rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

2018年1月31日スーパーブルーブラッドムーン

2018-01-31 22:26:37 | 空・雲・星・太陽たち




21時50分ごろ、雲ひとつない夜空に浮かぶ月が、皆既月蝕となった。
今年、今月は、早くも満月でしかも大きく見えるスーパームーン&ブルームーンにさらに重ねての皆既月蝕で、その皆既月蝕時間も1時間17分の大盤振る舞いときたからたまらない。
欠け始めから終わるまで、3時間20分なのも長時間楽しめてしまう。
寒さなど吹き飛んで、何度も外へ出て月を見上げる。
月明かりが抑えられているから、西隣に見えるオリオン座も花を添えて、この天体ショーを盛り上げていた。
しかし、皆既月蝕が今回だけにとどまらなく、7月28日の明け方近くにもあるらしい。
でも、夏よりも空気が澄み虫に煩わされることのない今、ちょっと温かい格好をして空を眺めることをお勧めしたい。

消えたダミ

2018-01-24 22:06:23 | 

昨年10月のダミ

ダミが姿を消して、2週間になる。
この6日の新年会で、親戚のみんなに可愛がられては、ゆったりとくつろいでいたのだが、その2日後から3日間ほど姿を見せなくなっていた。
多少食欲が少なくなっていたものの、別段具合が悪そうでもなかった。
家族が心配して待っている中ひょっこりと現れて、いつもの場所に納まり義母を安心させてはいたけれど、すうと外へ出てからもうそれきり姿を見せない。
義母たちも、小さい人も、毎日のようにダミを呼んでは探していた。
いつもの場所にえさを置いてみたり、玄関を開け放しておいたり、ダミが戻るのを待っていた。
やがて雨が降り、ついには大雪となって時は過ぎ、おそらくもうダミが戻ることはないだろう。
小さい人は、猫のいない家の寒々しさが辛いと言う。
義母は、もう猫は飼わないとつぶやく。
猫という生き物は小さいけれど、心に占めていたその存在はとても大きい。
ぽっかりと開いた風穴で、迫り来る最強寒波に、内側からも負けてしまいそうな我が家だった。


2018年1月22日の大雪

2018-01-24 14:43:03 | 日記


22日夕方より深夜まで降り積もった雪は、ごらんのように景色を一変させた。
平均して15cm、ところにより吹き溜まりでは20cmを超える積雪がある。
さすがにこれほどの雪だと、溶け切るまでにはだいぶ時間がかかるだろうし、それよりも非常に強い寒気が数日にわたって日本を覆うらしく、今しばらく雪景色が身近でいそうだ。











円環する時、ジョルジョ・モランディ

2018-01-15 22:23:55 | アート


時が停まってしまえばいい・・・喜びも苦痛もなく、茫漠とした世界が待ち受けていたとしても、そう思うことがある。
それがどのようなものか希望をつけられるなら、このモランディの絵画のような世界がいい。
全体を満たす光が、影の中にも感じられる、空気の揺らぎすらないところだ。
ボルヘスの「不死の人」を読んでいるときに、モランディの絵が舞台装置として私の脳内に設置されるのは、あながち不思議でもないのはこのためか。
美とは、破壊と創造の両極を併せ持ち、その間を揺らめくものだ。
この揺らめきは、甘美で心を酔わせ高揚させるけれども、いつも無限の奈落が足元に待ち構え、人を絶望させる力を孕む。
モランディは、一人きりで絵を描き続けた孤独な修道僧。
その心中は、決して静寂さに満たされてはいなかったのではないだろうか。
法悦と絶望が、この絵から漏れ出てくると思うのは、穿ちすぎなどではないと思うのである。




美と洋梨

2018-01-08 23:01:24 | 随想たち

「少女と花」ムリーリョ

私の大好物である洋梨は、美しさを味覚で体現してくれるすばらしい食べ物だ。
芳醇な香りと柔らかな甘みに寄り添う酸味が、滑らかな果肉からあふれ出しては口の中いっぱいに広がっていくと、恍惚な気分に満たされる。
神聖な官能、まさにアンビバレンス、実に奇妙な感覚だ。
アダムとイブを楽園から追放する元となった果実は、実は林檎ではなくて洋梨だったのではないかと妄想が湧き起こる。
もしも、洋梨を毎日のように食べられるのであれば、それは私にモーツァルトの音楽とともに美を注ぎ込んでくれる大切な供給源となりそうだ。
いつかは、洋梨の樹を植えてみたいけれど、カラスや野鳥との戦いが目に見えて、なかなか思い切れないでいる。
現にこの冬も、カラスたちによってブルーベリーの苗木が、強制剪定の憂き目にあっているし・・・
ならば、その味覚を思い出しながら洋梨を絵に描いて、「絵に描いた餅」張りにしてみようかなどと、けちな野望を抱くのであった。