アンゲラン・カルトン”アヴィニョンのピエタ”
ルーブルに行くと、必ずこの絵の前にある椅子に座り、しばらくの間眺めている。
金地の背景に、悲嘆にくれ憔悴しきった聖母に抱かれた死せるキリストと、涙するマグダラのマリア。
安定した二等辺三角形構図が、この購いの瞬間が永遠に続き、皆の目の前に絶えず据え置かれるかのような効果を挙げている。
おそらく、描かれた当時は、色鮮やかだったであろう、今では変色退色し、極めて渋い色合いだ。
それが、この絵の経てきた時間を物語り、その間に繰り返されてきた人の諸々の営みを思う。
遡ることのできない時間。
”アヴィニョンのピエタ”の前にいる時間は、その瞬間だけのもので、これから来る先の瞬間がどうなるかなど、誰にも確証をもてない。
人の儚く短い一生よりも、幾世代にも超えて存在できるかもしれない絵に、切ない憧れと嫉妬を抱いた。
到底叶わないだろうと思いつつ、それでも自分の描いた絵が、誰かの手元に渡る幸運を得たとき、一条の望みを持つ。
この絵に向かうあいだ、いろいろな思いが頭の中を過ぎり、また戻るの繰り返し。
自分は、この絵の前に再び立つ日がやってくるのだろうか?
小さくも消しがたい”希望”の光を胸に、次の瞬間を大切にしよう。
今年も、こうして過ぎ去ろうとしています。
ただ長いばかりとは思いつつ、こうして書き進めてしまいますが、ここを訪ねてくださる方々に、お礼を申し上げたいと思います。
「ありがとうございます。皆様の来る年が、良き年になりますよう心からお祈り申し上げます。」
それでは、幸多き新年を。