銀河太平記・163
伝説の大帝、昭和天皇は相撲を好まれた。
小よく大を制す。たとえ非力な小男であっても、技と工夫、または機を見ることによって相手を下せるところを好まれた。
その姿勢とお心の強さを兼ね揃えておられたからこそ、終戦の御決心をいたされ、戦後復興の先頭にお立ちになれた。
劉宏大統領は、その就任にあたって、昭和天皇の相撲好きに触れ、これを見習おうと挨拶した。
満州戦争が終わって数年、中国の大半を漢明がまとめ上げ、ようやく大中華復興の光が見え始めていた。
しかし、漢明は分裂時代の軍閥や財閥の寄り合い所帯。共和国成立の慶祝な空気に包まれていたが、心底では動乱再来の気を孕んで、数億の民も軍閥や財閥の首魁たちも、その地盤の上で姿勢を制御することで心も頭もいっぱいだった。誰も、進んで大中華の舵取りをしようとは思わなかった。
だからこそ、あの大戦、困難な戦争の中にあって、大勝利こそ得られずとも漢明を最大の勝利者に止めることができた劉宏将軍を担ぎ上げた。
もし、最初から漢明全軍の指揮権を劉宏に与えていたら、圧倒的勝利を漢明にもたらしたであろう。
その劉宏が就任のスピーチで昭和天皇に触れたのだ。その祝典会場に居た者たちも、その様子を中継で観ていた者たちも鼻白んだ。漢明中興の期待を寄せられた新大統領が、二百年以上も前の島国の王の事績を称揚したのである。
「諸君、この姿勢を最初に持ったのが、この大中華の最初の統一を成し遂げた秦の始皇帝であったことを思い出してほしい!」
歴史に詳しい年寄りたちは「おお……!」とどよめきながら身を震わせ、疎い若者たちは訝しがりながらも、年寄りたちの興奮に刮目した。
「始皇帝、いや、秦王政は、幼少のころから艱難辛苦の中にあり、非力な秦国が天下に覇を唱える機をうかがっておりました。幼くは趙の人質になり秦に帰る機を窺った時、丞相呂不韋との確執の時、合従軍を迎え撃った函谷関の戦いの時、弟成蟜との対立の時、山の女王楊端和との協和の時。彼は、待つ時は石の如く、攻める時は雷の如く、緩む時は海月の如くに身を持しました。それが、その姿勢こそが、中華統一の偉業を為さしめたのです。それは、あたかも土俵に上がった力士の如くであります。その、秦王政にならい、この劉宏は、大中華、その精神の結実点であり、秦王偉業の徴である万里の長城、八達嶺の城頭において大統領就任の宣言をするものであります!」
敵将ではあるが、あのスピーチには感心した。
守勢をもって当面の方針とし、いずれは、その充実発展の意欲を示すのには文句なしだ。
その上、日本の相撲を持ち出すことで、当面、日本との融和と協調を示すことにもなった。
やつは、その演説だけではなく、戦後傾きかけた日本の相撲にも肩入れしてくれ、じっさい彼の援助が無ければ相撲の復興は十年は遅れただろう。
そのくせ、相撲復興の表舞台に出ることはしなかった。ようやく優勝者に『劉宏盃』を出すことになった時も、その授与式に出ることは最後まで辞して、その奥ゆかしさは日本国内でも好意をもって受け止められた。
その劉宏が、漢明海軍大学の大プールで、我が日本士官学校謝恩祭の名物である尻相撲『大ドンケツ』に臨もうとしている。
それも、相手は身長差50、年齢差60の呉麗花という12歳の少女だ。それも、潜在的な政敵と噂の高い統合参謀本部議長の孫娘ときている。
二人が50メートルプールに浮かべられたフロートの上で『尻合い』のファイティングポーズをとると、会場も、我が士官食堂もワールドカップのキックオフ直前のような興奮に包まれた。
ピーーーーー!
