rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

フリッツ・クライスラーの甘く切なく華やかな調べ

2018-02-27 23:09:11 | 音楽たちークラシック
Fritz Kreisler plays Kreisler "Liebesleid" in 1930 and 1942


またもやベタな感じだけれど、まだまだ抜け出せない甘美な夢の中。
しかし、いつの世でも人には、甘美なものを追い求める心があり続けるはずだ。
いささかレトロな曲調と思うかもしれないけれど、それで喚起される感情は変わることはないだろう。
少し前ならば、このような甘い曲は恥ずかしくて聴いていられない私だったが、いささか歳を重ね過ぎてきたのか、それとも別な意味で人生を懐かしんでいるのか、今ではも何の恥じらいもなく受け入れられている。
両掌から零れ落ちてしまったものを惜しみ後悔しないわけではない、しかし、其れに囚われて悲嘆にくれてもどうしようもないから、美しさを紡ぎとって何某か形にしたいと願うばかりだ。

ベタにロマンチックでいこう シューベルト”セレナーデ”

2018-02-22 21:53:26 | 音楽たちークラシック
まだ続いている、ロマンチックなものへの偏向趣味。
本当ならば、今日の音楽は、リストの「愛の夢」だったのだが、以前このブログでとりあげてしまったからシューベルトの「セレナーデ」に代わってもらった。
ともかくこのベタに甘い音楽で、どうにもし難い辛い気持ちにコーティングをしたいのだと思う。
もはや、ヒーリングなんて望まない、沈静麻酔効果を欲している。
音楽や漫画、物語などのこてこてに甘いもので埋め尽くして、ロマンの結晶でシェルターを創っているところだ。

Itzhak Perlman plays Schubert's serenade accompanied by Rohan de Silva on the piano

ファンタジーの世界に埋没する

2018-02-18 22:36:45 | 映画
Dou kyu sei OST [同級生——押尾コータロー]


相変わらずアンデッドな私。
だから虚無の底で、ファンタジーの灯りだけを頼りに生きている。
このところずっとBL(ボーイズラブ)に耽溺し、とくに中村明日美子作「同級生」シリーズに執心だ。
この映画もまたよろしく、音楽がそれを一層引き立てている。
押尾コータローのギターが、青春の儚さと甘酸っぱさを盛り立てて、不毛地帯と化した私のぱっさぱさな心に束の間のオアシスを出現させた。
そのオアシスが、日一日の活力を提供して、どうにかこうにか今に至る。
BLという世界、これもまた”美”なり。
いや、それに限定しなくとも、純粋に成立する恋だの愛だのは、人々の憧れであってやはり”美”であろう。
そこにリアルな諸々を絡めるのは無粋というもの、真髄だけを抽出して創るファンタジーがいいのだ。
この冬を乗り切れば、また絵を描けるだけの養分が私の中に蓄積されると信じて、ただひたすらじっと耐え抜く。
さてもさて、これからまたドプンとファンタジーの海に潜ろうか。

家人と小さい人たちが好きだという、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番

2018-02-16 22:45:55 | 音楽たちークラシック
Rachmaninoff - Piano Concerto No. 2 (Zimerman, Ozawa)


生きているけれど、エネルギーが枯渇して、半ば亡者のような昨今の私。
自分の中から湧き出てくるものが皆無なので、家人と小さい人が好きだといっているラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の助けを借りる。
もちろん、私も好きだ。
このロマンチックすぎる曲に、ちょっと恥ずかしくなってしまう。
でも、この干からびた心には、これくらいじゃないと潤いがもたらされない気もするからいいのだろう。
何とかして心を豊かに瑞瑞しくありたいのだけれど、ため息と生きる活力がただひたすら漏れ出ていく。
だから、ここもご無沙汰気味となる、つまり言い訳なのだが。