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それは魔法化された高校だった。
朝、予鈴が鳴ると生徒達はいっせいに走り出し、本鈴が鳴るころにはクラス全員がビシっと自分の席に着き、教師が来ると「ニッチョク」という魔法がかけられた者が叫ぶ。
キリツ! レイ! チャクセキ!
この間接魔法の効果は絶大で、教室の全員が一斉に立ち上がり、きっちり30度、やや背中を丸めながら頭を下げ、授業が始まる。
教師の授業は緩い魔法をかけるように単調だ。ボクの国なら、こんな授業はすぐにボイコットされる。
事実、あの単調な授業は魔法だ。
三音階、ワンテンポ……これが魔法の秘密らしい。
生徒は5分ほどで魔法の効果が現れ、目はトロンとし、中には魔法が効き過ぎて眠ってしまう者もいるが、たいがい黒板に書かれる退屈な文章や図式を黙々と書き写している。
授業の終わりで、教師は「質問は?」と、魔法解除の予備呪文を唱える。そして質問もなく授業が終わると同時に授業終了のチャイムが鳴り、ニッチョクが「キリツ! レイ!」の魔法解除の間接魔法の言葉を叫ぶ。すると生徒達は、一様に本来の人間性を取り戻す。
休み時間は昨夜の野球中継や、流行りのファッションなどの話に花が咲く。女生徒などはファッション誌を取りだし、あーだ、こーだと実にティーンの若者らしく賑わう。
しかし、不思議なことに、その憧れのファッションをしている者は誰もいない。髪もブラック、あるいはブルネットの地毛のままで、ファッション誌にあるようなパーマをかける子はいなかった。いや、中には魔法のかかりかたが甘くパーマにしている子もいたが、目立たないようにキチッとお団子にしていた。
スカートの丈などは、各自の自由だと思うんだけど、みな申し合わせたように膝丈。教師達は、その膝丈魔法の完ぺきさを維持するために、時折服装の検査をし、魔法が解けかけている者には「セイカツシドウシツ」という魔法の部屋に連れ込んで念入りに魔法をかけ直す。
昼休みの食堂では「並ぶ」という魔法がかけられていて、まるでハーメルンの笛吹男に連れ去られるおとぎ話の中の子供たちのようで、ボクの国のように、ランチタイムの喧噪などは無い。
微妙な魔法がかかっていて、男女が同じテーブルに座ってランチを食べることは、まず無い。
ハイティーンの男女をいっしょにしていれば、必ずセックスや、それに伴う問題があって当たり前(実際ボクの国では問題で、高校の中に、子連れの生徒のための託児所がある)なのに、この国の高校では、まずあり得ないらしい。ボクが一年間、この学校に居て、カップルがキスはおろかハグしているところも見たことがないよ。
そのくせ、テレビやマガジンに載っているコミックなどのセックスやバイオレンスの描写は凄かった。これだけの刺激をうけながら、問題が起こらないというのは魔法以外の何物でもない。
ボクは、元来魔法などは信じなかった。
この日本に来たときも、最初は全体主義の国かと思ったが、秘密警察も密告の制度もない。ボクは魔法であろうと核心した。
ボクがホームステイしていたノナカさんちのヨーコは、とても勉強が出来ない。テストの点数も40点を超えることは希であった。秋のテストでは挽回できるだろうと思ったが、やっぱりダメ。
クリスチャンでもないのにクリスマスパーティーをやって、新年にはジンジャと言われるシュレインに出かけ、オマモリという魔法の小袋を、ヨーコは買った。
「こんなもの、効き目あるの?」
ボクは、そう聞いた。
「これには神さまの力が籠もってるから」
ヨーコは、微妙な言い回しで、その小袋に魔力があると言った。
「あたし、劣等生だから……」
うつむき加減に、白い息とともに言葉にならない願いを吐いた。白い息は、ユラユラと立ち上って消えた。ボクは、ヨーコの言葉にはならない願いが、オズの西の国のいい魔女に届いて叶えばいいと思った。
でも、学年末テストという最後のテストで、ヨーコは30点しか取れなかった。
「きっと……きっと魔法が効くよ」
うなだれたヨーコに、そう言ってやるのが精一杯だった。
「学校で見る雪は、最後ね……」
終業式の日、校門を潜っていると、三月には珍しいなごり雪が降って、ヨーコは、言葉の最後を濁して呟いた。
この従容として運命に身をゆだねるヨーコの横顔は、とても美しく切なくて、ボクは時計を見るふりをした。
日本では、女の子は落第すると「家の恥」ということで、たいがい退学していく。ボクの国では、みんな平気で落第していく。
姉のミリーなんか、二回も落第しながら平気な顔だ。ま、その分大学でがんばって、飛び級で二年早く卒業したから、帳尻はあっている。
奇跡が起こった!
それは通知票をもらったとき、あのシャイなヨーコが「やった!」と叫んで飛び上がったことで分かった。
ボクも「イッツ、ミラクル!」と喜んだ。
「ううん、ゲタよゲタ!」
奇跡ではなく「ゲタ」という魔法であることが分かった。
どちらにしろ、喜ばしいことに違いはない。
「喜んでくれてありがとう!」
ヨーコが涙目で言った。
「あたりまえだよ。ヨーコは家族といっしょだもの!」
「嬉しい(≧∇≦*)」
この喜びを共有したことで、ボクとヨーコは国を超えて結ばれた。
そして、30年がたった。ボクは仕事をリタイアし、ヨーコと共に魔法の国日本に戻った。
ボクは、英語講師のライセンスをとって、昔世話になった高校に勤めた。
愕然とした。学校から……全ての魔法が消えていた。