rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

愛と平和へ捧ぐ アレクサンドル・ボロディン 弦楽四重奏曲第2番

2022-03-03 17:25:47 | 音楽たちークラシック
Alexander Borodin - String Quartet No. 2


アレクサンドル・ボロディンは、19世紀帝政ロシアで活躍した作曲家であり、有機化学の化学者として名を残している。
どちらが本業かというならば、化学者としてその生涯の時間を費やした。
しかし、作曲の才能も秀でていて、作品数こそ少ないけれど、叙情性豊かな質の高い作品を残している。
この弦楽四重奏曲第2番の第3楽章「夜想曲」は、多くの人がどこかで耳にしたことがあると思われるほど、馴染みのあるものだ。
この文章を書くきっかけは、FMラジオJ-WAVEの朝に聞いている番組に挟み込まれるCMで使われていたことによる。
聞き知っていた曲でいたけれど、作曲家名と曲名を知り、なおかつその曲にまつわるエピソードがロマンティックであったことが寄り印象付けとなった。
「化学者として忙しい業務の合間に、愛する妻への思いをこめて書き上げた・・・」とあったような。
化学は諸刃の剣、人に有益な作用を持つものもあれば人に害をなすものも併せ持つ。
彼が、自分の研究している物質についてどのような考えや感情を持っていたかは不明だが、もし自分の行なっていることにアンビバレントさを感じていたならば、音楽を作ることでバランスを保っていたのではないかと想像する。
人への精神攻撃に音楽を用いるというのも不可能ではないだろが、そのような魂を悪魔に売った所業を目指す音楽家はいないと信じたい。
おおむね美しいと思えるものを作りたいと思っての芸術活動であろうから。
いま、世界で命の危険に曝されている人たちがいる。
それは最終的な結果であって、そうならないための各々の考えや立場を保証しつつの妥協が世界を構成すると思うのだ。
かつての、世界大戦がどうして起きてしまったのか、振り返る必要がありそうだ。
多様性を謳いながら、どうも一極一元化へ集約しようとする気運があるように思えてならない。
「世界は一つ」ある意味この言葉は恐ろしい。
何かきっかけとなるか分からないから、愛と平和にこのボロディンの曲を捧げたい。

Borodin: String Quartet № 2—III. Notturno.


やさしい雨音

2019-01-31 22:44:40 | 音楽たちークラシック
Ombra mai fù - Xerxes - Handel/ヘンデル「ラルゴ」(Harp ver.)


何時間も雨音を聞くのは、いつ以来だろうか。
ポツリポツリと屋根やベランダを打つ音が、静かな夜にやさしくリズムを刻む。
今頃、土も草木も生き物たちも、みんなこの音に聞き入っていることだろう。
そして、新たな命を息吹かせる準備に入る時期だと知るはずだ。
予報では、これから雪に変わるらしいが、春は確実に近づいていて、景色がどこかうきうきとしだしているような命のざわめきを感じ取りたい。

高密度な音のキューブ、スカルラッティ

2018-04-27 22:31:59 | 音楽たちークラシック
Scarlatti Sonata in D minor K141 by Martha Argerich (2008)


ぎゅぎゅっと音のキューブが積み上げられていく。
それがやがて大聖堂を形作り、ファサードのタンパンのように華麗な文様を描くのだ。
聴いていると、あたかもその前に自分が立ち、見上げているかのような気分になる。
音は、生まれたその瞬間から消えるけれども、私たちの心の中にしっかりとした空間を持たせた構造物を築いていった。


声の誘惑、モーツァルトの歌劇”フィガロの結婚”

2018-04-01 22:27:10 | 音楽たちークラシック
<フィガロの結婚 - 愛の神よ 照覧あれ - グンドゥラ・ヤノヴィッツ 第二幕


フィガロの結婚 - 楽しい思い出はどこへ - グンドゥラ・ヤノヴィッツ -


昨年あたりから、声楽曲を聴くようになった。
その歌詞が聞き取れて意味が解るということではなく、声と言語の音の変化のまろやかな面白さに、気がついたといったところだろうか。
加齢によって聴き取れる音域の変化も、若いときには苦手だった歌劇曲を、身近にしているとも考えられる。
人は、その生涯のさまざまなステージで、得るものもあれば失うものもある。
だから、そのときに応じて、できるものを十分に堪能するのがよい。
やっとモーツァルトの声楽曲の中でも歌劇を楽しめる、なんと幸せなことか。
ほかに、ヴェルディやビゼー、ワグナーなども、こちらへおいでと待っているようで、新たな世界が扉を開けて、私を誘うのであった。

Non piu andrai (Le nozze di Figaro) - Bryn Terfel


/font>

フリッツ・クライスラーの甘く切なく華やかな調べ

2018-02-27 23:09:11 | 音楽たちークラシック
Fritz Kreisler plays Kreisler "Liebesleid" in 1930 and 1942


またもやベタな感じだけれど、まだまだ抜け出せない甘美な夢の中。
しかし、いつの世でも人には、甘美なものを追い求める心があり続けるはずだ。
いささかレトロな曲調と思うかもしれないけれど、それで喚起される感情は変わることはないだろう。
少し前ならば、このような甘い曲は恥ずかしくて聴いていられない私だったが、いささか歳を重ね過ぎてきたのか、それとも別な意味で人生を懐かしんでいるのか、今ではも何の恥じらいもなく受け入れられている。
両掌から零れ落ちてしまったものを惜しみ後悔しないわけではない、しかし、其れに囚われて悲嘆にくれてもどうしようもないから、美しさを紡ぎとって何某か形にしたいと願うばかりだ。