2007年10月11日(木) 第2日
=草津から高宮まで=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/4/23.636,136/4/33.103&scale=1000000)
ホテル近江守山での朝食を済ませ、JR守山駅から
上り電車で草津駅まで戻り、8時15分に霧雨模様の
草津駅前をスタートした。今日の参加者は18人である。
いつも背中のゼッケンに、ユニークなメッセージを記
されるWさん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/5d/4bda757e83469029b1faa6feeca9dc4e.jpg)
今回は、コース前半の旧国名を盛りこんだメッセージ。
今日のコースは、滋賀県内をほぼ北東に向けて、平
地歩きが中心だが距離は長い。日暮れまでに高宮宿
到着を目指し、スタートから早いペースで進みそう。
草津宿を抜けて隣の栗東(りっとう)市に入る「綣(へ
そ)」という珍しい地名のところを通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/dd/26020336f4109dbc3c10faccc6cddade.jpg)
それにしても、古い家並みの残る街道筋も、電線や
電柱が景観を大きく損ねているのが残念だ。
一角に大宝神社もある大宝公園には、元禄3年
(1690)、この地に足を留めた芭蕉の、「へそむらの
まだ麦青し春のくれ」という句碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/59/585bfd68f1b75656a00595237a973351.jpg)
江戸日本橋から草津宿まで、中山道に129か所あ
った一里塚の128番目に当たるという今宿一里塚に
は、先代の脇芽が成長して太くなったエノキが、大き
く枝を広げていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/da/be849fba410aeffccedfd1f3746a1cbd.jpg)
古い家並みの残る守山宿へ。右カーブ点にある東門
院はりっぱな本堂。緑豊富な境内の一角に太いイチョ
ウが立ち、下にびっしりとギンナンが落ちていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/dc/bff2c40a005f4ceb129760da811d8e61.jpg)
そばの石造の五重塔は、鎌倉時代の造立と考えられ
たとのことで、滋賀県重要文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/da/44253147bf7452e3c2b0b538a84cb480.jpg)
山門を入ったところには、しめ縄を付けた大きな石
造のカエルがいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/6d/9558b129643914bb1780578a32dc91be.jpg)
守山宿を東に抜け、野洲川橋を渡って野洲(やす)市
に入る。橋から見える西側の低い山の上部は、雨雲に
隠されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/46/33d2923d59870c6a382a8605c77d4d95.jpg)
かやぶき屋根の唯心寺や、鎌倉時代のものという背
くらべ地蔵(上の写真)の先で、左に朝鮮通信史ゆかり
の朝鮮人街道を分ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/95/d892c48ebf31a8fe93664110f5d3ab28.jpg)
東海道新幹線のガードの手前と先に、造り酒屋など、
かやぶき屋根の家が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b2/4b095bbc6437da4746147bcf84b0f9df.jpg)
家並みが途切れたあたりには、滋賀県下でただ1軒
という、本藍(あい)染めを伝承している森義男氏宅がある。
中山道が東海道新幹線に接した南側は、6世紀中頃
の円墳という甲山(かぶとやま)古墳。一帯は桜生(さく
らば)史跡公園になっていて、そばの二つの古墳も紹介
するガイダンス施設があり、トイレ休憩を兼ねて参観
した。
1㎞足らずで、天井(てんじょう)川である家棟川の下
を抜けるはずだったが、川の堤防は崩され、道路の拡
張工事中。流れは無くなったらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/f2/2cf8938c6a47b21a90bfd02a9f9945e0.jpg)
すぐ先で国道8号に入ると、車の交通量が急に増え
てきた。
国道の南に500m近く続く、西池の堤防に沿って進
む。雄略天皇の時代(413年ころ)、近江の国に作ら
せた48の池で最大のものというが、のぞく暇はない。
さらに1㎞余り、南側の林のすそを200mほど入る
と、平家最後の最高責任者、平宗盛終焉(しゆうえん)
の地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/6a/ffaab81920d13ce057538e47fc1edcaa.jpg)
そばの案内板によれば、平家が滅亡した地は壇ノ浦
ではなく、ここ野洲市で、宗盛父子は源義経にここで
切られたのだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/78/96049b92b07216d1574a856276cb70a2.jpg)
少し先には「義経元服の池」の石碑があり、道を挟
んで、新しい「道の駅龍王かがみの里」が出来ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/8b/7a3846e9fbd4830b7daf3a4e2153036b.jpg)
