つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

終わりが見えてきた頃に

2024年11月02日 | 山口薫展
気がつくとすでに11月。
今年も残すところあと2ヶ月ということになりました。


昨年の今頃は「最後の無眼界展」を開き、みなさまにご来店をいただきました。

お遠くからお客様にご来店いただいたことや、どんな作品を並べたかはかろうじて覚えておりますが、その時の自分の心情については何も覚えていません。

玉ねぎの皮を剥く時のように、私自身が外側から一枚一枚剥がされていくような気持ちで現実を過ごしていたのだと思います。

沢山の涙と共に、ボロボロに傷ついた小さな芯が出てきて、よく見るとその芯はボキッと折れていたかもしれないなぁと今振り返るとそう感じます。

一年後のいま、こうして山口薫展を開かせていただいている私は、何も成長していないようで。。かろうじて折れた芯はくっつき始めている。そんな気がしています。


くっつき始めてくれたのは、佐橋の形が消えた世界に自分が生き残ってしまっているという感覚と、ブログをお読みくださる皆さまとのご縁、そして何よりも佐橋との思い出も含め、当店にお通いくださる皆様が、当店や私におかけくださる「情」によるものだと確信しています。


お通いくださいますお客様とは10年、20年、30年のお付き合いをさせていただいています。

皆さま立派なご病気もち。美術品に魅せられた方達です。

また佐橋が亡くなる直前、その後から当店にお通いくださるお客様がたも既に重病を抱えていらっしゃる方達です。

ただ、ただですね。そういうみなさまは、とてもお優しい。情が深い。

それは元々のご性質もあるのかもしれませんが、私はこの仕事をさせていただいているので、「日々ご覧くださる美術品の果たす役割」をそこに結び付けたいのです。こじつけであっても、美術品に日々触れられる方達は、より情を深められている。このとき、情は人情というより情緒、つまり人の悲しみのわかる気持のことを指したいと思っています。

何も明治時代や昭和時代に帰れとは申しませんが、そして私たちの好きな近代の日本もきっと当時は混乱の中にあったでしょうけれど、少なくても今よりは人々の中に日本人的な魂が見受けられた時代の作品たちに触れることは悪いことではないように思っています。

そして、目の前に形が見えないからとネットの中で好き勝手をしたり、ゴミを不当投棄しているよりは、「あぁ、また買ってしまったぁ〜」と目の前にある重い額や場所をとる箱、そしてご家族からの冷たい視線のように、物理的な「罰」を背負いながらのコレクター道というのは、案外真っ当な人間味ある世界ではないかと思っています。

ただ集める癖のある方達は、物を捨てられないという一面もお持ちなので、その辺りのバランスにはご家族や他者のご意見も取り入れていただいた方が良いようにも思います。

私もなんとかくっついた芯に、元の木阿弥のように要らない皮を何重にも重ねていかないように、つまり歳やプライドに執着しないようになんとかこれからを過ごしていけたらと思っています。

が、結局生きるって難しいなぁ〜と感じます。


明日の最終日が見えてから、なんだかとてもご来客が多く、薫展の評判が評判を呼んで、しかも今回知ったことですが、「美術館難民?」キティーちゃん展とか、、、今の美術館の展示に飽き足らない昔からの絵画ファンの方たちがここに集結されるというイメージがあって、、、1人ではどうしようもない現実が見えてきました。

佐橋美術店の展覧会は雨と共に!この大切さが今身にしみて感じられています。
雨の今日は少し一服できるかしらを思っています。


すみません、作品のご紹介やご来店の皆さまのご感想などのご紹介はまたゆっくりとさせていただきます。


尚、4日月曜日と5日火曜日は、休業させていただきます。よろしくお願い申し上げます。













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わが庭・茶色い竹

2024年10月30日 | 山口薫展
とても素敵な作品だなぁ~と先日初めてこの作品を見たときに思いました。

鉛筆・油彩・紙 「わが庭・茶色い竹」 15.3×20.6㎝の小さな作品です。

ただ、実際に何が描かれているのか?の解釈は難しいと思いますし、この初見の感動以外に何かご説明を加えるのはかえってこの作品にはマイナスなことだと思いますので、お求めをお考えになってくださる方がいらしゃいましたら、ぜひ実作品をご覧いただきたいと考えています。




山口薫はとくに水彩や素描で、自宅の庭の様子を描きました。

ときには、そこに椅子やテーブルがあったり、クマちゃんが寝転んでいたり、
また竹が描かれていたりします。




この作品の前面に鉛筆で描かれた三本の縦の線は、果たして竹なのかもよくわかりませんが、作品にある緊張を与えて、奥に描かれている黄色や茶色い塊、木々?を幻想的に見せてくれています。

庭というより、一種の風景画のような印象でしょうか。

お値段のこともあるかと思いますが、結局ご来店のみなさまは何度もこの作品をご覧くださっているように感じてします。

素敵な作品。

結局その言葉が一番似合う小品なのだと思います。



鉛筆・油彩・紙 「わが庭・茶色い竹」 15.3×20.6㎝ 東美鑑 
☆彡

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いのり

2024年10月29日 | 山口薫展
今回の山口薫展では、私なりの勝手な興味、見方で作品をご紹介してみようと思っていました。「何をおっしゃる。。いつもそうじゃないですか?」と皆様のお声が返ってきそうですが、割と真剣にそう考えていました。



山口薫については言葉の不要な画家、その作品たちだと思っていますが、「思想」という観点から作品を見たいと思っていたのです。


優しい、画商の無茶な注文をも断れない画家。
ロマンチスト、センチメンタルという言葉が似合う画家。

そういった表面的な捉え方では、薫の作品を捉えきられないと感じていたからです。

その意味で、私個人にとってはガッシュの「いのり」という作品は色々な刺激を与えてくれました。







今日、全画集にこんな作品を見つけました。1952年位の作品とあります。
(いのりの制作年代はわかりません)