キックオフ同様に審判のホイッスルが鳴り響き、観衆の太いのや黄色い歓声が屋内プールに響き渡る。
「えい!」「それ!」「なにを!」「これでも!」「くらえ!」「わはは!」「あはは!」「どうだ!」「よいしょ!」
骨ばったのと、小さく丸まっちいのと、二つの尻が、当ったり躱されたり……そのつどフロートはチャプチャプ揺れて、本人たちが必死になるほど、姿勢や動きはコミカルになる。
笑いと声援が等量に沸き起こる。
試合は、二回連続で勝てば勝者が決定し、一勝一敗の場合は、三回目を行って勝者を決定する。
一回戦は劉宏の尻がまともに麗花の尻をとらえ、麗花は意外に野太い悲鳴をあげて5メートルほども吹き飛んだ。
麗花は、すぐにフロートに上がり、まなじりとお尻を上げて二回戦の構え。
二回戦では麗花は容易には仕掛けず、前後左右上下と機敏に尻を振っていなしていく。
二分もすると、劉宏は、大統領のそれではなく、戦場で敵の動きを見定める将軍の目になる。
満州戦争でも、将軍はこんな目をしていたのか!?
我知らず、飲み干した紙コップを握りつぶしてしまう。
士官食堂のボランティア兵たちも、腰を浮かして尻を振る。
いや、大ドンケツは時を超え国を超えて人を熱中させる。
平和な時が訪れたら、日漢大ドンケツ大会を開こう!
すると、ここ一番狙い定めた一ケツが空振りになって、刹那に戻した勢いで劉宏は、難しい顔をしたまま前方に水しぶきを上げて落ちてしまった。
しまった! それから「ワハハ」と笑って腕を組んだまま落ちていく劉宏は見ものだった。
瞬間だが、こいつに任せたら世界に平和が訪れるような気になった。
二秒で水面に顔を出すと、ブルンと首を振って「再一次(^▢^)!」と指を立ててフロートに飛び乗る。
麗花も、ファイティングポーズをとりながらも笑みをたたえ「请再一次(^〇^)!」、MCの士官候補生も「大家一起,再好好的享受一次吧!」も目をへの字にする。
気をきかせたAIが即座に「もう一回だ!」「もう一回お願いします!」「みんな、もう一回楽しもうぜ!」と音声付きで翻訳してくれる。
画面の隅で、少佐の軍服が立ったり座ったり……見ると、こないだ南の橋頭保で渡り合った王春華だ――ちょっと元気になったからと思って、うちのお爺ちゃんたら!――そんな感じでハラハラ見ているが、横の軍医が――まあまあ――となだめている。
シュ シュシュ ドン シュ プイ シュシュ
調子に乗ったAIが、今度は動きに合わせて効果音を付けてきた。
ワハハ アハハ いいぞ! そこだそこだ! あ、惜しい! もう一発!
オーディエンスの声まで入り出して、横須賀の謝恩祭よりも面白くなってきた。
ポン
狸が腹鼓をうつようなエフェクト、劉宏が引っ込めた尻を麗花のお尻が軽く当たったのだ。
ウオオオオオオオオ…………オ!?
辛くもバランスを保つ劉宏だったが、麗花がトドメとばかりにジャンプすると、大統領とは思えぬアホな姿勢のまま、ゆっくりと水に落ちて行った。
ドッポーーーン
ウワアアアアアア!!…………大歓声が、画面の中でも士官食堂でも湧き上がった。
その歓声が一分近く起こって……でも、劉宏大統領は浮き上がっては来ない。
王春華が血相を変え、軍服のままプールに飛び込んだ……。
☆彡この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 加藤 恵 天狗党のメンバー 緒方未来に擬態して、もとに戻らない
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 扶桑 道隆 扶桑幕府将軍
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥(児玉隆三) 地球に帰還してからは越萌マイ
- 孫 悟兵(孫大人) 児玉元帥の友人
- 森ノ宮茂仁親王 心子内親王はシゲさんと呼ぶ
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
- 氷室(氷室 睦仁) 西ノ島 氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
- 村長(マヌエリト) 西ノ島 ナバホ村村長
- 主席(周 温雷) 西ノ島 フートンの代表者
- 及川 軍平 西之島市市長
- 須磨宮心子内親王(ココちゃん) 今上陛下の妹宮の娘
- 劉 宏 漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官
- 王 春華 漢明国大統領付き通訳兼秘書
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
- 西ノ島 硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
- パルス鉱 23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)
- 氷室神社 シゲがカンパニーの南端に作った神社 御祭神=秋宮空子内親王