rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

レンブラント、深い暗闇から浮かび上がる光の雫たち

2011-11-29 23:33:41 | アート

窓辺のヘンドリッキェ

この絵を始めてみたのは、高校生の終わりごろだったか。
美術室に置いてあったファブリの普及版かもしれない。
深く暗いが、恐怖を抱くような質ではない、暗褐色の中から浮かび上がる人物の、白い肌や緋色の衣に当たる光の眩い雫が、とても印象的だった。
思えばこの時から、この色の組み合わせが、自分にとってしっくり落ち着く基本色になった気がする。
先の”ポンペイレッド”にも赤が好きだと書いたが、ポンペイの”ディオニソスの秘儀”も、色の割合は違えど、この色合いと似通っていた。
レンブラントの色は、黒から褐色、赤に黄色、そして白までの暖色系に振られている。
茶色の地味な脂っぽい絵になりがちなのに、光の当て方と明暗のコントラストをうまく使い、その危機を脱している。
また、晩年の作品では、絵の具を盛り上げたり、絵肌を荒らすことで、ぬめりをも免れた。
自分は、初期の作品より、後期の作品のレンブラントが好きだ。
初期の絵からは、青臭い野心満々の気概が発せられ、どうも見ていると鼻白む。
しかし、後期の作品は、野望はあってもおくびに出さず、枯れた風合いを醸し出しているところがよい。
まあ、随分と上から目線な物言いだが、とにかく気負いを見せない作品が好きなことは、どうしようもない。
特に、”窓辺のヘンドリッキェ”、何気なく飾らないところがやっぱりいいのだ。


ユダヤの花嫁

サン・テグジュペリ”人間の土地”

2011-11-28 16:39:17 | 本たち
サン・テグジュペリ”人間の土地”との付き合いは、かれこれ四半世紀以上にもなる。
気が向くと手にとって幾度となくこの本に親しんだ、いわば親友のような存在。
そして今また、ゆっくりと読み返してみた。

人が人生を生きていく中で、自分の存在意義を明確に持ち永らえることは、意外と難しい。
いや、存在意義を見出すことすら困難なのだ。
ましてや、今日のように、グローバリズムが世界を席巻し、高い商品価値のある人間以外、ただ生きていくことすらできにくくなってきている世の中においては。
自国に居てさえ、商品価値が低いとされる人間は、日々の糧を得る仕事に付くのも難儀なのだ。
人の存在意義とは、自分の存在が他者に認められ、世界の一部として機能する実感を持ったときに感じられるのだと思う。
たとえそれが、ジャガイモの一塊を育て上げ収穫するにも、ネジの一本を刻むにしても、新たな治療法を発見するにしても、その自分の成した事が世界の一部になる実感を得られれば、絶対的価値は同一であろう。
人は、各々に割り振られたことに従事し、責任感を持って成し遂げていくのは、崇高で賞賛に値すべきではないだろうか。
しかし、誰しもいわゆる天職に与るとは限らなく、その幸運は極めて稀だ。
それでも、何かしらの役割を受け持って、それをまっとうしていけるならば、自分の存在意義を認められるだろう。
それが、得られない場合、またはたやすく剥奪されてしまう場合、掛け値なしの存在理由がなくなりはしないか。

もっとも、そのような状況は、今に限ったことではなく、いつどこの国にも存在してきた。
人は、なかなか変われるものではないのだ。

この”人間の土地”の最後に、こうある。
「ぼくがいま悩んでいるのは、施米も治すことのできないある何ものかだ。ぼくを悩ますのは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ。
   精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。   」
人が、その存在意義を見出すためにも、世界を構成する小さなセルとしてだけでなく、心を持った知性としてあるべきなのだ。
世は移ろい、科学技術は躍進しても、人のあるべき理想にはどうしても近づけない。
そして、”虐殺されたモーツァルト”は、永遠と生み続けられている。

悲観ばかりしていても始まらない。
可哀想なモーツァルトを少しでも救えることはないのか、まずは自分の子から隣人から、心を砕いてみよう。
今日も、未来の人たちが、我が家にやってくるのだから。



今年、よく見られる光彩

2011-11-27 23:11:46 | 空・雲・星・太陽たち


今日、2011年11月27日午後2時30分ごろに現れた光彩。
今年、頻繁に光彩が見られる。
単に気が付かなかったのか、家人と今までに光彩をどのくらい見ただろうという話をした。
すると、ほとんど見たことがなかったと、意見が一致。
家人は子供の頃、UFO見たさにいつも空を見上げていても、光彩の存在に気が付いたことはなかったし、大人になっても光彩を見た覚えがないという。
自分も、子供の頃から空を見ることが好きなので、よく空を見上げていた。
それにも係わらずに、光彩現象に出会ったことは、いまだかつてなかったように思われる。
今年が、たまたま光彩の起きやすい気象条件と、偶然にそのとき空を見上げただけなのかもしれない。
太陽の活動が活発化して、太陽嵐の影響が少なからずあるのだろうか。
そうだ、今年は、強い太陽嵐のおかげで、低緯度の地域でもオーロラを見られたというのだ。
全ての事象は、刻一刻と変わり、密接に影響しあっている。
ならば、それを受け止めて、楽しめる場合には、出会った事象に驚嘆しよう。
だから、低緯度オーロラ出現が、ここに居ながらして楽しめたならと、楽天的期待感を持っているのであった。

