熊野古道より後に出かけたレポートが、先になったり途中に入っ
たりで、なかなか熊野古道の報告が進捗せず、今日は、ちょうど
1か月前の10月27日分の報告です。
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第3日 2008年10月27日(月)
=中辺路のハイライト・大雲取越=

この日は、中辺路で一番の険路・越前峠を越える「大雲取越(おお
ぐもとりごえ)」と呼ぶ山道である。
6時5分に起床、6時半からの朝食も、夕食同様部屋に運んできて
くれた。宿坊だが、朝の勤行(ごんぎよう)(お勤め)はなかった。
7時7分に宿坊・尊勝院を出る。
昨日お参りした青岸渡寺と熊野那智大社に、もう一度旅の安全を
祈願し、「熊野道」の標識に従い青岸渡寺の横から石段へ。

熊野那智大社からは、500mごとに「1 大雲取越」と記された石
標が立ち、2、3…と数字が増えてゆく。
太い杉林下の石段が終わり、那智高原と呼ぶ開かれた一角に上
がる。昭和52年(1977)の全国植樹祭開催地を公園にしたもので、
桜並木の紅葉がよい彩り。

公園の駐車場の先、「熊野道」の石標の横から石段を上がる。
しばらくは杉林の下を進み、登立茶屋跡を過ぎる。

西からの風が強まりこずえがうなる。寒くなったのでジャンパーを
着たが、歩くうちに汗ばんできて、8の石標のところで脱いだ。
間もなく、後発の女性が追いつき追い抜く。路傍にはリンドウが
咲いていた。

船見茶屋跡には東屋があり、勝浦の町や那智湾などが見下ろせ
る。追い抜いた東京・江戸川区のHさんが休憩していた。

すぐ近くが船見峠。5年前に熊野古道伊勢路歩きの最後、逆コー
スでこの大雲取越えをしたのだが、その時この峠付近で、冷たい
風を避けながら食事したことを思い出す。峠からは熊野灘が見える
はずだが、曇天ではっきりしない。
峠付近は歩きやすい土道だったが、その先からはやや急な下りで、
石畳の残るところもあった。林道に下ったところに、「八丁の堀割」と
「花折街道」の標識が立つていた。

少し先で林道の右へ入り、流れに沿っての上り道となる。再び林道
を横断、再度林道に出て1㎞余り下り、地蔵茶屋跡に着く。

東屋で先着のHさんが昼食中。少し早めだが私も昼食とし、Hさん
と話しながら食べる。今日の宿は、同じ小口自然の家とのこと。道路
の反対側には、がっちりした休憩所もあった。
Hさんは先発し、以後、宿まで追いつくことはなかった。11時45分
に出発する。

大雲取地蔵尊(上)の横から林道を離れ、こけむす石畳道を上がって
石倉峠へ。


峠には斎藤茂吉の歌碑が立ち、道しるべでもある古い無縁仏も
残っている。

峠からの下って行くと沢沿いとなり、長塚節の歌碑がある。最後の
越前峠に向かう上りには、リンドウがあちこちに咲いていた。
大雲取越の最高点、越前峠(870m)は、杉木立に覆われ薄暗い。

峠には、土屋文明の歌碑をはじめ、小中学生の登頂記念碑、大峰
奥駈(おくがけ)修行者の木札などが幾つも並んでいた。
峠の先からは、杉木立下の長い下りが続き、古い石畳道も多い。
ひざを痛めぬよう、折り畳み杖を頼りに慎重に下るが、次第に足の疲
れを感じる。この下りにも、歌碑が幾つか立っていた。
幅広い石畳道がV字状にカーブして、傾斜はやや緩んだ。しかし、
さらに石畳の長い下りが続く。

伐採した杉丸太が、こけで緑色になったところもあった。
小さい石仏や橋の久保旅籠跡を過ぎると、休憩所の古い東屋が
ある。傍らに、須川峡生の「鯉のぼり大雲取の一軒に」という歌碑
が立つていた。

