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大西教授は今年定年退官である。
助手時代から営々三十四年間、幕下大学の生物学研究室で地味に勤め上げた学究の人である。
ただ、人間関係がヘタクソで、かつ謙譲の精神の体現者……と言えば聞こえはいいが、研究成果を人にパクられても文句一つ言わない。また、人が実験に困っていたりすると、まるで我がことのように熱心に協力。時に教授の力により研究成果が上がっても、人はめったに大西教授に感謝せず、また教授も、それでいいと思っていた。
「これで幕下大学が世に認められ、生物学や医療科学が進歩するのなら、それでいい」
そう思ってニコニコしていた。
しかし、そんな人のいい教授であるのに家庭的にも恵まれることがなかった。
大西教授は晩婚であった。
四十を超えた準教授のとき、当時、まだ健在であった母親が心配し、お見合いパーティーに連れていった。
当時は明石家さんまやビートたけしが全盛の時代で、トレンドは、面白い男だった。芸人さんたちがとんでもない美人を獲得したりしていて、真面目だけで風采の上がらない男は見向きもされない。
口下手な大西準教授は、一人片隅でウーロン茶を飲んでいるしかなかった。母親と世話をしてくれた母の知人のメンツを立てれば十分と思い、今回の見合いで、母が諦めてくれればと願っていた。
大丈夫、運動音痴で非力な僕だけど、大した病気もしなかった。死ぬまで母さんの面倒はみられるから。
そう思うことで、穏やかに充足する准教授であった。
そんな大西準教授に目を付けたのが、今のカミサンである。
カミサンは、そのお見合いパーティーでは一番華のある美人で、大西準教授よりも一回りも年下であった。
カミサンは、準教授という肩書きに惚れた。そして、いいカモであると思ったのだ。
男関係が派手だったカミサンは当時妊娠していたが、父親が誰か分からなかった。可能性のある男五人に「あんたの子よ」と迫ったが、偶然五人とも同じ血液型で、当時の技術では、誰が子どもの父親であるか絞り込めなかった。
で、カミサンは、高学歴でハイソな男しか集まらない、このお見合いパーティーに参加したのだ。
しかし、情報が流れてしまっていた。
五人の男のだれか、ひょっとして何人かがリークしていた。で、主だった男性参加者は、その事実を知っており、最初から彼女を敬遠していた。
そして、大西準教授は、カミサンと結婚することになってしまった。
知り合って、半月で肉体関係……下戸の大西準教授は、目が覚めた時の状況で、そう思いこまされていた。
そして、お腹が目立たないうちにということで、一カ月で挙式。七カ月後には、早産にしては大きな女の子が生まれた。人のいい大西準教授は、すっかり自分の娘だと信じて可愛がった。
娘とは、小学校の高学年までは、うまくいっていた。
父子ともに実の親子だと、思いこんでいたからだ。
ところが、娘が六年生の時に交通事故に遭い、詳しい精密な血液型が分かった。
え、そんな……
大西準教授は、初めてハメられていたことに気が付いた。
愕然とした大西準教授は一瞬人間不信に落ち込んだが、十二年間娘に注いだ愛情は不信を凌駕した。
そうだ、娘に罪は無い。
そしてカミサンにものっぴきならない事情だったんだろう……そう理解し、何事もないように家族三人の生活を続けた。
これで万事うまくいくはずであった。
ところが、カミサンは、あろうことか、そんな亭主に苛立ってきた。
元来は良心の呵責であるべきだったが、いら立ちに転訛させてしまったのだ。
大西準教授は、その性格が災いして五十を超えても教授になれていなかった。カミサンは、それを亭主の不甲斐無さのせいだと思い、事あるごとに当たり散らし、ある日、酒の勢いで娘に真実を言ってしまった。
「あんたねえ、お父さんの子じゃないのよ」
「え……マジ?」
「マジ」
「…………」
娘は、それから絵に描いたような不良になってしまい、大西準教授は、所轄の警察と仲良くなるほどの不幸に見舞われた。
大西準教授は、仕事に没頭することで気を紛らわせた。そして、彼によって業績をあげられた後輩たちが大学に働きかけ、やっと一昨年教授になれた。
カミサンと娘は、退官されて収入が減ることを恐れ、特認教授として大学に残ることを勧めた。
まあ、研究さえ続けられれば……それもありか。
そんなとき、研究室の若きリケジョである物部瑠璃が、スタッフ細胞の開発に成功した……。
つづく