一般の油彩画にはよくあるタイプの作品、デザイン的な作品かもしれませんが、薫の描く、この女性たちのお顔は怖いくらいに真剣で、なぜか私の心に刺さります。








山口薫が深酒を始めたのは30代に入る少し前、最初の結婚に失敗したころだと記述がありました。






親の反対を押し切っての結婚生活はわずか2ヶ月で破綻。


薫はその出来事に憔悴しきり、そのまま実家での療養を余儀なくされました。
また皮肉にもその頃から画家としての山口薫の評価は高くなるとあります。

この画集の掲載文によると、その頃山口薫はドイツ・ロマン派の哲学者、詩人ノーヴァリス「断章」、スイスの哲学者で詩人のアンリ・フレデリックアミエル「アミエルの日記」、アリルランドの小説家・詩人のジェイムズ・ジョイス「ユリシリーズ」、そして後にヘルマン・ヘッセに心酔するとあります。


残念ながら、私はヘッセの車輪の下を読んだ事があるくらいで、これらの書物に触れたことはありませんが、ネットなどで断片的な文を拾わせていただくと超現代的で難解な思想、或いは大変純粋で崇高な、それこそ「敬虔な」という言葉の似合う作品たちだと感じました。


色彩は、いわば物質と光の中間状態でありー光になろうとする物質の努力ーそれとは逆に物資になろうとする光の努力ーである。
性質とはすべて、上記の意味でー屈折した状態なのではないか。



魂の座は、内界と外界が触れあうところにある。内界と外界が浸透し合うところではーー浸透するすべての箇所に魂の座がある。



上記はドイツのノーヴァリス「断章」の中の文をネットで拾わせていただいたものですが、これほど短い文章の中にも
山口薫の作品の世界が十分に感じられ、大変感動をいたしました。


決して一方向的ではない形のありか。表現。
溶け合う、浸透し合うという言葉は、山口薫が興味を持っていたとされる松尾芭蕉や西行法師の歌や俳句の世界にも通じるものがあると感じます。


勿論、美術史的な画家としての思想もわきまえていたと思いますが、他の洋画家が仏教的な日本思想に近づいた印象に比べ、薫は西洋化の根拠に西洋的は思想、けれど大変東洋よりな西洋思想にその答えを探そうとしていたと私的には理解できました。


単に思想を絵にするというだけでは言い切れない、この画家の苦労の深度がやっと今私の実感として捉えられたように感じています。


絵でそれが表現できるのだろうか?という単純な疑問です。


みなさまにお伝えするにはまだまだ山口薫という画家に対する想像が浅いように感じますが、とりあえず「ここまで私なりの解釈は進んでまいりました」という言い訳をさせていただきました。


今日の名古屋は結局1日雨でした。

薫の竹の生えているお庭にはきっと雨が似合っただろうなぁと今想像しています。






また新しい作品についても書かせていただこうと思います。
















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今日の佐橋美術店

2024年10月27日 | 山口薫展
過ごしやすい気候となり、休日にお出かけの方も多くいらっしゃるのでしょうか。

山口薫展は、昨日までご来客が続きましたが今日の日曜日は午後からおひと組のご来店。

案外のんびり過ごさせていただいています。

一昨日、弥栄画廊さんが額の調整を終えた油彩画2点を追加でお運びくださいましたので、展示の様子が少し変わりました。

今日は久しぶりに「今日の佐橋美術店」のタイトルで店内の様子をご覧いただこうと思います。












ショーウィンドウからエントランス。

すでに山口薫ワールドが出来上がっています。














苺🍓の作品を飾らせていただいていたところにガッシュの「いのり」を。


 


新しい展示作品はまず  ミニの紙・油彩 「わが庭。茶色い竹」 東美鑑  です。







2点目は5号〜6号サイズの「赤い樹と黄色い樹」1963年 東美鑑











応接室に飾っていた当店の水彩画を通路に運びました。








風景画をこちらに。




距離を取るとスッキリ知的な作品です。
古い額の白がとてもよく効いているのだと思います。


山口薫展にご来店のみなさまが感動してお帰りになるお姿をこのところずっと拝見しています。

じっとしていられず何回も店内を歩き周りがら作品をご覧になられる方

「う・・・ん。困ったぁ。。」何に困っていらっしゃるかわからないけれど、そう口に出される方

「結局選べない」とお帰りになる方

みなさまのお姿を拝見している私は、遠い遠い昔、画廊に努めていた頃のことを思い出しています。

沢山のみなさんが、絵を銀座に御覧になりにいらしていた時代です。



とりあえずの展覧会の会期は残すところあと一週間になりました。
明日はお休みをいただきますが、火曜日から、ぜひ何度でもみなさまに
この展覧会をご覧いただきたいと存じます。














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娘と牛

2024年10月25日 | 山口薫展
この作品については、何も言葉が要らないと思って参りました。

実際に御覧くださった皆さまなら、その意味がよくおわかりいただけるかと存じます。

山口薫が行くところまでいってしまった、或いはたどり着いた作品。

私はそうみなさまにお伝えしています。

見るたびにその迫力に驚き、見る度に色の発見があります。

そして、しみじみと見続けると娘さんと牛の大変崇高な姿に心が動き出します。

価格的にも今回の展示作品中1番の作品となります。

これ以上書かせていただいても、きっと嘘になってしまうと思うので、この辺で記事を終わらせていただこうと思います。


美術館で御覧になる様に、ぜひぜひ皆様にもご覧いただきたい作品です。






「娘と牛」 10F  油彩  1961年  東美鑑 画集掲載 

 ⏺️ 要お問い合わせ 





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