巷説志忠屋繁盛記・15
マスターは写真集を封印した。
ここのところアイドルタイムになると昭和の八尾の写真集にのめり込んでしまうので、トモちゃんに持って帰ってもらったのだ。
実際に伝票の整理が遅れてしまって仕事に差し障るとチーフからも言われている。
「仕事に身ぃ入れるとお客さんの入りもちがうでしょ」
「ほんと、お店の外に列が出来てるわ」
「悪い日に来てしもた~(;'∀') どうぞ、お待ちの二名様~」
勝手知ったるトコは急きょエプロンを付けさせられ、臨時のウェイトレスにさせられている。
「海の幸とビーフシチューのランチセットです、はいご注文承ります……はい、お冷すぐに……」
「すみません、一つお詰め合わせ願えますか、申し訳りません、お一人でお待ちのお客様~」
「山の幸大盛りあがり~」
「オーダー入ります、海と山、海大盛りで麺硬め~」
厨房もフロアーもてんてこ舞い、ズーーっと自動ドアが開く音。
「すみません、満席ですので……」
トモちゃんが振り返ると交番の秋元巡査。
「店の前、ちょっと整理してもらえませんか」
お客が溢れかえって通行の邪魔になってきているのだ。
「ごめん秋元巡査、すぐに……」
首を45度も回せば見渡せる店内をサーチライトのように三往復舐めまわした。
「お、大橋、それ食べたら店の前整理して!」
「え、おれか?」
「他に大橋はおらへん」
マスターは、この作品の作者さえも使い始めた。大橋の人柄の良さと現役教師時代に熟練した列整理(教師は集会や行事で整理の仕事が多い)の技で、店の外をきれいに整理した。念のためマスターがチラ見すると『最後尾』のプラカードが見えた。
――あんなプラカードあったんかいな?――
詮索する暇もなく厨房に戻り八面六臂獅子奮迅の働きで二時過ぎにやっとアイドルタイムにこぎつけた。
「あーーしんどかった……」
マスターが冷蔵庫に背中を預けた時には、チーフはじめトモちゃんも臨時のトコも作者の大橋までもカウンターに打ち伏せていた。
「ご苦労様でした、マスター」
四人掛けシートの向こうから声が掛かった、どこに潜んでいたのか、テーブルを潜って顔を出したのは近所のテレビ局の中川女史だった。
「あ、中川はん……」
「じつはお願いがあるんだけど……」
「…………なんでっしゃろ?」
返事に間が開いたのは、疲れていたこともあるが、こんなクソ真面目な顔をした中川女史は初めてで、海千山千のマスターの脳みそは『要注意』のアラームが灯っていたからだ。
「お店をロケに使わせて欲しいねんけども」
「え、あ……いつ?」
以前にもグルメコーナーで紹介されたこともあるので、そういう線だろうと思った。
「いや、ドラマの収録やねんけども」
違う答えが返ってきたが「ドラマ」という言葉にカウンターのゾンビたちも顔を上げる。
「で、いつなん?」
「実は、今日……もう、その角曲がったとこで、みんなスタンバイしてるんやけど……」
「え、なんやて?」
入り口に近かったトコが外まで出てみた。
「わ、えらいこっちゃ!」
カメラやマイクの機材を構えたスタッフだけではなく、キャストを乗せたロケバスまでが今か今かと待機していたのだ。
「そんなことは前もって言うてくれやんと」
不平そうに言うマスターだが、ランチの爆発的な客の入りもあって、頬っぺたが緩んでいる。
「実は……もう部分的には撮影させてもろてんねんわ」
「「「「「え?」」」」」
「めっちゃ流行ってる店という設定で、ランチのお客は、うちの仕込みやねんわ……」
「な、なんじゃと!?」
ひっくり返りそうになったアイドルタイムであった。