両側にウラジロが増え、うんざりするほど下り、大岩の上に梵字が
三つ記された円座石(わろうだいし)に着いた。梵字はコケがむして
字は読みにくい。

円座とは、わら・すげ・いぐさなどを渦巻き状に丸く平たく編んだ座布
団のような敷物のこととか。この上で熊野の神がそれぞれに座って、
お茶を飲んだり相談をしてのだという。
さらに1㎞近く下り、ようやく人家が現れ、その間を抜けて車道に下っ
た。近くの東川にかかる渡月橋際に小公園があったので小休止する。
古くて字が全く読めない西行の歌碑があった。
近くの小口(こぐち)郵便局の先で、小口川の橋を渡り、小口自然の
家に15時8分に入った。
5年前にも泊まった2度目の宿。廃校になった小学校の校舎を転用
した建物で、入口は独特のとんがり屋根。長い廊下に沿った教室を
仕切って部屋になっている。
洗い場に洗濯機が2台あり、下りで汗をかいたので洗濯をして乾燥
機で乾かす。
夕食は18時過ぎから食堂で。たっぷりの鍋物などメニュー豊富で、
食べきれないほどだが、皆おいしかったので全部いただいた。
この日の同宿は、先着のHさんと、福岡・久留米の高校の山岳会メ
ンバーで、卒業後も山登りを続けているという3人の男性。
3人は私と同年というが、現在もスイスの山や南北アルプスなどハー
ドな山にも登るという山のベテラン。
Hさんも、キリマンジャロに上り、スペインの巡礼の道を歩き、スキュ
ーバダイビングも楽しむというアウトドア派。いずれも元気な皆さんの
話を聞き、元気をもらった。
[コースタイム]青岸渡寺宿坊・尊勝院7・07ー那智高原7・50ー登立
茶屋跡8・40~49ー船見峠9・37~49ー八丁の堀割10・10ー林道へ
10・34ー地蔵茶屋(昼食)11・10~45ー石蔵峠12・04ー越前峠12・39
~47ーVカーブ点13・30~35ー東屋14・09ー楠の久保旅籠跡13・59
ー円座石14・33~40ー渡月橋際(小公園)15・00~03ー小口自然の
家15・08
(天気 曇後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 新宮、紀伊大野、
本宮、歩行地 新宮市(旧熊野川町を含む)、歩数 26,000)
たりで、なかなか熊野古道の報告が進捗せず、今日は、ちょうど
1か月前の10月27日分の報告です。
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第3日 2008年10月27日(月)
=中辺路のハイライト・大雲取越=
この日は、中辺路で一番の険路・越前峠を越える「大雲取越(おお
ぐもとりごえ)」と呼ぶ山道である。
6時5分に起床、6時半からの朝食も、夕食同様部屋に運んできて
くれた。宿坊だが、朝の勤行(ごんぎよう)(お勤め)はなかった。
7時7分に宿坊・尊勝院を出る。
昨日お参りした青岸渡寺と熊野那智大社に、もう一度旅の安全を
祈願し、「熊野道」の標識に従い青岸渡寺の横から石段へ。

熊野那智大社からは、500mごとに「1 大雲取越」と記された石
標が立ち、2、3…と数字が増えてゆく。
太い杉林下の石段が終わり、那智高原と呼ぶ開かれた一角に上
がる。昭和52年(1977)の全国植樹祭開催地を公園にしたもので、
桜並木の紅葉がよい彩り。

公園の駐車場の先、「熊野道」の石標の横から石段を上がる。
しばらくは杉林の下を進み、登立茶屋跡を過ぎる。

西からの風が強まりこずえがうなる。寒くなったのでジャンパーを
着たが、歩くうちに汗ばんできて、8の石標のところで脱いだ。
間もなく、後発の女性が追いつき追い抜く。路傍にはリンドウが
咲いていた。

船見茶屋跡には東屋があり、勝浦の町や那智湾などが見下ろせ
る。追い抜いた東京・江戸川区のHさんが休憩していた。

すぐ近くが船見峠。5年前に熊野古道伊勢路歩きの最後、逆コー
スでこの大雲取越えをしたのだが、その時この峠付近で、冷たい
風を避けながら食事したことを思い出す。峠からは熊野灘が見える
はずだが、曇天ではっきりしない。
峠付近は歩きやすい土道だったが、その先からはやや急な下りで、
石畳の残るところもあった。林道に下ったところに、「八丁の堀割」と
「花折街道」の標識が立つていた。

