道の駅での40分の昼食時間を終え、まだ先の長い
午後のコースへ。田園地帯に出ると収穫前の黄金田
が広がる。
コスモスの咲き乱れる西横綱集落を過ぎ、日の川左
岸から横関橋を渡って近江八幡市に入った。
右岸を少し戻って東横関の家並みを抜け、馬淵町
を通過する。武佐宿が近づき、空き地に1本の大きな
クスノキが目につく。伊庭貞剛(いばていごう)翁生誕
地である。
伊庭家は近江守護佐々木家の流れをくむ名家。
貞剛は弘化4年(1847)生まれ。江戸末期の剣士
で、維新後は京都御所警備隊士、裁判所判事などを
経て、四国の別子銅山支配人として公害問題に対処、
銅山周辺の山の植林などを実行した人だという。
小さな駅舎の近江鉄道武佐駅でトイレ休憩。武佐
宿には、昔の面影を残す旅籠中村屋などがあり、武
佐郵便局も屋敷風だった。
明治19年(1886)建築で国の有形文化財に登録
された、洋風の旧八幡警察署武佐分署も目につく。
隣の安土町(あづちちよう)に入り、国史跡・老蘇(お
いそ)の森の一角にある奥石神社で小休止。
老蘇の森は、万葉の時代から数々の歌によまれた
名高い森とか。森の奥に鎮座する奥石神社は、延喜
式神明帳(えんぎしきしんめいちょう)に記された古社
で、現在の本殿は天正9年(1581)に建てられたもの
だという。
東近江市(旧五個荘町)には、「清水鼻の名水」と
呼ぶ湧水があり、まろやかな味わいだった。五個荘の
家並みにも、わらぶきの平屋が2つ残り、明治か大正
期の建築と思われる、銀行らしい2階建ての洋館も目
に入る。
午後はペースがいっそう上がり、足の遅い私は、古
い建物などを撮っているとさらに遅れ、いつも最後尾
になる。
愛知川(えちがわ)の御幸橋を渡って愛知川宿へ。橋
のたもとに古い「むちんばし」の石標が立つ。天保2年
(1831)にかけられた橋は、橋賃をとられなかったの
で、無賃橋と呼ばれたという。
「中山道愛知川宿」と記された背の高いゲートを通
過し、愛知川宿を抜ける。
天気は回復して青空が広がるが、日没が迫ってきた。
歌詰橋を渡ると豊郷町(とよさとちよう)。少し先に
「江州音頭発祥地」の石碑が立つ。天正14年(1586)
に兵火で焼失した観音堂を再建したとき、再建を喜ぶ
盆踊りで歌われ、現在に歌い継がれているという。
観音堂のある千樹寺や、近江商人の旧宅を資料館と
して公開しているという又十屋敷、大手商社の丸紅や
伊藤忠の創始者・伊藤長兵衛屋敷跡など、時間があれ
ば立ち寄りたいところも走るように通過し、校舎の保存
で話題になった豊郷小前を過ぎる。
日没が近づき、ようやく高宮宿の彦根市高宮町に
入った。
葛籠(つづら)町に何本か残る松並木を過ぎ、17時
41分に、今日のゴール、近江鉄道高宮駅に着く。
歩数計は6万歩を越え、さすがに疲れた。
3分後の電車に急ぎ乗り、終点の彦根駅まで行き、
駅に近いビジネスホテル、ホテルサンルート彦根に
18時近くに入った。
〈コースタイム〉JR草津駅8・15ー花岡交差点8・44
ー今宿一里塚9・11ー東門院9・22~30ー野洲川橋
西詰9・41ー新幹線下交差10・10ー桜生史跡公園
10・31~43ー平宗盛終焉の地11・24~26ー道の駅
龍王かがみの里(昼食)11・35~12・15ー善光寺川
の橋12・31ー伊庭貞剛屋敷跡13・17ー武佐駅13・34
~40ー奥石神社14・20~30ー五個荘支所15・13~
20ー愛知川北詰15・40ー歌詰橋16・19ー豊郷小16・
49ー出町の交差点17・07~近江鉄道高宮駅17・41
(天気 曇一時雨後晴、距離 40㎞、歩行地 草津
市、守山市、野洲市、竜王町、近江八幡市、安土
町、東近江市(旧五個荘町)、愛荘町(旧愛知川町)、