レストランや農産品販売所などがあり、ここで昼食
とする。 (続く)
=草津から高宮まで=
ホテル近江守山での朝食を済ませ、JR守山駅から
上り電車で草津駅まで戻り、8時15分に霧雨模様の
草津駅前をスタートした。今日の参加者は18人である。
いつも背中のゼッケンに、ユニークなメッセージを記
されるWさん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/5d/4bda757e83469029b1faa6feeca9dc4e.jpg)
今回は、コース前半の旧国名を盛りこんだメッセージ。
今日のコースは、滋賀県内をほぼ北東に向けて、平
地歩きが中心だが距離は長い。日暮れまでに高宮宿
到着を目指し、スタートから早いペースで進みそう。
草津宿を抜けて隣の栗東(りっとう)市に入る「綣(へ
そ)」という珍しい地名のところを通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/dd/26020336f4109dbc3c10faccc6cddade.jpg)
それにしても、古い家並みの残る街道筋も、電線や
電柱が景観を大きく損ねているのが残念だ。
一角に大宝神社もある大宝公園には、元禄3年
(1690)、この地に足を留めた芭蕉の、「へそむらの
まだ麦青し春のくれ」という句碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/59/585bfd68f1b75656a00595237a973351.jpg)
江戸日本橋から草津宿まで、中山道に129か所あ
った一里塚の128番目に当たるという今宿一里塚に
は、先代の脇芽が成長して太くなったエノキが、大き
く枝を広げていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/da/be849fba410aeffccedfd1f3746a1cbd.jpg)
古い家並みの残る守山宿へ。右カーブ点にある東門
院はりっぱな本堂。緑豊富な境内の一角に太いイチョ
ウが立ち、下にびっしりとギンナンが落ちていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/dc/bff2c40a005f4ceb129760da811d8e61.jpg)
そばの石造の五重塔は、鎌倉時代の造立と考えられ
たとのことで、滋賀県重要文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/da/44253147bf7452e3c2b0b538a84cb480.jpg)
山門を入ったところには、しめ縄を付けた大きな石
造のカエルがいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/6d/9558b129643914bb1780578a32dc91be.jpg)
守山宿を東に抜け、野洲川橋を渡って野洲(やす)市
に入る。橋から見える西側の低い山の上部は、雨雲に
隠されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/46/33d2923d59870c6a382a8605c77d4d95.jpg)
かやぶき屋根の唯心寺や、鎌倉時代のものという背
くらべ地蔵(上の写真)の先で、左に朝鮮通信史ゆかり
の朝鮮人街道を分ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/95/d892c48ebf31a8fe93664110f5d3ab28.jpg)
東海道新幹線のガードの手前と先に、造り酒屋など、
かやぶき屋根の家が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b2/4b095bbc6437da4746147bcf84b0f9df.jpg)
家並みが途切れたあたりには、滋賀県下でただ1軒
という、本藍(あい)染めを伝承している森義男氏宅がある。
中山道が東海道新幹線に接した南側は、6世紀中頃
の円墳という甲山(かぶとやま)古墳。一帯は桜生(さく
らば)史跡公園になっていて、そばの二つの古墳も紹介
するガイダンス施設があり、トイレ休憩を兼ねて参観
した。
1㎞足らずで、天井(てんじょう)川である家棟川の下
を抜けるはずだったが、川の堤防は崩され、道路の拡
張工事中。流れは無くなったらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/f2/2cf8938c6a47b21a90bfd02a9f9945e0.jpg)
すぐ先で国道8号に入ると、車の交通量が急に増え
てきた。
国道の南に500m近く続く、西池の堤防に沿って進
む。雄略天皇の時代(413年ころ)、近江の国に作ら
せた48の池で最大のものというが、のぞく暇はない。
さらに1㎞余り、南側の林のすそを200mほど入る
と、平家最後の最高責任者、平宗盛終焉(しゆうえん)
の地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/6a/ffaab81920d13ce057538e47fc1edcaa.jpg)
そばの案内板によれば、平家が滅亡した地は壇ノ浦
ではなく、ここ野洲市で、宗盛父子は源義経にここで
切られたのだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/78/96049b92b07216d1574a856276cb70a2.jpg)
少し先には「義経元服の池」の石碑があり、道を挟
んで、新しい「道の駅龍王かがみの里」が出来ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/8b/7a3846e9fbd4830b7daf3a4e2153036b.jpg)
レストランや農産品販売所などがあり、ここで昼食
とする。 (続く)