少し先で林道の右へ入り、流れに沿っての上り道となる。再び林道
を横断、再度林道に出て1㎞余り下り、地蔵茶屋跡に着く。

東屋で先着のHさんが昼食中。少し早めだが私も昼食とし、Hさん
と話しながら食べる。今日の宿は、同じ小口自然の家とのこと。道路
の反対側には、がっちりした休憩所もあった。
Hさんは先発し、以後、宿まで追いつくことはなかった。11時45分
に出発する。

大雲取地蔵尊(上)の横から林道を離れ、こけむす石畳道を上がって
石倉峠へ。


峠には斎藤茂吉の歌碑が立ち、道しるべでもある古い無縁仏も
残っている。

峠からの下って行くと沢沿いとなり、長塚節の歌碑がある。最後の
越前峠に向かう上りには、リンドウがあちこちに咲いていた。
大雲取越の最高点、越前峠(870m)は、杉木立に覆われ薄暗い。

峠には、土屋文明の歌碑をはじめ、小中学生の登頂記念碑、大峰
奥駈(おくがけ)修行者の木札などが幾つも並んでいた。
峠の先からは、杉木立下の長い下りが続き、古い石畳道も多い。
ひざを痛めぬよう、折り畳み杖を頼りに慎重に下るが、次第に足の疲
れを感じる。この下りにも、歌碑が幾つか立っていた。
幅広い石畳道がV字状にカーブして、傾斜はやや緩んだ。しかし、
さらに石畳の長い下りが続く。

伐採した杉丸太が、こけで緑色になったところもあった。
小さい石仏や橋の久保旅籠跡を過ぎると、休憩所の古い東屋が
ある。傍らに、須川峡生の「鯉のぼり大雲取の一軒に」という歌碑
が立つていた。

両側にウラジロが増え、うんざりするほど下り、大岩の上に梵字が
三つ記された円座石(わろうだいし)に着いた。梵字はコケがむして
字は読みにくい。

円座とは、わら・すげ・いぐさなどを渦巻き状に丸く平たく編んだ座布
団のような敷物のこととか。この上で熊野の神がそれぞれに座って、
お茶を飲んだり相談をしてのだという。
さらに1㎞近く下り、ようやく人家が現れ、その間を抜けて車道に下っ
た。近くの東川にかかる渡月橋際に小公園があったので小休止する。
古くて字が全く読めない西行の歌碑があった。
近くの小口(こぐち)郵便局の先で、小口川の橋を渡り、小口自然の
家に15時8分に入った。
5年前にも泊まった2度目の宿。廃校になった小学校の校舎を転用
した建物で、入口は独特のとんがり屋根。長い廊下に沿った教室を
仕切って部屋になっている。
洗い場に洗濯機が2台あり、下りで汗をかいたので洗濯をして乾燥
機で乾かす。
夕食は18時過ぎから食堂で。たっぷりの鍋物などメニュー豊富で、
食べきれないほどだが、皆おいしかったので全部いただいた。
この日の同宿は、先着のHさんと、福岡・久留米の高校の山岳会メ
ンバーで、卒業後も山登りを続けているという3人の男性。
3人は私と同年というが、現在もスイスの山や南北アルプスなどハー
ドな山にも登るという山のベテラン。
Hさんも、キリマンジャロに上り、スペインの巡礼の道を歩き、スキュ
ーバダイビングも楽しむというアウトドア派。いずれも元気な皆さんの
話を聞き、元気をもらった。
[コースタイム]青岸渡寺宿坊・尊勝院7・07ー那智高原7・50ー登立
茶屋跡8・40~49ー船見峠9・37~49ー八丁の堀割10・10ー林道へ
10・34ー地蔵茶屋(昼食)11・10~45ー石蔵峠12・04ー越前峠12・39
~47ーVカーブ点13・30~35ー東屋14・09ー楠の久保旅籠跡13・59
ー円座石14・33~40ー渡月橋際(小公園)15・00~03ー小口自然の
家15・08
(天気 曇後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 新宮、紀伊大野、
本宮、歩行地 新宮市(旧熊野川町を含む)、歩数 26,000)