rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

2017年12月15日、幻日とタンジェントアーク

2017-12-15 22:11:06 | 空・雲・星・太陽たち

タンジェントアーク

ふたご座流星群といい、この数日空から目が放せない。
今朝の8時あたりから30分間ほど、見ごたえのある空だった。
はじめ、車を運転しているときに、見事な幻日に気がついた。
小さい人を学校へと送り届け、職場へと向かい、駐車場について空を見上げると、幻日ばかりではなくタンジェントアークも現れている。
はやる気持ちを抑えながら、カメラを取り出し、シャッターを切ったのがこれらだ。










幻日

2017年12月13日、家族で眺める”ふたご座流星群”

2017-12-13 22:58:12 | 空・雲・星・太陽たち
冬将軍がどっかりと日本列島に腰を下ろす今夜は、格別冷え込んでいる。
でも、月の出がとても遅いために、流れ星の観測にはこれほどありがたいことはない。
あの最後のきらめきを見届けなければと、しっかりと傍観していざ外へと繰り出す。
まずは、9時を少し回ったころに家人と空を見上げた。
東側を満遍なく見ていると、眩く一瞬で流れるもの、長い軌跡を描きながら走り去るものなど、30分ほどに10くらいの流れ星があった。
さすがに体が冷えてきて、10時過ぎにまた見ようと家の中に戻る。
すると、小さい人が、今度は自分と外へ見に行こうと言い出して、体の温まるまもなくまた外へ。
流れ星は均等に出現しないから、先ほどより派手なものは流れなかったけれども、小さい人は満足したようだった。
日ごろ、意識して空を眺めることの少なくなった小さい人は、どうやらこの美しい世界を忘れていたのだろう。
夜空を見上げれば、輝く星が宇宙の広大さを教えてくれながら、流れる星が存在の儚さと尊さを詳らかにしてくれる。
家族でこれらを感じられて、なんと幸せなことか。
もし今、このブログをご覧になった方は、10分だけでも空を眺めていただきたい。
紛うことない美しさがそこにはあるから。

今朝は深い霧の中

2017-12-05 08:55:24 | 空・雲・星・太陽たち
窓の外は青みががかった明るい灰色にすべてが覆いつくされて、木々などがそこに縦のラインで濃いシルエットを映し出し、まさに幽玄な世界が広がっていた。
つまり、視界に無遠慮に入り込む雑多なものを、うまい具合に霧が消してくれているのだ。
ただそれを眺めるにはいいけれど、こと道路という鉄の猛獣が疾走跋扈する世界において、それは更なる危険を醸成する。
最近よく問題となっているあおり運転という悪意満々の行為とは異なる、無意識の危険行為が、今日のような日は運転者の気持ちを憂鬱にするのだ。
まずは、無灯火、4本目の電柱が霞んでしまうようなとき、サイドランプでも心もとないのに無灯火なのだ。
つぎに、スピードを平常のつもりで出して走る車。
加えて、車間距離が数メートルで追走する車。
ああ、おそろしや。
密林で、サバンナで、猛獣と遭遇する比など、ゼロに近くならせるほどの出現率だ。
深い霧の美しさに感動したくても、車がなくては生活できない田舎暮らしは、歓迎できない気象現象なのであった。


余地のある絵、ド・スタール

2017-12-04 23:15:45 | アート


特別変わっても目立ちもしない色だけれど、人を惹きつける何かがあるこの絵は、ニコラ・ド・スタールが描いた。
グレイッシュで破綻がないといってしまうとそれまでだが、私はとても気に入っている。
できることならば、毎日眺めていたいほどだ。
それとも、今の私だからそう感じるのだろうか。
優しく穏やかに語りかける色に、心が癒しを求めているのか。
絵の具のマチエルに物質の重みを感じ、簡略化された形態に詩情を探る、自分の心が入る余地があるところに魅力を見出すのだ。
余地のある絵、なんていいのもだろうか。