(昨日の枝先に今日は4つの脱け殻が)
今日は、60年前に長崎に原爆が投下された日。
3年前に息子を連れて夏休みに長崎を訪れた。
やはり暑い暑い日であった。
原爆は一瞬のうちに街と人を焼き尽くし、廃墟とした。
核の悲惨さは、唯一の被爆国として絶対に忘れてはならないし、
語り継いでいかなければならないと、あの時、改めて思った。
核アレルギーという言葉があるが、
核がどれほど恐ろしいかはこの国がいちばん知っているのだから
アレルギーという表現、まるで、治したほうがいい病気のような言い方はおかしい。
昨年は、鹿児島知覧の特攻平和会館を訪れた。
特攻隊の少年達は、お国のために立派な最期を遂げたように
書かれていたり、考える人もいる。
しかし、私は、あの、息子と同じくらいの年頃の子達が、
「お母さん、待ちに待った日が来ました」(セミじゃあるまいし)
なんて書くのは、先日、パキスタンで洗脳され、
ロンドンで自爆テロを起こした、少年の気持ちと何ら変わりがないと思う。
憎い敵を命をかけて滅ぼそうと考える。
人間を狂気にする、戦争は絶対にいけない。
日本国憲法第9条は、絶対に変えてはいけない。
現実と食い違っていても、少しでもそこに近づく努力を忘れないために、
私は、第9条は堅持すべきだと思う。