rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

思いがけない花束

2016-08-31 21:33:34 | 日記


一ヶ月間だけのお手伝いだったのに、素敵な花束をいただいた。
なんとも思いがけないことで、恐縮至極。
たしかに仕事は自分が出来得ることをきちんとしたつもり、でもそれは当然なこと。
おそらくそれを認めてもらえたということだろうから、とてもうれしくすごく幸運なことだと思う。
多くの人は、自分のしたことを認めてもらえたなら、先に進むことが出来る。
そして、自分の後に続く人にも自分がしてもらったと同様なことをして、良い流れを作れるかもしれない。
できるだけ人が生き易くするのは、やはり人が心がけていかなければならないのだ。
つまるところ思いやる心、それが何より大切で、且つとても難しいものだということは、皆さんもうすうす気がついているでしょうけれども。

まずは、一ヶ月間お世話になった方々に感謝の意を。
次に、自分は思いやる心を持つ努力をしていきたいと思っている。


家族の食事

2016-08-30 23:02:56 | 随想たち
朝食と夕食は、ほぼ必ず家族揃って食べる。
話をしながら、テレビを見ながら、食卓を囲む。
最低一日一回は、家族一緒に食事するのが我が家の不文律。
同じ物を同じ時に食べることは、とても大切だ。
なぜならば、食べることは、生きる基本だから。
単純だけれど、それを毎日続けることで、連帯感が生まれシンプルな絆ができると思っている。

しかし、家族揃って毎日食事をすることができている家庭は、どれほどあるのだろう。
共働きの親、塾や習い事で忙しい子供たち、あるいは希薄な家族関係、行き過ぎた個人主義、さまざまな要因が家族での食事を妨げているらしい。
果たしてそれでいいのか。
社会も家族も何か勘違いしているのではないだろうか。
命を繋いでいくには、愛情と支え合いが必要だ。
まずは一日一回、家族が揃うことから始めよう。
家族で美味しさを共有できたなら、笑顔が自ずと生まれるだろうから。


本当は集めたいトランプ

2016-08-28 22:53:41 | モノたち
世界のトランプを集めた売り場に、しばらく張り付いて見入っていた。
かわいいデザイン、博物学的な意匠、名画やエロティックな図柄、実にさまざまな種類があり、時には長方形ではない円形などもある。
トランプは6×9cmほどのコンパクトな平面に小さな世界ができていて、子供の頃矯めつ眇めつ飽きることなく眺めていた。
裏の図柄もさることながら、表のエースやジャックなどの絵札、ジョーカーのデザインには特に惹かれるものがある。
タロットカードなどにあるちょっと不気味で禍々しさが感じられるデザインは、カードの魔力を直接表現していて、今日もそのような絵柄の物を探していた。
けれども、残念なことにトランプとしてはその売り場になく、収穫なしとしてその場を後にする。
人生の半分以上過ぎてしまったのに今更という気持ちもあるが、何個か気に入ったトランプを傍に置きたい。
これからゆっくりと、お気に入りのトランプを見つけていこうか。


”草の竪琴”  流れの中で

2016-08-27 23:10:25 | 本たち
トルーマン・カポーティのもっとも繊細で大切なものがぎっしりと詰まった「草の竪琴」は、読書中よりも読書後にじんわりひたひたと心に柔らかな温かい水が満ちてくる。
気がつけば、その水は眼球を覆いやがて零れ落ちようとするのだ。
子供の頃の寄る辺なさ、居心地のよい部屋の隅、不思議なものも簡単に受け入れられる曖昧な世界の住人だった。
もう決して戻ることができない切なく甘い時を、カポーティは両手でそっとすくい出す。
私は、自分にもある心の一番奥にある柔らかいところをカポーティによってすくわれ、心に大きな虚が開きやるせない喪失感に囚われながらも、じわりとしみ出る薄緑の温かな水を感じては、廻り行く時と命に打ち震えた。

生まれた瞬間産み付けられる孤独の卵を抱え、人は生きていく。
孤独はいつ孵化するかそれは個人差があり、どれだけ成長するかも同様だ。
放っておくと孤独はどんどん成長し、ついには人を飲み込んでしまうけれど、人は寄り添うことで孤独の成長を抑えていくのだ。
寄り添うとは、あるがままに人を受け入れる愛のこと。
それがたとえ一瞬であったとしても、孤独に飲み込まれない特効薬となり得る。
その思いは、終生その人の心に柔らかな調べをもたらすから。

水も調べも流れを伴う。
全ては流れ行き去っていく。
人も孤独も全て皆。

へびさま、大変御活発に

2016-08-25 22:00:03 | 生き物たち
今朝、出勤しようと車庫へ行き車のドアを開けようとしたなら、視界に何か動く物が入った。
顔を向けて見たならば、するするくねくね慌てて去るへびさまの姿があった。
まったく心構えがなかったから、思い切り驚きの声を上げてしまう。
そういえば、昨夜の家人の話で、ヤマカガシが庭のあちこちを徘徊しているから注意するようにとあったのを思い出して身震いした。
けれど、今いたのはアオダイショウ、”動くホース”ほど大きくはないみたいだった。

今月は仕事で地域一帯を車で走ることが多いからかもしれないが、昼日中の道路を赤い矢のごとく横切るイタチの目撃回数3回、事故にあってしまった野うさぎ一羽、コジュケイ親子の列1つ、多くの生き物に出会えた。
みんな、精一杯生きている。