1945年8月15日・終戦の日、あれから72年。
この戦争では多くの尊い命が奪われました。
心から黙祷をささげる一日にしたいと思います。
朝日新聞のデジタルニュースから拝借致しました内容です。
当時19歳の青年(現在は91歳の男性)は、
72年前のこの日が特攻隊として出撃予定だったそうです。
前日の8月14日に特攻命令が下ったそうで、
特攻前夜にはささやかな宴席が設けられたそうですが、
その頃には既に食料もお酒も底をついていたそうです。
特攻当日の朝に、「玉音放送を待て」と告げられ、
日本が降伏した事により特攻隊として出撃する事はなくなり、
命を落とす事無く済んだという事です。
当時の若い隊員達には、「自分だけが生きて帰る」という気持ちは皆無だったそうです。
特攻前日には、飛行機に爆弾が積まれ、
操縦席前方の窓に、確実に敵船に突っ込むための目印「○」が書き込まれたそうです。
多くの人達が、お国の為に命を捧げる覚悟を持って生きていた時代だったのですね。
それとは反対に、
第五航空艦隊司令長官宇垣纏(うがきまとめ)中将の命令で、
玉音放送後に出撃した特攻隊もありました。
その特攻隊は合計11機23名(途中3機が不時着、5名生存)、
大分基地から沖縄の沖に向かって離陸していったそうです。
どんな気持ちで離陸していかれたのでしょうか。
おそらく、
若くて有能で大切な多くの命を特攻として犠牲にし続けた懺悔の思いだったのでしょうが、
部下を引き連れていく必要はなかったのでは、、、とも思います。
その8機は、アメリカ軍に被害をもたらす事なく、沖縄付近の海面に墜落したという事です。
玉音放送後に特攻で命を落とした18名の命は一体、、、と思うと辛くて仕方なくなります。
玉音放送が流れた事によって救われた命、
玉音放送を聞いて責任をとるかたちで御伴を引き連れて自ら消えた命、
お国の為に散っていった多くの命、
戦争の犠牲となって散っていった多くの命、
大切な人を戦争で亡くした多くの方々の悲しみ、
本当に戦争というものは悲惨です。
この世の中から戦争が無くなりますよう、心から祈る思いでおります。
ーby事務長ー
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