麗に刈られ手入れが行き届いていて、ゆったり歩くにはとても良いところだ。
駐車場の近くには、梅や彼岸桜が咲いていて、花を愛でる人の姿もちらほらあった。
このように、程よく自然観を維持しつつ気持ちよく整備された公園があることは、文化的環境が充実しているのだと思う。
これからもそれを維持し続けて欲しいものだ。


佐倉市立美術館内立体作品








佐倉城址公園