大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

ライトノベルベスト『切れる音・2』

2021-09-15 06:46:57 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト

『切れる音・2』    

 




 人間とは可愛いものである。

 一度線が切れても、たいていの人間は、あくる日には元に戻っていて、また何かのきっかけでプツンと切れる。そうやって切れては繕いして心の平衡を保っているのが並の人間である。

 堪忍袋の緒が切れる。という言葉がある。

 切れる音が聞こえるようになってから、その意味が実感として分かる。実際堪忍袋の緒が切れる音も聞こえる。

 社会科のある教師が、こともあろうに授業の中身をメモリーカードに取り込み、小型のアンプとスピーカーでそれを再生して授業をした。

 板書はパソコンで打ち出したものを学校の大型プリンターで印刷したもので間に合わせ、自分は廊下でボンヤリとしている。普段から教師に期待などしていない生徒たちだが、これには切れた。むろん堪忍袋の緒である。

 ブツンという音がした。興味が切れた音よりも凄味がある。

 朽木は、最初は興味が切れた音の一種だと思ったが、違った。生徒の一部が保護者にこぼし、保護者は府教委に連絡、校長からの訓告処分になった。

 諦める音もある。フッっとため息をついたような音がする。

「佐伯君とは、いい友達でいようよ」

 中庭で、悦子という女子にコクった男子が体よく断られたときに、初めて、その音を聞きいた。珍しくホノボノした気持ちになった。

「佐伯君、エッチャンにフラれてしもた……」

 その昼休みに真子が秘密めかしく言ってきたのはおかしかった。

 でも、そのとき、真子と話が弾んで文芸部を作らされ、それ以来顧問と部員の関係である。真子は高校生にしては古典の素養もあり、また、流行りの小説もよく読んでいて、学校で話していて唯一楽しいと思える人間になっていた。

 文芸部の活動は気まぐれで、互いに気の向いたときに相談室などを使って本の感想や世間話に花を咲かせていた。

 むろん教師にも切れる音がする。職員会議などでは切れる音の連続であった。前の校長も、よく切れていた。興味が切れる時も堪忍袋が切れるときのもあった。

 それが、去年やってきた民間校長には感じたことがない。

 

 元金融関係の中間管理職であった校長は、しごく穏やかで、感情に走るということが無い。それが徴であろうか、この民間人校長から切れた音は聞こえたことが無かった。

 しかし評判が良いというわけではない。何事も自分で決済し、運営委員などは、あからさまにイエスマンでまとめていて、完全な自分の諮問機関にしてしまった。

 この春の人事異動では、自分に反対するものは全員転勤させてしまい、常勤講師である菅原先生などは三月の末に継続任用しないことを言い渡した。

 もう、どこの学校でも人事は確定しており、うちの学校での再任用がないということは、生活の道を断たれたことに等しく、菅原先生は府の人事委員会に不服申し立てをし、係争中である。

 朽木は、やっと気づいた。

 この校長は、民間に居た時にすでに切れ果てていた。だから府の民間人校長募集に応募し、それまで持てなかった権力を持ち、それを十二分に発揮しているのである。

「先生、やっと気ぃついたん?」
「うん、あんな人やとは思わなかったな」

 真子はコロコロと笑ったあと、一瞬真顔になり、こう言った。

「菅原先生は、あたしの遠い親類やねん」
「ほんとかよ!?」
「まあ、あとは本人の努力次第。完璧なパワハラやから、職場で何人かが協力したげたら、なんとかなるんとちう……」
「ああ、そうだよな」

 と言いながら、もう六月も半ばになってしまった。

 朽木は無為に、この二か月半を過ごした。佐伯が不登校になっていることにも気づかなかった。

「佐伯、このごろ見かけないけど、どうかしたのか?」

 授業の頭で聞いてみた。

「佐伯は、先月末で退学しましたよ」

 名前も憶えていない学級委員長の生徒が言った。顔には「もう何度も言った」という表情が浮かんでいた。悦子は俯き、真子はプイと窓から外を見ていた。真子が、こんな態度をとるのも初めてだ。

 その放課後のことである。

 ブッツン!!

 まるで綱引きの太いロープが何百人の力に耐えかねてブチ切れるような音がした。それは衝撃を伴って校舎を地震のように揺らした。朽木は慌てて廊下に出た。

 不思議だった。全てのものが止まり、動いているのは朽木一人……と。思ったら、渡り廊下を渡って、こちらに歩いてくる者がいる。

「真子……」
「先生、もう手遅れ。今のは学校の線が切れた音。学校の線は切れたら戻らへんよ……先生には期待してたんやけど」
「真子、お前……」
「あたしは、三年前の遠足から、先生に付いてきた。朽木先生には可能性があると思うて……不思議に思えへんかった、なんで、あたしが三年連続で三年生やってるか?」
「三年連続で三年生……?」
「あたしは、菅原真子。父は道真です……もう、どないなとおなりやす」

 そのとき、フッと音もなく切れる感覚がした。

 音はしなかったが胸の奥で痛みがした、大切なものを失った痛みが……。

 それ以来、真子は姿を現さない。

 朽木以外の人間から真子の記憶も記録も無くなってしまった。校長はパワハラを新聞にすっぱ抜かれクビになった。学校は坂道を転げ落ちるように悪くなり、伝統困難校とよばれるように成り果てた……。

 

 


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