「寂しいと思ったら、先に手紙を書くもんだ」
私ね、この台詞にガツンとやられた気がしました。
この台詞を聞くまで正直「作品賞だよね。。」と若干不安になっていたので(スパイク・リー氏とは別の理由で)。
で、「あ、これだ」と。 合せて私自身が最近とても気になっていたことへのヒントを貰った瞬間でした。
人の"居場所"は何で決まるのだろう。
人の"居場所"に上下や貴賤はあるのか?
ドクターには金も名誉も地位もある。トニーには金はおろか名誉も地位もない。
でもトニーには一緒に食事をする家族、心を許せる身内、何より自分の手紙を待つ相手がいる。
ドクターには一緒に食事をする家族も心を許せる身内も、手紙を待つ相手もいない。
なんかね、ドクターの姿に「ボヘミアン・ラプソディ」のフレディを重ねてしまいましたよ、二人とも自分の「居場所」を求めていたんだって。
それは、彼らがマイノリティだからじゃなくて、実は私たち誰もがそれを求めているんじゃないのかなって。
フレディは「Somebody To Love「愛にすべてを」」で「Can anybody find me somebody to love?(誰か僕に愛する人を見つけてよ)」と歌ったけれど、このloveって、ヒトだけじゃなくて居場所でも通じるのではないのかな。 自分が愛せる居場所=人だと思えるから。
そしてそれがあれば「I ain't gonna face no defeat(負けることはない)」。
「自分には帰る場所、自分が居てもいい場所、自分を温かく迎えてくれる場所がある。」
それこそが「自分の居場所」。そこに上下はない、貴賤もない。
でもその場所は誰かが探してくれたり与えてくれるものではないんだよね。
そんなこと、わかってる。
ドクターも、自分の居場所を求めて南部に行ってみようと思ったのかもしれません。でも南部も自分の居場所ではないと確信したんだと思えるのです。じゃ、自分の居場所はどこにあるんだろう。。
「寂しいと思ったら、先に手紙を書くもんだ」
スペルミスがあっても、子供の文章でもかまわない。「"先に"手紙を出すこと」が何よりも大切なのだから。
ドクターは"文法上での手紙の書き方"を知っていても、"なぜ手紙を書くのか"までわからなかったのですね。。
旅が終わった後、ドクターはお兄さんに手紙を出したのでしょうか。トニーの家のドアをノックした"勇気"を持って。
いろいろ言われているこの作品だけれど、居場所は"勇気を持って"自分からノックしてゆくものだよ、っていうメッセージをごくごく自然に感じられた、「グリーンブック」でありました。
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