10年ぶりだ、家人と一緒にかつてともに青春を過ごした街を歩いた。
震災によって損傷を受けた建物は撤去され、または後の利用がない老朽化したビルも取り壊されて、駐車場や高層マンションが取って代わっている。
メインストリートは、シャッターのしまった店舗が目立ち、道を歩く人の姿はまばらだ。
以前、住んでいた町やかかわりの深いところの写真を撮っておくといいだろうと家人と話していたが、今日の家人は違っていた。
「それを撮っておいたからといって、誰が懐かしむだろう。
共有できるのは私ぐらいなものだから、かえって寂しさが増すだけで、そもそも街は時代の流れによって移り変わるのに何の不思議もない。」
まさにそうだ、抗いようもないことなのだ。
寂しくても、惜しくても、人ととともに歩むのが街だから。