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「……前しか向かねえ!」
如月(きさらぎ)先生は、そう言った。
なんで、こんな時に思い出すんだ……。
いや、これでいい。今は闘志を持った方が負ける。大久保准尉が……あの、いつも冷静な大久保准尉が闘志を漲らせ、窪地から飛び出した瞬間額を打ち抜かれ、事実上小隊が壊滅したときに、そう感じた。
ヤツは、こちらの闘志を読んでいる。殺気と言ってもいい。自分達遊撃特化部隊は、その殺気を殺しながら敵に接近することは学んでいたが、攻撃の瞬間は殺気に満ちる。その一秒にも満たない時間でヤツは、こちらを補足し、照準を決め、決めた瞬間トリガーを引いている。もう六人がこれでやられている。
小隊で生き残っているのは自分一人だ。
当たり前なら投降する。
単位としての小隊が壊滅したのだから、たった一人生き残った自分が取るべき道は、これしかない。
しかし、相手は投降など受け入れずに撃ち殺すだろう。奴らに軍事国際法や交戦規定は通用しない。
それに相手もヤツラではなく、ヤツになっている。
我々だって、無為に壊滅したわけじゃない。相手の小隊をほぼ壊滅させて、ヤツ一人になった。もう一対一。殺すか殺されるかしかない。
自分達が、政府の決定を批判することは許されない。しかし、政府はこの期に及んで及び腰だった。
島を占拠したのは、三個中隊に満たない。西南遊撃特化連隊の全力で攻撃していたら、ものの三十分で奪回できていただろう。
政府は世論を気にして、一個中隊で攻めさせた。
そしてその犠牲の上で敵の実勢力を知ってなを、政府は、同勢力の三個中隊の出撃しか認めなかった。トラップとスナイパーのために、三個中隊は全滅した。もっとも敵も一個小隊ほどに減ってはいた。連隊長は、これ以上の犠牲を出さないために連隊全ての出動を具申したが認められなかった。
で、我々の一個小隊が、送り込まれた。三時間がたって、ヤツと自分の二人になった。
で、如月先生の言葉が蘇った。
「……前しか向かない!」
如月先生は、興奮すると、言葉の頭にくる「お」の音が消えてしまう。だから、正確には、こう言った。
「お前しか向かねえ!」
自分が、まだ一人称を「あたし」と言っていた高校三年生。勉強ができないことと、家の貧しさから就職するしかなかった。「あたし」の取り柄は、皆勤であることと。頭は半人前だけど、体で覚えたことは忘れない。だから体育の成績だけは良かった。人付き合いも苦手で、高校の三年間BFはおろか、同性の友達も居なかった。こんな「あたし」が受けて通るような企業は無かった。
で、最後に残ったのが自衛隊だった。
むろん筆記試験もある。如月先生は二か月かけて、過去五年分の採用試験を繰り返し「あたし」にやらせた。幸いなことに、自衛隊は、その年から適性試験をやるようになっていた。体では負けない。そして合格し五年後の今、この南西諸島の小さな島の窪地……いや、いつの間にか薮に隠れていた。頬に冷たいものが触れた。小隊長のテッパチだ。テッパチの中は左半分が吹き飛ばされた小隊長の顔が入っている。
その時、風の向きが変わった。こちらの臭いがヤツの方に流れていく。しばらくは小隊長の血の臭いに紛れるだろうが、時間の問題だ。
考えなかった。訓練でやった様々な事が、組み合わされ、最後のピースがはまった。
小隊長のテッパチに照明弾を挟み込み、点火と同時に進行方向に投げた。ヤツはイメージ通り、投げた逆の方向を掃射した。自分はテッパチの方角に進み、ヤツのシルエットに銃口を向けた。
ヤツの正体が分かった。自分はわずかに急所を外してトリガーを引いた。5・5ミリだから貫通銃創だろう。
舌を噛みきらないように、スカーフで猿ぐつわをし、敗血症にならないように、抗生物質の注射をしてやった。出血とショックで、ヤツは朦朧としていたが念のため手を縛着し、ズボンを足許まで引き下ろしておいた。
「A島攻略隊ブラボーワン。敵の殲滅を確認、腹部貫通銃創の捕虜一名を確保しあり。撤収支援を要請。オクレ」
通信は、暗号に圧縮され、二十海里離れた護衛艦に届いた。自分はそれまでの三十分ほどを、敵の自分と対峙しながら、待った。
「……前しか向かねえ」
弱った敵の自分は、怪訝な顔で自分を見ていた……。