冬の蛾、再来。

2011-11-26 21:45:55 | 生き物たち
 猫のような蛾ー前

 猫のような蛾ー後

昨年の同じような時期に、”冬の蛾”というタイトルのブログを書いた。
今日、そのときの”猫のような蛾”が、また玄関先にやってきた。
今回は、愛機ニコンP50で鮮明に写してみた。
胴の部分が、金色のふかふかした毛で覆われて、いかにも暖かそうだ。
朝のうちは、じっとコンクリートにしがみついていたが、陽が高くなり気温が上がると、ばさばさばさと翅を羽ばたかせ、動き出した。
そのうち、我が家のねこが、のそりのそりとやってきて、”猫のような蛾”とのツーショットが完成。
ひさびさに、ねこと蛾のおかげで写真を撮って楽しんだ、晴れて素晴しい一日だった。

 ねこと蛾

ナポリ湾のおもちゃ箱プロチダ

2011-11-26 00:07:52 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」ナポリに浮かぶおもちゃ箱のような島、イタリアのプロチダ。
ナポリから、フェリーで1時間の人口1万人の小さな島。
漁業が盛んだが、海外航路の船乗りの街でもある。
だから、もちろん日本にも色々に馴染み深い男達が、たくさんいた。
その昔、サラセン人の襲撃から炎の剣でもって街を守ってくれたというサン・ミケーレが守護聖人となって、今も街のいたるところでこの街を守っている。
島の入り口の岬の高台には、サン・ミケーレ修道院が建ち、いまなお島の人は大切に崇め祭る。

イタリアはカトリックの国で、人の名前は聖人の名にあやかりつけている。
そうすると、勢い同じ名前が巷に溢れてしまう。
そこで、区別をする為に”あだな”を用いるのだが、どうやらそれは世襲制を帯びていて、「逃げ猫」「かもめ」「41」「太っちょ」など、それぞれにエピソードがあるのだ。
日本でもその昔、姓を名乗るのは侍以上で、一般の民百姓は屋号で区別をつけていた。
いまでも、人の流入の少ない地方では、姓がかぶることも多々あり、屋号が健在な所以である。
おそらく、このプロチダも、人の流入が少ないのだろうと、この風習を見て思った。

プロチダの街は、色とりどりのパステルカラーに塗り分けられている。
家はまるで積み木やブロックを積み重ねたように幾層にも重なり、家ごとにピンクや水色にクリーム色などカラフル、四角なマカロンか落雁みたい。
ちょっと、おとぎの国のよう。
そして、この家と家を縫うように繫ぎ結んでいるのは、狭くて急な階段だ。
しかも、家々の境界は、あいまいどころか不在という驚き。
また、住宅にできる土地が狭いせいなのか、道幅も狭い路地になって、路地と迷宮愛好家には、ぞくぞくするところ。
そんな路を自動車やバイクなどが、器用に歩行者や犬の脇をすり抜けていくものもあれば、歩行者の後ろを辛抱強く徐行していたりもする。
この狭い道路状況にあわせて、島の自動車のほとんどは、ミゼットのような超小型車が多いようだ。
また街路樹にオレンジの木が植えられ、実をつけているのも好ましく、住人達はその実を採って食べているらしい。

プロチダで最も古い場所とも言われるコッリチエッラは、小さな漁港に面する。
岬の片面にへばりつくようにできたこの場所は、自動車やバイクの侵入を阻み、プロチダ特有の建物が、より一層際立つようになっている。
建物たちが、様々な色の積み木が重ねられ組み合わさっているには、どうやら訳があるという。
それは、長い間漁に出ていた男達が、遠くからでも自分の家が見分けられるために、色を違えているのだ。
おかげで、引いて街全体を見てみると、演劇のセットかおもちゃの国にいる錯覚を覚える。

そう、ところどころの家の玄関先に飾られるリボンは、その家に赤ちゃんが生まれたしるし。
女の子は、ピンクのリボン、男の子は水色のリボンといったように。
これに似たことで、日本でも、男の子が生まれると、初節句にこいのぼりをあげるのがある。
どこの国でも、家に赤ちゃんが生まれることは、とても喜ばしいことで、周りにお披露目したくなるのだろう。

またもや日本に馴染み深い、”グラツィエッラ”がある。
19世紀のフランス人作家の自伝的小説のヒロインが、ここプロチダの娘グラツィエッラ。
彼女は、主人公のフランス人と恋に落ちて時を過ごすが、男がいったん帰郷したのを待ち続けた。
しかし、待てど暮らせど帰らぬ男を待ちわびながら、ついには病を得て返らぬ人となる。
やっと戻った男が見たものは、荒れ果てた彼女の家だった。
とまあ、一途な女の愛を賛美したミス・グラツィエッラコンテストが、70年も前から続いているのだという。
コンテストの優勝者は、絹に金糸の刺繍をあしらった伝統衣装を身に着けてお披露目をする。
まるで、”蝶々夫人”。
でも、プロチダの漁師や航海士を生業として長らく家を空ける男と、それを待つ女の構図が、”グラツィエッラ”を厚く指示する理由だろうと思う。

最後に、プロチダの家庭料理「溺れダコ」。
素もぐりでも簡単に獲れるタコを、オリーブオイルとニンニクで風味をつけ、もぎたてトマトを入れて40分煮込み、摘みたてパセリを散らして出来上がり。
海と陸の恵みを一緒に美味しく頂ければ、ほかにどんな幸せがあるのだろうか。

海の恵みとおもちゃ箱のようなプロチダも、訪れたい街リストに追加しよう。