rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

夕焼け空を見られる無事に過ごした一日を、感謝せずにはいられない。

2011-06-30 22:25:59 | 空・雲・星・太陽たち


今日の夕日。
日に照らされて金色に輝く雲のアウトラインが、オレンジや薄紫色の空に映えていた。
こうしてまた一日、無事に夕日を拝めた。

今朝、長野の松本あたりで、震度5強の強い地震があった。
なんと、不幸にも亡くなられた方が十数名いらっしゃった。
まことに残念で、ご冥福をお祈りいたします。

いまこうしていることが、奇跡なのだと、あらためて思う。
だから、感謝して、今を生きよう。



これは、小さい人が作ったコサージュ? または、リース的なもの?
草取りをしている回りで、なにやらせっせとやっていると思えば、こんなものを作っていた。
庭にある植物のアレンジメント。
自ら楽しむ心を持っているようだ。
いつまでも、その心を失わないで、健康で、出来れば長生きをしてもらいたいと、親心は願うのだった。
子供は、未来。
そして、希望。


中抜きによる日本経済の空洞化について、何気ないことで、ちょっと思ったこと。

2011-06-30 16:06:36 | つぶやき&ぼやき
家人は、自転車オタク。
自転車に乗るのも好きだが、磨いて眺めるのはもっと好き。
一般経済活動から乖離している我が家の経済状態では、ここ数年、ネットで自転車ライフを楽しんでいる。
それでも、ここしばらくは、それもする気が起きなかったらしく、ヤフオクなど覘かなかったらしい。
先日、思い出して、自転車関連サイトを訪れたときに、大いに驚いたという。
出品物が、高級品と廉価品やジャンク品の二極化になっているというのだ。
かつてのバリエーションに富んだ、心躍る完成車や部品の数々は、もはや面影はなく、数・品質ともに寂しい状況だと。
我々の勝手な想像だが、主な自転車オタクのタイプはこうだ。
眼鏡・痩せ型・理系・七三分け(昭和のときの話で)が大方で、ときに変り種でアーティスト系が少数と。
アーティストは、経済的に安定しないだろうと、これまた勝手な思い込みで、ヤフオクのメイン構成員には入らないだろう。
その主たる理系の方の経済状況が、芳しくないのではないか?
メリルリンチの赤字転落を皮切りに、リーマンショックで急転直下、世界経済は恐慌の態を相した。
理系の方は、管理職に不向きであろう例の勝手な想像で、技術者・研究開発者の中堅で中年以上の方は肩叩きの憂き目に会われたのだ。
かくして、ヤフオクの自転車サイトから、離脱されたのではあるまいかと。

次に、自分が昨日みて思ったこと。
ほぼ1年ぶりに、実母とデパートめぐりなるものをした。
県庁所在の地方都市だが、かつての街の中心には、デパートと呼べそうなものは3件しか無くなってしまった。
価格を抑えた若者向きをメインのもの2軒と、高級志向の品揃えの一軒だ。
この街のデパート状況も、バブル崩壊後何とか衰退しながらも維持してきたが、リーマンショックで一気に街は様変わりをした。
個人商店も次々にシャッターを下ろし、街はシャッター街、ゴーストタウン化している。
平日の昼間、メインどおりを歩く人影は乏しい。
もっとも、地方都市における小売店は、地価が安く、広い駐車場を完備できる郊外型の波で一変した。
一家に2台自動車を持ち、女性ドライバーが激増し、自動車で行けてなんでもその場で用の済む大型ショッピングモールの出現は、時代の流れだ。
道が狭く、地代の高い駐車場の無い旧市街の小売店は、苦戦を強いられてしまった。
そんなことも要因として、中堅どころの品揃えをする全国規模のショッピングモール葉、消費者を取り込んだのだ。
また、自社開発の価格を抑えた商品を扱う全国展開の小売業も、地方では郊外型になっている。
少し横暴だが、大きく見ると、高級品と低価格品の流れが、小売業界を見ても二極化が顕著になっているだろう。