豊郷町、彦根市)
午後のコースへ。田園地帯に出ると収穫前の黄金田
が広がる。
コスモスの咲き乱れる西横綱集落を過ぎ、日の川左
岸から横関橋を渡って近江八幡市に入った。
右岸を少し戻って東横関の家並みを抜け、馬淵町
を通過する。武佐宿が近づき、空き地に1本の大きな
クスノキが目につく。伊庭貞剛(いばていごう)翁生誕
地である。
伊庭家は近江守護佐々木家の流れをくむ名家。
貞剛は弘化4年(1847)生まれ。江戸末期の剣士
で、維新後は京都御所警備隊士、裁判所判事などを
経て、四国の別子銅山支配人として公害問題に対処、
銅山周辺の山の植林などを実行した人だという。
小さな駅舎の近江鉄道武佐駅でトイレ休憩。武佐
宿には、昔の面影を残す旅籠中村屋などがあり、武
佐郵便局も屋敷風だった。
明治19年(1886)建築で国の有形文化財に登録
された、洋風の旧八幡警察署武佐分署も目につく。
隣の安土町(あづちちよう)に入り、国史跡・老蘇(お
いそ)の森の一角にある奥石神社で小休止。
老蘇の森は、万葉の時代から数々の歌によまれた
名高い森とか。森の奥に鎮座する奥石神社は、延喜
式神明帳(えんぎしきしんめいちょう)に記された古社
で、現在の本殿は天正9年(1581)に建てられたもの
だという。
東近江市(旧五個荘町)には、「清水鼻の名水」と
呼ぶ湧水があり、まろやかな味わいだった。五個荘の
家並みにも、わらぶきの平屋が2つ残り、明治か大正
期の建築と思われる、銀行らしい2階建ての洋館も目
に入る。
午後はペースがいっそう上がり、足の遅い私は、古
い建物などを撮っているとさらに遅れ、いつも最後尾
になる。
愛知川(えちがわ)の御幸橋を渡って愛知川宿へ。橋
のたもとに古い「むちんばし」の石標が立つ。天保2年
(1831)にかけられた橋は、橋賃をとられなかったの
で、無賃橋と呼ばれたという。
「中山道愛知川宿」と記された背の高いゲートを通
過し、愛知川宿を抜ける。
天気は回復して青空が広がるが、日没が迫ってきた。
歌詰橋を渡ると豊郷町(とよさとちよう)。少し先に
「江州音頭発祥地」の石碑が立つ。天正14年(1586)
に兵火で焼失した観音堂を再建したとき、再建を喜ぶ
盆踊りで歌われ、現在に歌い継がれているという。
観音堂のある千樹寺や、近江商人の旧宅を資料館と
して公開しているという又十屋敷、大手商社の丸紅や
伊藤忠の創始者・伊藤長兵衛屋敷跡など、時間があれ
ば立ち寄りたいところも走るように通過し、校舎の保存
で話題になった豊郷小前を過ぎる。
日没が近づき、ようやく高宮宿の彦根市高宮町に
入った。
葛籠(つづら)町に何本か残る松並木を過ぎ、17時
41分に、今日のゴール、近江鉄道高宮駅に着く。
歩数計は6万歩を越え、さすがに疲れた。
3分後の電車に急ぎ乗り、終点の彦根駅まで行き、
駅に近いビジネスホテル、ホテルサンルート彦根に
18時近くに入った。
〈コースタイム〉JR草津駅8・15ー花岡交差点8・44
ー今宿一里塚9・11ー東門院9・22~30ー野洲川橋
西詰9・41ー新幹線下交差10・10ー桜生史跡公園
10・31~43ー平宗盛終焉の地11・24~26ー道の駅
龍王かがみの里(昼食)11・35~12・15ー善光寺川
の橋12・31ー伊庭貞剛屋敷跡13・17ー武佐駅13・34
~40ー奥石神社14・20~30ー五個荘支所15・13~
20ー愛知川北詰15・40ー歌詰橋16・19ー豊郷小16・
49ー出町の交差点17・07~近江鉄道高宮駅17・41
(天気 曇一時雨後晴、距離 40㎞、歩行地 草津
市、守山市、野洲市、竜王町、近江八幡市、安土
町、東近江市(旧五個荘町)、愛荘町(旧愛知川町)、
豊郷町、彦根市)