rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

緑の威力が増し、ツバメが宙に翻る

2024-05-21 16:58:37 | 随想たち
本当ならば、のんびりしていては困る経済状況。
なのに、いまだ週一回勤務のままにいる。
その通勤は、片道1時間ほどかかり、ほぼ田舎道、田園風景の中、車を走らせる。
晴れた日などは、エンジンもよくまわり、少し開けた窓から花の甘い香りを含んだ初夏の空気が流れ込む。
水鏡だった田んぼに緑の苗が植えられ、苗の隙間には空が映り込んでいて、今だけの特別感が切ないくらい凄い。
木々の緑も、やわらかでバリエーションに富んでいたものが、鮮やかさを増して原色味を帯び、既に色の幅が狭くなって夏を先取りだ。
ツバメたちは、晴れた日は高いところを舞うように、雨が近くなると低空を切り裂くように飛び回っている。
通勤路沿いにおける季節の移ろいを、週一回という間隔が感じさせてくれるようだ。


桜を心行くまで堪能する「桜活」

2024-04-13 14:50:03 | 随想たち
タイトルに「桜」とあっても、画像がない矛盾。
しかし、私の心の中には、ソメイヨシノに枝垂桜、山桜や大島桜など、たくさんの桜が納まっている。
家の庭にも数本の桜があるけれど、どこかへ出かけるときは、あえて桜のある道を通ったり、雑木に混ざって咲いている桜を見つけてみたりと、ことさら桜を意識する。
今年から行くことになった職場の周りに見事な桜が植えられていて、さらに「桜活」がはかどった。
もし順調に生きていたとしても、あと桜を見られるのは20回もあるかどうか。
そもそも、記憶に残る物心ついてからだとすると、人は80回桜を見られたならば、とても幸せなことだ。
その歳年、同じ感じで桜が咲くわけではないから、毎回新鮮な思いで桜を見ることだろう。
実に当たり前の平凡なことであるが、それに気づき、大切にすることは難しい。
実際私は、この歳になって深く感じ入った。
これも、「在り難い」に通じるところといえる。
だから「桜」を見られたことに感謝し、「桜」が体現する生命を慈しみたい。

年度末は変化の時期、余生への所信表明

2024-03-23 15:58:29 | 随想たち

笠間稲荷

年度末は、いろいろと変化の多い時期。
元小さい人は、大学を卒業して就職へ。
私は、そこそこ勤めた職場を離れ、新天地へ。

私は飽き性なのか、どうも同じ所に勤め続けることができない。
良く言えば、好奇心旺盛、探究心の塊なのだろうか。
カッコよく言い換えたら、ROCKな生き方。
当たり前だが、いつもよいことばかりと限らないけれど、無駄になったり、負の歴史になっているとも思わない。
そう思えるようになってきたのは、歳をとったこと、周りの人に恵まれたことを実感したからなのだ。
今回も、その前の国家試験受験合格も、周りの人の言葉掛けがあり、一歩踏み出せたのも家族が応援してくれたことが大きい。
今を遡ること35年前、絵の個展を勧めてくれた人、フランスに遊学を押してくれた両親、ブログを勧めてくれた家人、受験を勧めてくれた職場の同僚たち、職歴に空白期間を作らないほうがよいとアドバイスをしてくださった先生、他にもいろいろな人に背中を押されてきた。
そのすべてが、私の心に自信と余裕をもたらし、好奇心に向かえるエネルギーを生み出している。
子供が自立したなら、もう余生。
自分とみんなが幸せに思える世界になれるよう、絵を描き、ブルーベリーを育て、人に関わっていきたい。
BIG LOVE
慈愛
愛が世界に満ち溢れますように。


松の古木


辛夷の花


今年の辛夷

ささやかな楽しみで心を癒す、それは甘酒

2024-01-20 21:40:20 | 随想たち
最近のささやかな楽しみは、仕事から帰ってきてからの家人と味わう甘酒だ。
親類からよい酒かすを頂いた。
冬ならではの飲み物の一つに甘酒があるから、早速作って飲んでみた。
麹で作るアルコールを含まない甘酒が主流のこの地域で、酒かすの甘酒を飲むのは久しぶりだ。
ほのかなアルコールの香りと、白くどろっととした口当たり、優しい甘さが、冷えた体に染み渡る。
猫舌な私は、しばらく目で眺めてから飲み始めるのに、そのころにはやけどしそうなほど熱い甘酒を家人は飲み干してしまう。
各々自分のペースで甘酒を飲むけれど、一緒に同じものを味わうことは、とてもほっとして落ち着くものだ。
それぞれが一日過ごす中で心に沈んだ不純物を、同じ時に同じことをすることで互いに取り除きあう。
甘酒を飲むことが、心を癒す儀礼の一つとなっている。
酒かすが来る前は、「ほっとレモン」であったし、「ミントティー」が儀礼のアイテムだった。
つまり、温かい飲み物は、心と体の治癒効果があるということか。
一人で温かい飲み物をゆっくり飲んでもいいけれど、できれば心が通じ合える大切な人と共に飲めれば効果絶大といえるだろう。
私が実感する、おすすめしたいメンタルケアのひとつである。


愛情布団干し

2024-01-15 22:33:28 | 随想たち
家人が、こまめに布団を干している。
特に冬の寒いとき、よくお日様で干された布団は。極上の眠りをもたらしてくれる魔法のアイテムとなる。
けれど、晴天の時ではない薄曇の日にも布団を干している家人の姿に、懐かしい狂気を覚えた。
もう10年位前になるだろうか、私は心疲れて仕事をしていない時があった。
そのとき、狂ったように少しでも空気が乾いている時には、薄曇であっても布団を干さずにはいられないでいた。
その動機としては、ほんのちょっとの労力で快適な眠りを確保できるならば、どうしてやらずにおられようかといったもの。
お金も迷惑も掛からないから、好きなだけやってかまわないと思うが、晴れて時間にゆとりのあるときならいざ知らず、1時間でも、薄曇でも、となってくると常軌を逸していよう。
自分でも、これはいささか度が過ぎると思っていても止められない。
家人がどうやらその域に踏み込んでいると思われるところを、先日目撃してしまった。
「長年一緒にいると似てくるのかな~」と笑いながら指摘したけれど、家人は好きなように布団を干し続けるだろうし、別に止めるつもりもない。
私はただ、干された布団の幸せをありがたく享受しようと思う。