労働者階級中抜きの経済構造は、経済活動にも見て取れる。
自分が見聞きした話、技術系・研究開発系の方は、最新技術の流れについていきにくいと、出向を進められるとか。
テクノロジー的には合理的でも、モラルとしていかがなものか。
仮に経営者の立場だとすると、そんな諸々のジレンマに陥ってしまいそうだ。
もし、技術者・研究開発者は、後人の指導に当たるようにスライドさせたにしても、全ての人というわけにも行かない。
このような分野ばかりではなく、全ての業種においても、新人の採用育成を控えたり、中堅をカットしたりと、労働者の構成が偏り歪んだものになっている。

経済の物流・人材のグローバル化が、押し進んでいる。
企業は、国際競争力をつけるために、あらゆる経営戦略を練っている。
地価と人件費のかからない海外に生産拠点を移したり、社会保障を確約しなくてもいい派遣労働者を多く雇用したり、海外の研修者を雇い入れたり、それこそ中堅の労働者をカットしたりなど。
それが、労働者の構成比をめちゃくちゃにし、安定した収入を奪い、貴重な人材をなす術もなく路頭に迷わせ、生産活動・消費活動・経済の大きな流れを阻害する悪循環を招いている。

たったこれだけのことで経済を語るなど、”木を見て森を見ず”と失笑されるかもしれない。
しかし、細部にこそ真実の雛形がある場合もある。
森を構成するのは、まずは小さな葉一枚からなのだ。
仮にその葉が健全でなければ、木は森は健全にいきいきと形作れるだろうか?
まずは、葉を元気にすることから考えてみるのはいかがだろう。
そして、森は木を思い、木は葉を思い、葉は森を思う。
全てのバランスが上手く取れるようにと、心配りをしなくては、共倒れになるも仕方ないかもしれない。

ブロック、大好き! ブロックの究極系、カーペンターブロック

2011-06-28 23:42:43 | 趣味たち
ブロックは、素晴しいおもちゃ。
子供の頃には、ダイヤブロックで、小学6年生まで来る日も来る日も遊んでいた。
主に、理想の家や部屋を作っていた。

中くらいの人が3歳のとき、札幌の東急ハンズで、カーペンターブロックを見つけた。
そのとき、随分と力を入れてプロモーションしていた。
スケルトンのものや、定番の白・黒・黄・緑・赤・青の6色セットなど、種類も豊富だ。
見本お試し用のブロックを手にとって、感触を確かめた。
3.5センチ角、直角二等辺三角形、二等辺三角形など6種類の、手ごろな大きさ。
プラスチックは、粘りのある素材で、組み立てやすく、しっかりと結合するが分解も楽で、小さな子供でも力が足りなくて使いづらいということもない。
以前、弟が使っていたりブロックは、ぴったり嵌ると抜けにくく、ダイヤブロックもそうだったが、手を焼いた記憶があり、これはポイントが高い。
だから、買うことに決めた。
あいにくと旅先で、ハンズならいつでもどこでもあるだろうと、100ピースくらいのセットにした。
それからというもの、中くらいの人は、このブロックでいろいろなものをつくった。
男の子だから、ほとんどが恐竜。
ドラゴンやロボットなどは、実に素晴しいものが何点も出来た。
どこかに、記録してあるはずだ。
もう少し、ピースを買い増ししようと思った頃には、惜しくも市場に出回っていなくなっていた。
新品でなくともと、オークションで検索しても、一向に見つからなく、すっかり諦めた。

最近、なぜか小さい人が、このブロックで遊んでいる。
そこで、思い出し、駄目もとで検索かけてみると、なんとヒットしたではないか。
どうやら、6年位前に復活したようなのだ。
それでも、大手ルートには乗っていないのだろう、相変わらずマイナー路線らしい。
大阪生まれの素晴しいこのカーペンターブロック、もっと評価され、認知されてもいいのではないだろうか。
いまは、自分のために、このブロックが欲しい。
童心に返って、ブロック遊び・・・ではないが、でも、そうしたくなるほど、このブロックは魅力的なのだった。

内気な少年が一人そっと口ずさむ、エリオット・スミス”XO”

2011-06-27 21:57:45 | 音楽たちーいろいろ
雨がそぼ降る肌寒い日には、エリオット・スミスの歌声がしっくりと来る。
洗濯物がぶら下がっている、穴倉か秘密基地のようなアトリエで、ボリュームを押さえて聴いてみた。
繊細で傷つきやすい少年が、傍らでそっと歌を口ずさむかのようだ。
歌には、ときどき干草から立ち昇る太陽の香りと暖かく乾いた光が顔を覗かせる。
でも、基調は、そぼ降る雨や木立に立ち込める霧なのだ。

彼の歌は、きつく辛いものではない。
しかし、時として聴くとやりきれない気持ちに誘い込まれてしまうこともある。
”XO”、半年前には、とても聴いていられなかった。
思い切って、一昨日からまた聴き始めた。
今回は、大丈夫。
少年は、隣に並んで歌を口ずさんでいるから。
あの、洗濯物が、鍾乳石かメタセコイアの枝が垂れ下がってる森のようなアトリエで。

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犬養道子「こころの座標軸」、”善い種子”は神からの公平なプレゼント

2011-06-27 00:50:46 | 本たち
前に、小川国夫の「弱い神」について書いた。
でもなんとなく後味の悪さと引っ掛かりが、抜けない棘のように心に刺さって、始終ちくちくいらいらと付きまとっている。
きっと、小川国夫の信じた神を、ある一辺で切り取り、決め付けてしまったせいなのだ。
そして、人間を救いのない悪しき者と、絶望しているせいなのだ。

犬養道子の「こころの座標軸」には、罪深き人間と愛すべき人間の両方をもってしても、なお希望を捨てない姿勢を貫こうという決心が書かれていた。
彼女は、それこそ歴史の渦の間近にいて、つぶさに人の愚行を見てきた。
長じてからは、世界各地で繰り広げられる紛争地域に出向き、凄惨な状況を肌で感じてきた。
いくら「神」を信じているとはいっても、この人間の浅ましくも愚かな仕業を見て、人間をまた人間を創造した神を捨てなかったものだと、その信仰心の強さに驚嘆する。
ただの情報だけでも、絶望しきっている自分は、なんと弱いことか!
彼女は、誰の心にも初めから備わっている”良心”を信じているから、これに全ての希望を見出していられる。
それは、「”善い種子”は、神からの公平なプレゼント」というのに、表されている。
その”善い種子”はとても小さくデリケートだが、生命力旺盛で、きちんとした環境で芽吹かせ大切の育てれば、素晴しい世界をつくり、その担い手になるはず。
だから、よい未来を望むならば、いまを生きる者たちが、この小さき種子を育まなければならないと。

キリスト教徒のカトリック信者でもある犬養道子は、教会で祈る。
でも、プロテスタントの教会でも、祈りを捧げる。
イスラム教徒や仏教徒も、尊重する。
目には見えなく、実証できない”神”に、尊い祈りを捧げるものたちを、愛しんでいる。
なぜなら、”神”は”愛”からだ。
善きも悪きも全てひっくるめて、”神”が創造した人間。
神は、大いなる何かなのだ。

古来、バビロニアのハンムラビ法典にある
      ・殺してはいけない
      ・父母をあしざまに扱ってなならない
      ・姦してはならない
      ・盗んではいけない
      ・嘘いつわりを言ってはいけない
      ・他人の持ちものを奪おうとしてはいけない・・・・・・
どこの誰にも共通することを、人類最古で最初の成文法として、石に刻み込ませた。
裏返せば、自分がされたら嫌なことの列記だ。
しかし、この単純素朴なことが、出来ないからこそ、忘れない為にもあえて言葉で刻み込まなくてはならなかった。
不完全な人間だからこそ。

梅棹忠夫の「光明」も、そんな不完全な人間が誰しも持っている小さな”善い種子””良心”の存在に、それを見出し期待したのだろう。

犬養道子も梅棹忠夫も、それから小川国夫も、小さな”善い種子”に神の存在と恩寵を見たのかもしれないと、自分の心に刺さった小さい棘が、絶望している心にささやいているのだろうか。
それが、冷たく冷え切っている心を刺激して、ちくちくいらいらと感じているのだ。